現場を知るということ

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三輪睿太郎教授(そう、今や教授になられたのです)が、農業環境技術研究所で一緒に仕事をしておられた頃、私たちの研究テーマは「農村地域の物質循環の評価」といったものでした。農林水産統計などの情報を集めまくってつくばのある地域の窒素フローを推定していました。

私は、2,3年遅れてその仕事に加わったのですが、加わってすぐに言ったことは「これが実際の現場でどうなっているか見ていますか?」ということでした。「見てない」という返事に、さっそく見学会をやろうと提案し、車でその地域を見て回りました。いろんな作物がどのように作られているのか、がよく分かり、その後の仕事に役立ったことは言うまでもありません。

うれしいことに、その仲間に加わっていた若手研究者は、その後、研究を進めるにあたって、何をするにつけ、その現場を実際に見てみる、足を運んで調査をしてみる、というスタイルを貫いていることです。今は、若手ではなくなりましたが、そのスタイルで良い仕事を蓄積し、その結果として農学博士の学位を頂いたり、学会賞を受賞したり、活躍しています。

三輪教授は、それ以前から、農水省のいわば中央研究所や霞ヶ関を行き来して、現場に足を運ぶ機会が少なく仕事を進めてきました。しかし、そういう場所にいると、情報がとてつもなく集まりますので、それを見ながら頭を使えば(彼は頭がとても良い)、今、何が必要で、何は重要でない、などが見えてきますから、常に的確な仕事を進めてきたと思います。研究を管理する場合には、現場もさることながら、むしろポストや情報が重要なことも多いわけです。しかし、研究の一線でオリジナルな何かを生み出すような研究のためには、そのスタイルではダメだと思います。現場、フィールドにおいて身体全体でつかむことが、最大の知恵の源泉です。暗黙知も形式知も現場との相互作用で蓄えられ磨かれるのではないでしょうか。

光においては、事業所も大切な現場でしょうが、農業においては、田畑や温室、森林や海などが現場です。ここに時々は行かなければ、知恵は浮かびません。論文や書物を読んでも、それだけでは眠くなる、つまり、淺知恵ばかりが豊富になって手が鈍ります。実験室で実験してばかりいても同じです。私は、研究を始めたばかりの頃、論文を読みすぎるな、現場を経験しろ、とたたき込まれる一方で、ひまな者は夕飯食ったら出てこい、といわれて論文購読をさせられました。この矛盾を笑いながら、それに従いましたが、今では、その矛盾が私を鍛えてくれたと心底思っています。研究は、現場と論文の相互作用、それらの矛盾の止揚、そのために現場は不可欠且つ第一義的です。

現場へ足を運びましょう。

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