アジサイのブルー
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お寺の山門の前を通り過ぎて駐車場へ向かう道路の脇の切り立った崖の上に、アジサイのブルーのかたまりがこぼれんばかりに連なっている。車を降りて見上げると、ほとんど紺に近いアジサイの花がふたむら、みむら、目に入った。そのブルーの色合いは、目から入ってこころの奥に浸み通ってくるようであり、しかもそれは、ついぞ経験がない種類のものであった。
その濃いブルーの色合いは、それを支える枝葉の新鮮な緑があることによって、強く訴えかける力を増している。凝っていた肩の重さがすっと抜けていくようなほっとする感じがその色を見つめているとおこってくる。
あらためて寺の山門に向かって歩いていると、鐘の音がゴーンと鳴った。ここの鐘は、鐘楼をぐるっと回って分かったのだが、時計仕掛けで定時に鳴るようになっている。その鐘楼の周りは、すっかりアジサイに囲まれている。それらは見事であるけれど、さっきの濃いブルーのかたまりが持っていたような個性的な力強さが感じられない。白い花の株やガクアジサイのおもしろさは、それなりに目を楽しませてくれるけれど、平凡である。もちろん、それらに囲まれていても日頃の面倒を忘れることはできて疲れをいやして呉れはするのだけれど、時計仕掛けを知ってしまったせいか、それを強く意識させてくれない。
新しい仕事でたてこんだ日がつづいて2ヶ月半、少したまった疲労を感じ始めていたが、そんな心身に、そのアジサイは心地よい刺激を与えてくれた。スーパー銭湯で、伊豆の温泉地から毎日運んでくる湯で小半時腰湯をし、肉体の疲労をとることは、ここ一年ほどですっかり習慣になっているが、肉体疲労でなく、知らず知らずのうちにたまる精神疲労はこれといった術もなく過ごしていた。が、ここしばらく、生物界のもつ精神安定化作用のようなものにそれを求めることができるような気がしている。
世間で使われる「癒し」という言葉の使われ方が好きでないのだけれど、今書いたアジサイのブルーの精神安定化作用こそ正真正銘の「癒し」なのだろう。
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