トップページのポルトガル語について

日本が鎖国に入る前、もっとも国際化が進んだ時期、とりわけ信長の時代、ポルトガルがもっとも一生懸命、中央あるいは地方の政府に、また民衆にも接触をとろうとしていました。ヨーロッパの大航海時代が終盤にかかる頃のことでした。

信長は、安土の城下にセミナリオをひらき、主に武士の師弟の教育に宛てていました。庶民階級からも参加者があったようです。そこでは、ポルトガルから来たフロイス宣教師たちにより西洋のキリスト教文明が紹介され、日本の文物が話題にのぼりました。ビブリオテカも作られ多くの若者が少ない写本など教材を競ってひもといていたと想像します。それらの成果が花開き、国中に種が蒔かれることは、ほんのわずかに終わったのですが、そこに渦巻いた諸々の葛藤は、きわめて充実した日々を学徒にもたらしたのではないか、と思うのです。学徒の胸のときめきが伝わってきます。

その胸のときめきを偲び、当時、セミナリオにおいて看板に掲げられ、日常使われたであろうポルトガル語を掲げさせてもらった次第です。以下に、あらためて示します。ここからも、各ページに跳んで行けます。

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H.Rの手記  Composição コンポジション 手記

絶學無憂 Seminário セミナー 「神学校」と訳される

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