因島・弓削島・尾道の旅・・・ハイライト
2009年5月8〜10日
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ホテルは尾道駅前に近い便利なところ。おまけに窓から川のような尾道水道がよく見える。そこに は、大小の船が行き来していた。 | |
尾道水道のほとりに出て左、すなわち東を見ると尾道大橋が海を跨いでいる。でも、正確には、 そこにはふたつの橋が重なるように架かっていて、手前が、しまなみ海道に架かる「新尾道大橋」 、その向こうに旧来の「尾道大橋」。いずれも有料とのこと。 | |
駅前から見える対岸、向島には造船所が見える。ここは、いわばしまなみ造船海道の入り口であり 、向島の向こうにある因島を経て今治まで、ほとんどの島に造船所が展開している。 後ろを振り向くと、 |
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尾道駅前の広場の向こうに、千光寺山が控え、頂上に「尾道城」 |
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夜、今日(2009年5月8日)は満月前後のはず、窓を開けると造船所の上にまん丸の月が・・・ |
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翌日は良い天気。電車で三原に移動して三原港へ。8時過ぎの港にも、フェリーや高速船などが出 入りしている。 | |
高速船から、通勤客や学生、生徒が下りてくる。走って行く人もある。 |
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高速船の横っ腹に接舷した船があった。給油船だった。だから「火気厳禁」と書かれている。 |
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我々の乗る高速船は、因島の中心町である土生(はぶ)まで行く。我々は途中、因島重井で降りる。20分程度の船旅。 | |
出港してすぐ左手、つまり本土側の建物に三菱重工と書いてある。三菱重工三原という名前は聞いたことがある。都市対抗野球? |
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三菱重工も多角経営である。「紙・印刷研究センター」とある。 | |
貨物船が停泊していて、船の多い瀬戸内の感じがある。 |
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因島に近づき右(西)に見える佐木島には、竹林が目立つ。これも後で分かったことだが、昔、除虫菊を植えた跡が、竹林に侵されていることが多いのだそうだ。 | |
重井西港で、受付を済ませ、早速、地元のボランティア観光ガイドさんから説明を聞く。「向こうの山に竹林が見えるあたりは昭和30年代には除虫菊でいっぱいでした」と。手の指す方を見ると・・・ | |
斜面一帯、竹!そして、見せてくれた写真が・・・ |
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その頃の島の写真。白いのがすべて除虫菊の畑。 | |
ところが今は、あの山の中腹に見える除虫菊畑の他に2カ所、いずれも保存・観光用です、とのこ
と。 |
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歩き出した頃は満潮で、階段が水上5段くらい。 | |
説明を聞く参加者一行。ここは6段。 | |
農家の屋根に、もうひとつ、小さな屋根が載っている。これは、島の家の特徴のひとつ、煙出しなのだそうです。この下が台所なわけです。 | |
台所といっても立派です。母屋はもっと立派。 | |
集落の中の道は、こんな程度の広さ。我が家の本家のある遠州地方の漁村もちょうどこんな道で家々が区切られている。 |
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因島には、今は水田がないという。多分、広島県世羅町あたりから買ったものだろう、とのこと。 | |
代表的な農家。母屋の2階の窓が必ずふたつ。その枠が白い漆喰、一列の海鼠壁。母屋に向かって左は隠居所、母屋の右が作業所。前庭は、農作業用に広くとってある。小母さんがガイドさんと何やら話していた。 | |
その農家の屋根を越して除虫菊の畑が見える。これからあそこまで登って行く。 | |
農家の陰に咲いていた花。 | |
上る道は一列でしか歩けない小径。お寺の建物が見える。 |
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後ろを振り返るとさっき見ながら来た港の一画と集落が見える。 |
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やがて、除虫菊畑。謂われが掲げられていた。 |
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振り返ると港と家々が除虫菊の向こうに。 | |
すこし眼をうつすと朽ちかけたタバコの乾燥庫。今は使われていないとのこと。 | |
中央の建物は、農協の倉庫。盛んな頃は、ここに除虫菊の出荷品が集められて船積みされ出ていったという。 |
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山には、除虫菊よりミカンの畑が多く、丁度、花盛りでほんのりと良い香りが漂っていた。 | |
新開集落の港の作業場。向島が見える。 | |
重井郵便局は繁盛している雰囲気。島では郵便局の役割は今でも大きいと見た。 | |
郵便局の隣に、青木城の謂われが書かれていた。郵便局長さんがご自分で作られたとか。左手に行くと青木城址だが、一行はそちらには行かずにフラワーセンター方面に歩みを進める。 | |
郵便局から入った先で潮もち池の説明を聞く。 ここの地面の下にトンネルがあって川の水が海に流れ込んでいる。今、海側で潮が満ちてくると、水の通るトンネルの上側からぶら下げられたフタが潮の圧で押しつけられて閉じる。それにより塩水は上流に行かない。潮が引くと、フタは上流からの川の流れで空いて川水が海に流れ出る。ここで川水を貯めて灌漑に使いたければ上流側のフタを閉じて川水を蓄えて使えばよい。写真に見える鎖は、上流側のフタを上に引き揚げるためかも知れない。 |
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オレンジのリュックがボランティアガイド氏。左側で川をのぞき込んでいる目線の先が、上の写真。 | |
水神様か、祭られている。見える水は塩水でなく淡水の川水。ヨシが生えている。 | |
この辺りには、昔からの建物も少しだけ残っている。木の手すりが珍しい。 | |
この農家も、北浜の農家と同じ構造。母屋に向かって左が隠居所にもなる座敷があり・・・ | |
右側には納屋や作業場がある。前庭も広い。手前の植物はミカン。 | |
作業場は、こんな構造のモノも見受ける。 | |
キヌサヤエンドウはこのあたりの特産。露地の他にハウスでも作られる。 | |
フラワーセンター。この右側方向に日陰になるテラスがあって、そこで何人かの仲間と昼食をとった。裏の山が白滝山で五百羅漢があり展望が素晴らしいということだが今回のルートには入っていない。 | |
町の中心に学校があって、子どもたちが野球で遊んでいた。瀬戸内少年野球団? | |
善興寺の山門をくぐる。 | |
山門の下に、寄付金の印が花崗岩の柱で作られている。この島は花崗岩が多く産するようで、畑の土も母材は多くが花崗岩である。 | |
山門の前で風神雷神が出迎える。これは風神? | |
善興寺の向かって右側にキリスト教会(重井パプテスト教会)があり、幼稚園を兼ねている。 | |
木の格子窓の家などもたまにある。この小母さんは、弓削島から小父さんと一緒に参加された。 | |
「勉強堂」で「いんのしま生まれ はっさくゼリー」を買った。さっぱりして美味しかった。 | |
薪で風呂を焚いている。写真では見にくいが、煙突から薪を燃やす煙が出ている。 | |
港に帰ってきたら、干潮で17段の階段が全て水から現れていた。そういえば、昨夜、満月に近い月が見えた。目下、干満の差が大きい時期だ。 | |
干潮で、この船も”宙を舞って”いるが、ここで、船底に付着した貝殻を捕ったり、いろいろな作業をするのだそうである。この船は、帆をかけられるし、屋根を張ることもできる。赤と緑のランプも点けられる。 | |
船の係留の仕方もいろいろあって、ただロープでつなげばよいのではない。具体的に聞いたのだけれど、忘れてしまった。 | |
この船は、売りに出されている。誰かお買いになりませんか、と問いかけられてもねぇ・・・ | |
私たちは、重井町での催しが終わってから、因島の中心地である土生とその先の弓削島に向かった。 これからこの方向に行く。正面に微かに見える橋が生口橋。これをくぐる。橋の左側が因島、右側が生口島。 |
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後ろを振り返ると、快速線の航跡が・・・。左側は、佐木島(三原市)、右が因島(尾道市) | |
生口橋。斜張橋という種類の橋なのだそうです。長大橋は、吊り橋が多いのだそうですが、吊り橋は両岸をワイヤーでつなぎ橋をぶら下げます。他方、斜張橋は、この写真のように、橋桁を中心にヤジロベーのように両サイドに橋をバランスさせて吊ります。 明石大橋は吊り橋で、超長大橋は吊り橋が多い。因島大橋も吊り橋。斜張橋は、生口橋の他に、尾道大橋が、新も旧もこれです。 |
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生口橋をくぐると因島田熊町が左に見えてきます。林芙美子の恋人だった岡野重一の実家があったところ。造船の町です。 | |
田熊町の中心地。白い大きな建物は市民会館でしょうか。 | |
右側には、小さな亀島、大きな鶴島があります。鶴島の砂浜は、やはり花崗岩の砂らしく少し黄みがかった白砂でした。 | |
土生町は、因島の中心地。土生港で一端下船して、弓削島に渡る快速線が出る長崎桟橋に移って、近辺をぶらぶらしました。 | |
長崎桟橋に着いたフェリーから車と人がバラバラと下りてきます。向かいは生名島。 | |
すぐ向かいの生名立石との間を結ぶフェリーは、あっという間に港に着きます。 | |
長崎瀬戸を弓削島に向かって進むと左側(因島)は造船所が続きます。どこの船でしょうか、朱色の船体が目立ちます。 | |
キラカライ・スターと名が見えます。 | |
日立造船には、岡野重一も就職しました。 | |
弓削島に近づくと、大きな建物がみっつ、ほどよい間隔で立っています。地形図と塀に描かれている絵などで判断するに、左から右に向かって、小学校、中学校・・・ | |
そして、高校です。そして、えぐられた山頂を持つ石灰山が目立ちます。 | |
石灰山の下、南側は島の中心地で港の奥に役場、消防などがあります。弓削商船高専もあります。 | |
船が港(下弓削桟橋か?)に近づきます。 | |
弓削瀬戸をまたいで弓削島と佐島を結ぶ弓削大橋も斜張橋です。 | |
港から西を眺めると、佐島と生名島を結ぶ橋の工事が進んでいるのが見えました。奥に見える高い山は、岩城島の積善山(せきぜんやま)と思われる。 | |
弓削島は、愛媛県上島町。佐島、生名島、岩城島、魚島などからなる。町役場は、ここにある。 ついでに、平成の大合併で、越智郡を構成していた群島のうち、伯方島以西の諸島が今治市に編入され、越智郡は上島町のみとなった。 |
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石灰山を港から見る。 | |
上の写真で左下にあたるところにアカシヤと思われる大きな木々があるのに気がついた。山腹の白い花はまた別の花、何だろう? | |
弓削大橋の下にカッターを見つけた。2艘で弓削瀬戸を通って帰ってきて弓削港の片隅で何かをしていたが、橋の麓にある(とあとで気がついたのだが)商船高専の桟橋に向け帰ってゆく。 | |
左の白い建物には「国立弓削商船高専」と書かれている。 | |
帰りは、弓削から尾道までの快速船。因島重井までは来た時と同じルートを逆戻り。小細島と因島との間に入り、御幸瀬戸を抜けると思いきや、岩子島の西を通って尾道水道に入り尾道駅前桟橋に帰着。造船海道振りがよく見えるルートである。 これはまだ因島。 |
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尾道水道に入って向島土井地区 | |
尾道の市街が見えてきた。運転席後ろから。 | |
ホテルの前のドック。大きな船だ。 | |
さらに翌日、ロープウェイで千光寺山に登った。天気が良くて、かえって遠くが見えないくらい。 | |
ロープウェイを降りてから、下界をひととおり眺める。 | |
その後、「文学のこみち」を辿って千光寺をめざして下ってゆく。 | |
のどかさや小山つゞきに塔二つ 子規 | |
十返舎一九 日のかげは青海原を照らしつゝ光る孔雀の尾の道の沖 |
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志賀直哉 六時になると上の千光寺で刻の鐘を打つつく、 ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、 又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。 其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。 それがピカリと光って又消える。 造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。 (暗夜行路より) |
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林芙美子 海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、 (放浪記より) 千光寺の千手観音菩薩 |
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千光寺の謂われが出ていた。 | |
男の子の向こうに大きな岩がる。その上に玉を載っけてある。鯉のぼりの尻尾にかかってしまっているが。 昔、この玉が夜でも明るく町を照らし、灯火がいらないほどだったという。ところが、ある外国人がこの玉をほしいと買い上げて持ち帰った。それから町には、灯りがいるようになった、という話が志賀直哉の「暗夜行路」に出ている。 今、上に載せられている玉は偽物に違いない。 |
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千光寺の少し下に、短歌で有名な中村憲吉の終焉の家というのがある。ここから、歌碑をいくつか見ながら(読みながらではない、多くの人は碑の達筆を読み取れない)歩くと、・・・ | |
こんな家に着く。簡素な家である。死ぬときまでに、この程度に簡素にしていられると、自然に消えて行った、という感じになって良いだろう、と思う。 | |
三重の塔を見ながら下りにかかる。この塔は、たしかロープウェイからも見えたと思う。 | |
文学のこみちや千光寺の緑の多いところから表に出ると日射しが眩しい。坂の途中に、青色の看板で、観光スポットを案内してくれる。右折して「おのみち文学の館」に向かう。 | |
文学の館に入る。目当ては、林芙美子だが、尾道出身の作家の紹介もある。何人もの作家を出すだけの風土が尾道にはあるということだろうが、何となく肯ける。 | |
ここは、本当は、中村憲吉、志賀直哉らの旧居とあわせて「館」ということになっている。いずれも和風の建物である。 | |
尾道も、特にこの辺りは坂の町である。防火、防災に備えがいると思うのだが、なかなか大変だろう。 | |
志賀さんの家は、再度すこし登っていかなければならない。 | |
近くに「どらねこ」という郷土料理のお店があった。 | |
志賀さんの家の近くに倉田百三の碑があった。最近、また倉田百三に感心が上向いているのだろうか。 | |
「志賀直哉先生の旧居はここです」という小さな看板が掛かっている。暗夜行路に出てくるとおりの三軒長屋である。 | |
志賀さんちは、一番奥。濡れ縁からの景色は素晴らしい。 | |
志賀さんの家から下ってくると線路近くにお寺があって、寺の町尾道は25の古寺めぐりも観光資源になっている。 | |
坂の町には新旧の石段が多い。 | |
昼食に寄ろうとした「尾道ラーメン」の有名店「朱華園」は長蛇の列。近くのチェーン店で食す。 | |
国道二号沿いの通りには有名人の足形が並べてある。道路縁石に斜めに立て掛けられているのがそれ。次の写真は、一例。 | |
谷川俊太郎。「あしかのあしか、しかのあしか 一九九九・八・一」とある。 | |
芙美子の座像。国道二号線と山陽本線を背に。国道の向側から小母さんがこちらを見ていた。 | |
こんなに交通量が多いところです。 | |
台座のこちら側には、放浪記の一節が刻まれていいる。正確には、この文の引用元は何か? | |
喫茶「芙美子」では、作品名のコーヒーを売っている。 | |
喫茶「芙美子」の奥、中庭に芙美子の部屋を復元している。喫茶の客は、自由に見ることができる。 | |
内部は、昔、よくあった作りの二階建。火鉢や座り机が置かれている。 | |
うず潮小路には、昔風の家が並んでいて、それを海側に突き抜けたところに・・・ | |
「林芙美子が多感な 青春時代を過ごし 林文学の芽生えを はぐくんだ家の跡 です」 と記された碑が海を眺めて建っている。 |
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山陽新幹線「のぞみ」に乗るため、福山で時間待ちをした。駅の北口前に福山城がある。時計を見たら行く時間は充分ある。行ってみようと歩き出した。ざっと見て歩いた。 |
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これは「筋鉄御門」 | |
門を入った中の公園から天守閣。 | |