庶民のための景気指標か?
景気回復に関する疑問です。小泉内閣から安倍内閣に代わる頃の話しです。 景気の良い期間が、いざなぎ景気の57ヶ月(1965年から70年にかけて)を越して戦後最長になるという。しかし、その実感がないこともほとんど誰もが感じていることである。エコノミストとかいわれる人たちは、その理由を、デフレ傾向にあって、その場合、金額ベースの所得が増えにくい、とか、踊り場が何回もあって、実際には危ないときがちょくちょくあったため、とか、そもそも一貫して景気の勢いが弱かったとかおしゃって考察を展開してくれる。 たとえば、後藤康雄(三菱総合研究所、政策・経済研究センター主任研究員)「視野に入る『いざなぎ景気』超え」、エコノミストの眼(2005.12.22) 私は、素人の目から、景気を考える指標が大企業にとっての景気指標であって、庶民のための景気指標ではないのではないか、と思うのです。もし、いざなぎ景気の時も現在も同じ指標を使っているのであれば、あるいは、異なっていても本質的には同等のものであれば、いざなぎや神武の景気が、本当は大企業にとっての景気だったのであり、庶民にとっての景気ではなかったのではないか。神武景気などは、高度成長の最中だったため、たまたま庶民にも景気が回ってきたように見えただけのことで、景気の恩恵を一番受けたのは大企業だったのではないか。 だから、今のように高度成長でない時期には、大企業の景気のみ良くて、庶民には良くなく、好景気の実感がないことになるだけのことだろう。そもそも庶民にとっての景気指標ではないのだから、庶民に景気が回ってきているかどうかは判断できないのだろうと思うのです。で、実感としては、大企業の景気は良くて、庶民には良くない、これが本当のところなのではないか。実感という暗黙知的指標の方が正しいのではないでしょうか? 本当のところは如何に? |