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花室川だより









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今年は、春の来るのが早く、花室川の土手の菜の花も早くに咲き始めました。川の水も温かそうな感じで流れていますが、近所の皆さんが餌をやっていた大きな鯉たちの姿がここしばらく私の目には入ってきません。霞ヶ浦まで下ってしまったのでしょうか。それとも、長い川を渡りあるいているのでしょうか・そのうち、また会うこともあるかと橋の上から時々のぞき込んでいます。右は、愛媛の西林寺の鯉です。 イメージ
2007年4月30日(月)
次男の友人来訪

晴。昨日と同様の陽気。次男の大学の友人5名関東各地より集りて来訪。初話など聞く。


2007年4月29日(日)
昭和の日

晴。爽やかな陽気の一日。孫がパパと帰っていった。花室川の畔の田圃では一斉に代掻きが始まった。今日は「みどりの日」だとばかり思っていたらいつの間にか「昭和の日」になっていた。2年前からだという。


2007年4月28日(土)
天領駿府のなまぬるさ

晴一時雨。昨日の判決は「慰安婦」にも。Jリーグ、清水エスパルスが横浜FCと引き分け。一流の技術と生ぬるさの混在。強いチームには負けることを意識し、弱いチームをあなどる、といった精神状態。その生ぬるさがここ一番での勝利を逃し上位に行けない。健太監督以下、天領駿府の精神的伝統が抜けきれない。上位に定着するための最大の課題。


2007年4月27日(金)
強制連行訴訟

晴×陰。湿度が低くさわやかな日。中国人強制連行賠償訴訟で最高裁は「日中声明で請求権放棄」として原告の訴えを、懸念された通り退けた。司法上、賠償の道を閉ざした。政治や企業への責任転嫁でもあり、今後、どうなるのか、課題は残る。


2007年4月26日(木)
気持が

晴一時雨。暖かな春の日は気持が良い。安倍首相は米国・中東訪問に先立って「集団的自衛権」につき結論が見え見えの有識者会議とかを立ち上げ、その上戦争へもっと踏み出せと号令を掛けた。満洲、本土空襲、沖縄、広島、長崎、ゲルニカ、アウシュビッツ等々、あの戦争の歴史を素直に見れば、戦争をしたい人のいることが信じがたい。戦争をしてそんなに儲けたいのか、他に何か良いことがあるのか。多くの庶民には理解しがたい。気持ちが悪い。


2007年4月25日(水)
梅雨に入る頃のような陽気

陰時々雨。福知山線事故から2年。そこにも突然逝った子どもたちが何人もいた。異同はあれど思いあり。今日は菜種梅雨でなく本物の梅雨に入る頃のような陽気、悪い気分はしないが、これでよいのか、と思う。


2007年4月24日(火)
荷風の気持少し

陰後晴。東京メトロに「東大前」駅が出来てから「本郷3丁目」駅から東大へ行くことがめっきり減った。今日は、久しぶりでそのルートをとった。駅の屋根がモダンになったり、本郷通りの喫茶店など店が改装されていたり、古本屋が減っていたり、その辺り、変化しつつある。荷風が古きものの消えゆくを惜しんだ気持ちを少ししのぶ。


2007年4月23日(月)
車はバックの時注意すべし

陰。車をあっちこっちこすって保険会社やディーラーとやりとり。こすったりするのは必ずバックの時。バック注意すべし。


2007年4月22日(日)
緑が日々増し

陰時々晴。緑が日々増して枯れた枝や蔓、草などの灰色を覆って行く。孫来る。


2007年4月21日(土)
芝と警官

晴×陰。久しぶりに庭の芝生刈。芝より各種雑草が優占。2,3週刈込めば芝が盛返すはず。警察に用事あり電話後出向く。なるべく手数を減らそうという対応に木っ端役人気質の浸透定着を見る。東武東上線ときわ台駅にて殉職の宮本巡査部長のように民に尽くす精神は何人の警官が持つか。


2007年4月20日(金)
農林研究団地の一般公開

晴。つくば農林研究団地の一般公開。桜並木もすっかり緑が増し、菜の花畑もまぶしいなか、中学生も遠足気分で大勢来ていた。むずかしい研究成果より、プレゼント(ヘリウム入り風船、花の苗、プチトマト苗、買い物に使える手提袋等々)やお土産付クイズなども人気。浜松からの若い研究者たちを案内。こちらはいろいろ勉強して帰って行った。


2007年4月20日(金)
13、4年もののシビック

陰時々晴。次男が長年乗ってきたシビックをディーラの青年が回収して行った。N360から始まったわが家のHONDA車は、その後シビックになり、子どもたちはシビックで北海道、関東を随分回った。その流れを次男が汲んでこのシビックには13,、4年乗っただろうか。これからも乗ると言って、次年度の保険にも入ったばかりだった。ワイパーのアームは赤光りし、エンジンは唸りまくっていた。この車も寿命が過ぎていた。


2007年4月18日(水)
浜松は関東より確かに暖か

陰後雨。長崎市長亡くなる。犯人は、動機として交通事故がらみのことを言ってる。巷の議論、聞こえるごとし。
 半月以上おいて東海道新幹線。関東の天気予報、2月下旬の気温を予測。浜松では3月中旬を予測とか。浜松は確かに暖か、いつも通り。


2007年4月17日(火)
暴力

陰時々雨。アメリカのバージニア工科大学で銃乱射、32名の学生死亡。選挙運動中の長崎市長が銃撃さる。暴力で人の命を奪おうとしたり、言論を暴力で押さえようというのは最悪。言論封殺はあの戦争前夜にも数多あった。今は、あの頃より成長したと期待するが・・・


2007年4月16日(月)
寒暖差大

陰後雨。寒い。日による寒暖差大。連れ合いは疲労も相俟って、風邪直らず。


2007年4月15日(日)
孫の野球など

晴時々陰。孫の野球応援、決勝トーナメント2試合。第1試合、横手投げで先発するも時々入る真ん中の球を打たれ、本来の捕手に退く。後続も点を取られ負け。第2試合は乱戦を制し、結局3位。孫娘はボールガール見習い。午後、次男坊の元同僚上司来訪しばし懇談。つれあい風邪抜けず、長男より投薬。


2007年4月14日(土)
アパート撤退

晴。午後次男のアパート撤退。長男とその友人2名助っ人来たる。大助かり。最後の清掃とゴミ出し改めて。汗かく。


2007年4月13日(金)
枕崎線の菜の花

陰。次男のアパートの引越し下拵え。鉄道旅行用グッズ押入れに多。JR全線区唯一乗残しの枕崎線のポスターに菜の花咲誇る。


2007年4月12日(木)
宮沢賢治

晴。検診異常なし。宮沢賢治は37年の生涯を詩歌童話農民指導などに燃し膨大な記録を残した。亡息は、賢治から一字を頂いたが、36年の生涯を燃し尽くし膨大な記録は残さず膨大な記憶を残した。没年の類似は長男坊の示唆。


2007年4月11日(水)
維持エネルギー

晴後陰後雨。昨日までと違い来客なし。明日の検診に向け食事が制限され、維持エネルギーはこんなに少なくて良いのか、と気付かされる。世に「メタボ」が多いのは当然。


2007年4月10日(火)
晴。終日どんよりした空。あの日の月も、赤かった、とは葬儀屋の差配君の言。いずれも黄砂のためだろう。また、暦を調べたら、あの日は、旧暦の如月17日、月齢15.5日。西行の亡くなった日と偶々なれど同様なのに驚く。

2007年4月9日(月)

晴陰交互一時雹。アパート整理中の午後3時頃春雷後雹少し。間もなく東の空に虹。通りに出てカメラを向ける老人あり。


2007年4月8日(日)
風に桜舞う

晴。終日断続して桜が風に運ばれ舞い来たり庭に散り落ちた。次男のアパート整理など。嫁いだ娘が母子で昨夜より滞在、午後帰って行く。都知事当選確実の会見で意気軒昂。あまり良くない印象。


2007年4月7日(土)

晴時々陰。次男身まかりて葬儀。


2007年4月5日(木)

晴。春、桜が美しい。


2007年4月4日(水)
桜と雪

陰晴雨。昼桜満開。夕、東京、福島、浜松は雪、茨城は雨。プロ野球もすべり出した。テレビでナイター観戦。巨人:中日、中日の強さが見えた。今年もセは中日が軸。

2007年4月3日(火)
常葉菊川優勝

雨時々陰。常葉菊川優勝。昨日書いたとおりをほぼ実行。花冷え、しばらく続きそう。桜が7日までなんとか保つか。

2007年4月2日(月)
甲子園と夜桜

陰。甲子園で郷里の常葉菊川が決勝へ。森下監督が甲子園優勝経験ありで、勝ち方をよく知っている。勝てるチームを作ってきた。決勝の相手には東海大会で完封で勝っている。それを忘れて、練習してきたとおりの試合をできれば優勝も可能。ここで優勝を意識するという罠に静岡のチームはしばしば陥る。その辺も監督がうまく指導していれば優勝も可能。森下主将の浜松商が、29年前にそんな試合をして優勝した。
仕事の行き・帰り、東京駅八重洲南口に近いさくら通りの昼・夜桜を日本橋高島屋、丸善の新ビル、ラーメン屋などを背景に遊歩観覧。

2007年4月1日(日)
大阪城、通天閣、富士山

陰。大阪城も高層ビルが周辺にできて偉容も低下中。桜8分咲。観客も国際的。中国の人たちは外見では日本人と区別がつかない場合が多いが、言葉のほかに、写真の撮り方があくまで人物中心なところが異なる。新世界にて串カツなどで昼餉。ピリケンサンは外国産と知る。帰路の富士は夕景の春霞に墨絵のごとし。一句ひねる。8時半帰宅。以上、嘘はあらず。