この半島をどう回ったか・・・旅日誌  2003年10月13日〜27日

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第1日は10月13日、第14日が10月26日


補足:アビラのあと、サラマンカの北方にあるサモラにも行き宿泊した。

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2003年10月13日昼に、成田を発った飛行機は、ロンドン、ヒースロー経由でスペインの首都マドリードへ深夜近く到着。

 第2日は、マドリードを見ずに、まずは
トレドに向かった。郊外には日本の狭い田畑と違って広大な畑地や草地が広がる。トレドはテージョ川の上流にあたるタホ川に沿ってできた街。カテドラル、サン・トーメ教会などをめぐってマドリッドに戻る。プラド美術館、スペイン広場、王宮などを見物。

 トレドは、雨が少い。樹が少く、手前に見えるとおりリュウゼツランが生える。普通はこの対岸から旧市街を望む。写真房にはその写真を掲げた。

 第日は、北に向かう。前方に山脈が見え始める。グアダラマ山脈である。トンネルを抜けて北斜面にでるあたりから石灰岩らしい切り通しや山肌が頻繁に見える。
セゴビアでは、ローマ時代にできて、街に山からの水を届け続ける水道橋、白雪姫の城=アルカサルなどを見る。グアダラマ山脈に沿って西行、城壁に囲まれたアビラ。その後、高原盆地を北西に向け長駆突っ切りサモラへ。サモラは、ドーロ川の上流のビスエルガ川の畔にあり、この川をさらに遡ると今回は行かないがバリャドリードがある。サモラではパラドールに泊。

 セゴビアのアルカサルからの眺め。川の畔は緑が多い。
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 第日は、サモラから南下、全く意識しなかったが、分水嶺を超える。ドーロ川のもう一つの支流トルメス川畔の
サラマンカへ。スペイン・バロックなど美しい様式が見られるマヨール広場、大変古い歴史を持つサラマンカ大学などを訪れた。辻邦生の「サラマンカにて」の印象を確かめるためには、観光ツアーでは無理で、もう少しゆっくりしないと。
 山間地と国境を抜けてエシュトレラ山脈を越え
ポルトガルに入りコインブラの街へ。国境越えは何もなくあっけない。コインブラでは、海岸平野に流れ下るモンデゴ川が街中を貫いている。ホテルの場所が分からず市内をぐるぐる回る。川を挟んで対岸に大学などのある斜面のきれいな夜景が広がっていた。

 サラマンカを流れるトルメス川はリスボンで大西洋に
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 第日。
コインブラ大学の図書館に歴史の重さを見て、坂道を下ったりしつつ市内を散策。エシュトレラ山脈は、モンデコ川の上流にあたる地帯から斜めにリスボン北郊のロカ岬に向けてまっすぐ走る山脈であるが、コインブラを発ってから、またその山脈、といってもそれほど高標高ではなくなっているが、それを越えて、テージョ川の流域に入りトマールへ。トマールは、リスボンから100kmほど遡っているのに、そこには、海にちなんだマヌエル様式のキリスト修道院がある。そのあと、再度、だいぶ低くなった山脈を苦もなく横断して戻り、バターリャを経て海岸の街ナザレへ。漁業の街である。美しい砂浜の続きに切り立った崖があり、崖上のシティオの展望台から雨交じりの寒風の中、下界の街を俯瞰。ホテル前に市場、のぞきに行く人も。ホテルのレストランの壁は、荒れた海で漁をする漁船と漁師たちの写真に覆われていた。

 バターリャの大修道院は、当時のカトリックの威光を伝えている
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 第6日、ナザレから少し内陸の丘麓の街、
アルコバサで王室の悲恋物語の残るサンタ・マリア修道院などを見た後、丘を左に見つつ南下し虹を見ながらオビドスへ。城壁に囲まれた小さな街。小雨の中、買い物をしたり、アズレージョの壁に囲まれて用を足したりした後、100km余の道をリスボンへ。ホテルは「ローマ」。

 オビドスからリスボンへの途上の村

 第7日には、まずテージョ川畔のベレンの塔、発見のモニュメントなど、大航海時代の繁栄をうかがう。ジェロニモス修道院の人ごみのあと、1755年の大震災に耐えた旧市街地区を歩き、新市街も散策して昼食。午後は、ユーラシア大陸の西の端
ロカ岬シントラの中世の王宮に寄り道して市内に帰還。ファドを聴きながらディナー。

 
リスボン旧市街は建て込んだ小路が多い。
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 第8日は、テージョ川を渡って、天正遣欧少年使節たちのたどった道を平野を横断して東へ。コルクをとるコルクガシの林が多い。
エボラでは、ローマ時代の神殿、大学、カテドラル。使節の少年たちもそれらを見て何を考えたか。高原を東へ走り国境を越えメリダ。円形闘技場、ローマ劇場。ローマの威光はイベリア半島の奥深くまで及んでいた。山間を北上してトルヒージョへ。パラドール泊。

 国境を越え再びスペインへ。スペインは畜産国。

 第9日。
トルヒージョではピサロの像、城塞などを眺め、そこより少し西に位置するカセレスへ。ローマ、イスラム、中世キリスト教と歴史の跡をたどった後、南下してシエラ・モレナ山脈の西部分を抜けアンダルシアの沃野へと走りに走りセビージャへ。

カセレスの高台より。穀物貯蔵のカントリーエレベータも見え穀倉地帯と思える。
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 第10日目。
セビージャ見物。スペイン広場は万博の会場でその余韻も国内各地方別の地図を描いたタイル飾りなどに残っている。アルカサル、大聖堂など見物し、ヒラルダの塔からは市内が良く見える。午後は自由行動も。

 
セビージャ、ヒラルダの塔から。中央左は闘牛場?

 11日目。グアダルキビル川にそってシエラ・モレナ山脈を左に見て
コルドバへ。ローマ橋を渡りメスキータなどを見物。午後はアンダルシアの高原をシエラ・ネバダ山脈をめがけて走り、その山脈を望む街グラナダへ。この日はよく走った。お疲れさま。フラメンコ・ショウは深夜に向けて盛会となるらしく10時頃から。

 
セビージャからコルドバへの道。アンダルシアは農業発展の可能性がまだまだ大きいと思われる。
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 第12日。早朝より丘の上のアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ庭園見物。連れ合いはダウンしてバスで休養。午後から、山脈越えで地中海へ抜け、山が海に迫るコスタ・デル・ソルを走り
ミハスで白い壁の家々を見る。途中、交通事故のあおりを受け渋滞にはまる。マラガに戻り飛行機でバルセロナへ。

 
アルハンブラの丘よりコルドバの街。コルドバは盆地の街。空は霞か大気汚染か。

 第13日目は、サグラダ・ファミリア、グエル公園、ピカソ美術館、市内見物。午後は自由行動。

 
サグラダ・ファミリアは工事中。

 第14日目は、ロンドン経由、翌10月27日朝、成田へ無事到着。
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