セピア色の思い出(2)


TADA君の小さかった頃
浅野忠雄くんは、
昭和13年6月12日 龍江省孫呉三笠町官舎で生まれました。


「.隣家の久江お姉さん(6才上)と官舎にて(昭和14年3月)」

お座りも大分上手になったころですね。
ブランコ(昭和14年5月官舎の横にて)



「5月になると野原の草木も一斉に芽吹き、大急ぎで春がやってきます。
外に作った自家製のブランコでご満悦です。」

なかなかお洒落なブランコでしたね。
大工さん(2歳半)



「何を作っているのでしょうか。既にこの頃から左利きでした。」

昭和18年5月5日 官舎玄関前にて(端午の節句)



右が忠雄くん、左が2才下の弟くん

端午の節句のお祝いに着物を着せてもらい下駄も履いてますね!

兄弟仲良く手をつないで可愛い。


白城子くんの小さかった頃
白城子くんは昭和17年2月に白城子で生まれました。
3番目に生まれた男の子でした。



夏の日に近郊の湖の近くで日光浴。
昭和18年お父さんの仕事の関係で新京に引っ越し。

お母さんに抱かれた白城子くん。
新京は山吹町2丁目櫻木寮に住んでいました。
父上の勤め先は国際運輸。

お兄ちゃん二人はお揃いの胸当てズボンとお揃いの帽子を被っていますね。
児玉大将騎馬像の前でも写真を撮っています。



あなたのやぎさんの子ども時代
あなたのやぎさんは昭和19年の4月に新京櫻木在満国民学校に入学しました。
この写真は1年生終了時に撮られたものです。
男の子たちは校庭に陳列してあった戦車の上に乗ってます。

あなたのやぎさんは、前から3番目の列、左から6人目の男の子です。
賢そうな顔してますね。



ノロさんの小さかった頃
ノロさんの説明によると:                      
寛甸時代の写真(昭和13年3月11日)。場所は寛甸の官舎の8畳の座敷、床の間もある本格的な和室になっていたのですね。
人物は後列向かって左が寛甸県副県長の父、前列向かって左から母、3歳半の私、同じく兄(双子)です。私の4歳上の姉はこのとき奉天の知人に預けられていて、寛甸にはいませんでした。兄弟の格好は水兵服に鉄砲ですから、上海戦争の海軍陸戦隊の格好、ということになりますね。

お母さんとお姉さん(小学2年生?)に挟まれて嬉しいノロ君です。お兄さんもお姉さんに寄りかかり気味です。兄弟はセーラー服ですね。昭和14年の多分安東でのひとこまだそうです。



fullaheadさん10歳の終業式(長春・順天小学校、昭和17年3月28日)
最後列向かって右から6人目。担任訓導は粟野三夫先生。
 昭和9年、「祖父帰国に際しこれを写す」 満3歳になる前。新京にて


バンビさんの小さい頃
昭和11年1月3日(吉林にて)
 温子(バンビ)さん 1年2ヶ月
昭和13年2月19日
冬の外出。毛皮のオーバーと対の帽子がとても暖かそうですね。(*^_^*)
父上の箱カメラでの作品だそうです。


masa君の小さかった頃
masa君の紹介。

「生まれは昭和十六年・満州の黒河という所。
父は満鉄系で満州生活必需品株式会社の所長
で満州各地を転勤で廻ったそうです。
弟(18年新京生まれ)妹(20年奉天生まれ)の3人
を連れて親はなにもかも捨てて引揚げてきました。
写真は親が持ち帰った3歳頃のものです。

満州生活必需品株式会社についてなにかご存知の
方連絡お待ちしております。」
色々調べた結果、背景の塔は撫順の「表忠碑」である
らしいと分かりました。
牡丹江の知り合いの家を訪ねた時のmasa君。

(抱っこされているのは弟さん、masa君は左下の男の子
です)

この女の子に見覚えのある方いませんか?
新京の同じ社宅の子どもたちと一緒。
帽子を被ったmasa君、可愛いですね。

この中央の女の子に見覚えのある方いませんか?
一歳のお誕生日も間近い頃でしょうか?

場所は黒河と思われます。
赤煉瓦が使われた、いかにも北満ならではの建物。

お父さんと思しき影が写り、masa君はそちらへと手を差し出
しています。
可愛いですね。(*^_^*)


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