日本の農業が抱える課題
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21世紀の日本の農業が抱える最大の課題は、アメリカの傘の下から脱却できるか、にあるように思います。そして、それは日本の政治・経済がそれを実行できるかどうかの一部でもあると思うのです。
まず第1に、アメリカ農業と同様な「効率」を日本の農業に求めるのは、土台無理というものです。WTOの農業交渉がまとまらないのも、アメリカなどがアメリカ並みの経済効率を欧州やアジアなどに要求することの無理を現していると解釈できます。アメリカでさえも、穀物メジャー主導の大規模農法、これは土地資源が豊富な下で効率、つまり利潤を最大限追求してきた結果ですが、それが、多くの農家を追い出し、土壌浸食や土壌肥沃度低下などで土地を疲弊させ、「あとは野となれ山となれ」の農業であるとして、米国内の心ある人々からさえ強い批判の的となっています。
もうひとつ、アメリカの要求の下で進められている「規制緩和」を農業にも押し広めることの問題です。日本で農地の流動化を、昨今議論されているように株式会社にまで拡げ農地保有を認めることは、「規制緩和」の流れの中では、農業にとっての一等地を企業や市街地に転換させてきた流れを一気に加速させる道を開くことになり、棚田に産業廃棄物の山を作るなど、決して農業を振興することにはならないと予想されます。BSE問題に見られるような輸入再開が先にありき、の対応は言わずもがなです。そもそも、アメリカが自国の農業保護の件数をわが国より多く保持しながら、日本に米を初め、多くの輸入障壁をとりはずせなどと要求するのは、庶民感覚では、理解できない論理です。
日本の農業はどうすればよいか、言うまでもなく難しい問題です。私は、従来通りのアメリカ言いなりの延長線上で日本経済を動かす限り、農業はほとんど救われないと考えます。「自動車のかたきを農業で」式のアメリカの要求をやむを得ないとする姿勢は、いじめられている子どもに追い打ちを掛ける親みたいです。新農業基本法で、食料自給率の向上をうたって、いろいろ手を打っても全く向上せず、目標を先送りして別の手を考えようともがいているのは、その象徴だろうと見ています。減反などで日本の農業を押さえつけておいてアメリカの余剰穀物を安いからと輸入し続け自給率向上は無理というものです。アメリカの顔色を見ながらの農政をして、日本の食料・農業・農村を自立させようとすることの矛盾。これはギャップがあまりにも大きすぎるのではないでしょうか。アメリカのため、を問題視することをタブーにせず、日本のためと単純化すれば、農政も農業もずっとやりやすくなるのではないでしょうか。
日本の政治・経済全体を見れば、平和な生活を実現するような政治・経済がほしいと多くの人は望んでいると思います。経済は、企業や国家の繁栄のためにあるのではなく、それらを構成している人々が、安心できる暮らしを実現するところに最大の基準があるのが本来ではないでしょうか。「利益が過去最大」を目標とするのではなく、利益を確保しつつ「顧客の満足度が過去最大」であるべきでしょう。それが健全な経済の基本だと思います。それを真剣に考えれば、アメリカの利益を最優先するような政治・経済などは論外ではないでしょうか。そして、いくらかの余裕を生じたとき、困難を抱える国を援助し、互いに喜び合える国際関係を築けば、戦争もなくなるはずです。政治家に投票するのは大企業ではなく国民なのです。政治家は文字通りに国民に公約を行い、それを実行すべきです。それらに向けた政治が展開されることが21世紀の目標であって欲しいと思います。農業・食料もその一部として機能するときに初めて発展が実現できるのではないかと思うのです。