美術展バブル
それは今から30年ほど前でしょうか、私が北海道の田舎街に暮らしていた頃、美術展は楽しみのひとつでした。何せ、田舎住まいの身なので、会場のあるところまで出て行くのが大仕事。私は、余り良くないことかも知れませんが、出張のついでに、美術展の開かれる会場に足を運んだものでした。東京へ出たときに、展覧会が行われていれば、本屋に行くのをやめて美術展に行きました。たまには、札幌、釧路といった地方都市にもそこそこの美術展が巡回してくることもありました。札幌あたりですと、何かの用事と抱き合わせで、それに向けて出て行くということもたまにあったのではないでしょうか。 今となっては、個々の作家や作品を思い出すのも大変なことですが、日本人美術家の作品の他にも、ゴッホ、セザンヌ、レオナルド・ダ・ヴィンチなど外国の巨匠の作品のいくつかを見ることができたように記憶します。画集などで、あぁ、この絵は見たことがある、と今でも身近に感ずることもあります。絵の価値がそれを生で見たことで自分にとっていっそうかけがえのないものに思えるのです。モナ・リザは、残念ながらさすがに機会を得ませんでした。だから、ルーブルには行ってみたいと思い続けていますが、未だ、機会を得ません。憧れの絵も、仮に見ないで終わったとしても、憧れ故にその価値を高めてくれます。 その後、特にバブル期には企業メセナなども盛んになり、そんな雰囲気の中、美術展もずいぶん増えたように思います。その頃、私は今住んでいるつくば市に転居して、東京はとても近い場所となり、これまた、東京への用事のついでなどに、時にはそれを目当てに出て行くことができるようになりました。 たとえば、私は自然環境に関心がありましたので、それらを対象とした美術は特別に関心を向けてきました。その時期には、例えば浅井忠の作品展、バルビゾン派の絵画展、イギリス風景画展を見に行ったことをよく覚えています。 また、白馬会の100周年には展覧会が行われそれにはせ参じ、小学校時代から教科書で慣れ親しんだ絵の本物に触れ感激しました。デューラーの版画にはドイツらしい思想性を感じましたし、レオナルドの素描からは私の当時の仕事のアイディアを頂戴しました。そして、水戸や笠間という大小地方都市にも美術館がオープンし、ついには、私の住むつくば市にも美術館ができることになり、時々そこに足を運ぶことにもなりました。 そんな流れは、いまでも続いているようで、あちこちに美術館があり、東京だけ見ても名前も紛らわしい豪華な大美術館などができ続けています。そして、有名作家やユニークな企画展が開かれています。ほとんどひきを切らないように開かれています。たまたま、手許にある新聞の夕刊(2008年4月23日)が美術を特集しておりました。それを見ますと、実にたくさんの美術展が行われていて、広告として取り上げられているものを列挙してみると、 ルオーとマティス特別展が汐留ミュージアムで、岡鹿之助展がブリジストン美術館で、シュルレアリスムと写真展が東京都写真美術館で、ルノワール+ルノワール展がザ・ミュージアムで、薬師寺展が東京国立博物館で、パリの百年展が東京都美術館で、柿右衛門と鍋島展が出光美術館で、ムンク展が青山ユニマット美術館で、モディリアーニ展が国立新美術館(6月まで)で、ウィーン美術史美術館所蔵静物画の秘密展が国立新美術館(7月から)で、それぞれ開催とのこと。広告には、おまけに、「ぐるっとパス2008=都内61(さらに5館増えました)の美術館・博物館等共通入館券&割引券(2000円)」と銘打ったものまで出ているのです。 私は思うのです、これは、美術展バブルではないかと。絵画芸術の大安売りになっていやしまいかと。これは、美術の価値をおとしめていないかと。 こんなに、あったら、見たいものも見ずに終わる結果になるのです。美術が身近になることは誠に結構なことなのですが、溢れるほどになってしまうと、行き過ぎとなります。多分、これは、どこかでお金が余っていることの証拠でしょう。庶民は、つましく暮らさざるを得ない一方で、豪華ビルが東京都心などに林立し、美術界ではこういう現象が起こる。昔、美術は金持ちがいろいろな理由から買い集めその一部は公共の耳目に触れるようにと美術館が作られました。お金持ちの名前を冠した美術館がいくつもあります。しかし、今、こういう事態を見ると、喜ぶことなのか、悲しむことなのか、あまりのインフレーション故に、あきれかえってしまうのです。
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