生誕100年 靉光(あいみつ)

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靉光(あいみつ)という画家の生誕100年の回顧展を見た。名前は、その奇妙さ故によく覚えていた(もともとペンネームが靉川光郎だった)のだが、絵そのものは書物の上以外では見たことがなかった。彼の38年の生涯の内、戦前から戦中にかけての時期に、大変幅の広い画種を残し、油絵、水彩、墨など、写実とシュールと幻想風など、洋画を基本としながらも日本画、水墨画などの要素を取り込み、風景画、静物画、肖像画とりわけ最晩年の自画像3作は代表作、などである。実に多様な絵を試みているのは、わが萬象學舎に相通じるものがある。私には、もちろん総合的に紹介するだけの知識も何もないが、いくつかの印象を記しておこうと思う。

ロウ画などというものを私は知らなかったのだが、ロウのほかにもクレヨンをも溶かし描く絵らしい。その絵の質感は、深さとでもいうか、ロウらしく艶があって、それでいてビロードのような厚ぼったい感じが出ている。繊細な線を描くことが出来る。静物、肖像など、たまたまか、小さな作品が多かった。連れ合いを描いたものは、中国風の装束で描かれているように見え印象的である。本展のポスターにも使われている。ロウ画などというものを何人の画家が取り組んだだろうか。

「二重像」という絵は、墨で画かれた自画像であるが、少し疲れたような顔の後ろに厳しい自分の顔がもうひとつのぞいている。細いペンで描いたような精密な線で描かれている。有名な絵に例えれば、ドイツの近世の画家、デューラーの騎士を描いた銅版画を連想させる。

「眼のある風景」という絵は、ごろた石の重畳する風景だが、穴の開いたごろた石が手前に奥にと重なるのだが、ひとつだけ眼のような穴が開いた岩が座っていて何かをじっと見ている。シュールっぽい幻想的な絵である。眼の力は巌をも通し、本当の姿を見通しているのだぞ、と言っているようでもある。

昭和18年から19年にかけて描かれた自画像3作は、同じ大きさの額に入っているが、いずれも絵を見る人(私)の右後ろ上方向に視線を向けた靉光自身である。ひとつは、顎を突き出して立つ像で、特徴はハンマー投げの室伏選手のように太い首と分厚い胸。ふたつめは、背景に枯れた梢が小ぶりにリアルに描かれ、本人は赤系統の衣装で眼鏡をかけて少し顎を突き出しているが、右目はレンズに光ってか見えない。3作目は、昭和19年作であり、3作の中では顎を最も引いている。首や胸はさほど厳つくないが胸は壁のようで毅然として立っている印象。前2作は、あたかも正面から吹いてくる風をまともに受けているのに対し、3作目は風に超然として小ぶりの眼がしっかりと未来を見据えているかのようである。彼が向いているのは、社会の動きか己の精神のありようか、それら両者か、そんなものが映し出されている。

彼は、中国戦線で戦後を迎えたが、昭和21年1月に上海で戦病死した。戦後に生きながらえたなら、もっと先へ技法やらテーマを推し進めていただろうと思う。

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