【ティオティワカン遺跡】

ティオティワカンは神々の座所≠ニいう意味でアステカ族によって名づけられた。
月のピラミッドから南にのびる死者の大通り≠中心に宮殿が計画的に配置されている。

死者の大通り≠ヘ基壇が未発掘であった頃、墓を内包していると考えられ名づけられた。
最盛期には面積が20kuに達し20万人を越える大商業都市であったと考えられている。

また、太陽のピラミッド(高さ65m一辺の長さ225m)が夏至の日に太陽が没する方向に
向いていることから太陽信仰、信仰の中心地としての役割も担っていた。

建造物は傾斜した壁面と垂直の壁面を積み上げていくティオティワカン特有の建築様式
タルー=タブレロ様式が用いられ、交流のあった地域の建築様式にも影響を与えている。

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