本殿

皇太子と定められた菟道稚郎子は年長の皇子、大鷦鷯(おおさざき 仁徳天皇)こそが皇位
を継ぐべきだと(譲り合いの3年後)自らの命を絶ったと...日本書紀に記されているそうです。

本殿は神社建築としては最古のものに属する建造物(平安時代後期)
内殿三社(一間社流造、桧皮葺)、後にこれらに共通の覆屋をかけたもの。...(=^..^)〆 --->