【三内丸山遺跡】 ・・・ 縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡や
平安時代の集落跡(約1000年前)中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっている。・・・そうです(=^..^)〆

特に縄文時代の大集落跡からは、たくさんの竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大量の遺物がすてたれた
谷(泥炭層)、大規模な盛土、大人の墓、子供の墓、土器作りのための粘土採掘穴などが見つかっている。・・・そうです

三内丸山遺跡展示室
掘立柱建物(左)・・櫓
掘立柱建物跡

大型掘立柱建物跡=i右)・・地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物跡。柱は地下水が豊富で木柱の周囲と底を
焦がしていたため、腐食しないで残っていた。・・・雨水でなく地下水が今日も溜まっていました。(建物内)

大型竪穴住居跡(前)と掘立柱建造物(後)
大型竪穴住居
竪穴住居跡

大型竪穴住居跡=i左)・・最大長さ32m、手前の水溜りは柱の跡(;^..^A 大小の柱のある住居(または集会所
共同作業所、冬期間の共同家屋)だったのでは?と考えられている。復元(中央)。竪穴住居跡&恁ウ(右)

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