子供のノイローゼ、胃潰瘍、糖尿病などの成人病の増加は、大人のそれと同じであり、日本の高度成長期の始まりである昭和30年代以前には見られなかった現象であろう。
これ以外にも手軽に利用できる外食への依存(主婦の手抜きだけとは言わないが)が進み、栄養よりも好きなものを自由に食べる事による偏食が、豊かな時代の栄養失調をまねき、それに加えて添加物の多い有害な加工食品に頼っている現代は、子供ならずとも健康を損ねる元になっていると思われる。
それ故、現代は子供の病気と大人の病気との区別がなくなってきている。受験勉強とコンピュータゲームおたくによる運動不足と相まって、肥満と成人病(最近は生活習慣病と言うのだそうだ)を加速させているように思われる。
ではどうすれば良いか?
第一に過度なストレスの元になっている学歴重視の考えを捨てること。有名学校卒が良い地位と名誉を得られるという幻想を捨て、子供が自由に自分の進路を見つけるために、側面から手助けをすることに徹すること。
それに食材に留意して有害な加工食品をできるだけ避けて、旬に見合った野菜や魚を調理する位の手間は惜しんではならない。農薬を使わない自然野菜などについては全国の生協でも扱っているし、家庭菜園や、わずかならプランター作りで収穫することもでき、自然に親しむ楽しみもある。いずれにしても食事に気を配り、一家団らんの時間をもって心を安らかにすることこそが、病気にならないためのキーとなるだろう。
もう一つ重要なことは、寝不足と過労に気を付けることであろう。ラジオだけでなく、テレビまでも明け方まで放送しているので、大人も子供も夜型人間になってしまい、子供は学校で、大人は会社で大あくびというのが一般ではないか。
また企業人は厳しい経営環境(これは会社側の口癖であるが)の中で生き残りと昇進をかけて、好むと好まざるとにかかわらず過剰な労働を強いられて過労に陥りやすい。身体を損なえば元も子もない。会社には温情主義はないのだ! 自分の健康が家族にとっても何よりも大切なはず。地位や名誉やお金だけでは幸せは買えない。残業も休日出勤も程々に、有給休暇は有効に使って疲労を癒し、ストレスを解消しよう!(「そんなこと言ったって−−−」と言っている内はダメ、死んでから後悔するよッ)
しかし、だからといって病気にならないことにはならないので、病気にならないように体を鍛え、身体の不調の兆候を見逃さないように五感を養うことであろう。では、そのために実践すべき事柄を列挙してみよう。
その1. 口内炎(唇、あるいは頬の裏側や舌の先や縁に出来やすい。希に歯ぐきにも できて非常に痛み、白い苔が生えたようになることもある。 特に トマトや梅干しなどを食べる時にひどくしみる。)参考までに下記の図書を紹介しておので、ぜひご一読をお薦めする。原因:過度のストレスや過度の飲酒などによる胃潰瘍の前兆
療法:南天の葉(赤い実のなる木でも白い実のなる木でもよい)を 適当な量を煎じて(採ったばかりのものでよいから鍋に入れ て5〜10分程煮る)少し苦味があるものを冷やして、それ を口に含み、うがいをする。 少なくとも朝晩、3日程続けると痛みがなくなる。 但し、根本的にはストレスなどの原因をなくすことは無論で あるが、できるだけ早期に治す(うがいをする)こと。
その2. 歯周病(歯茎の痛みや歯がぐらつく。歯医者へ行くと歯を抜かれてしまう事 がある)
原因:過労や過度のストレス。
療法:仕事をサボって、たまには息抜きをして休養を十分とること。 会社はあなたがいなくても大丈夫。俺はそんな有能な人間で はないと開き直ることで効果がある。(口内炎の療法と同じ)
その3. 痔の痛み(特に排便時の痛みは我慢の限界である。)
原因:便秘、身体の冷えなどが多い。
療法:と言っても痛みを和らげる方法で完全に治すことではない。 痛みがひどい時に、足の小指の裏をよくもむ。余程ひどい時 でない限り5分位もむと痛みは和らぐ。 過労や冷えを防ぐこと。 私は、自宅の和式トイレを洋式の温水シャワー水洗トイレに 改造して大変効果があった。
原因:腸の中の水分の不足と腸の蠕動運動の弱まりと考えられる。
療法:これは予防と排便の促進方法である。 夜寝る前にコップ一杯の水を飲むこと。牛乳ではダメ。 水分の補給はガンや血栓の予防にもなるそうだ。 特に老人になれば水分が欠乏しやすいので、汗をかいたら 水分補給を心掛けることが大切だそうである。 排便時に、手の親指の付根の脹らみの所をよくもむと排便が 促進される。 よく運動をすること。特に身体の捻転をよく行うこと。 私は西野流呼吸法を実践しているが、「華輪」という捻転を 準備運動としている。
その5. 腰痛の予防、および軽い腰痛の治し方(1人が押さえて2人でやるとやり 易い)
原因:腰椎骨の歪み。無理な姿勢、特に腕を伸ばして爪先立ちで 物を取ったり、重い物を腰を伸ばした姿勢で持ち上げたり した時
療法:布団の上に仰臥し、両膝を立てる。両膝をそろえて左右に 倒してみる。倒しやすい方に倒し、両膝が倒れないように 手で支える。倒そうと力を入れたままの膝の力をすっと抜 く。両膝が左右に楽に倒れるようになるまで、この動作を 3回位繰り返す。 次に、その姿勢で足の指先を持ち上げる。同じようにつま 先が持ちあがらないように押え、持ち上げようと力を入れ ている足首の力をすっと抜く。これを3回位繰り返す。 それぞれ約5秒位の間隔で行う。
「万病を治せる妙療法」 橋本敬三著 農山漁村文化協会発行
「西野流呼吸法 W気Wの奥義」 西野皓三著 祥伝社刊
西野塾 東京都渋谷区渋谷 2-12-13 TEL. 03-3400-2484
「家庭でできる 自然療法」 東城百合子著 あなたと健康社刊
この本は書店では取扱っていないので、TEL. 03-3417-5051へ直接注文して下さい。
現代はどうだろう? 検査の結果によるデータでカプセルやら錠剤やら、用途の指定された既製の薬がさじ加減もなく与えられる。患者も高価な薬や注射が処方されるほど満足感が高いのでは無かろうか。
さじ加減一つの安い薬を処方してくれる検査設備もない町医者へは誰も行かず、でっかいビルディングの大病院へ我も我もと押しかけ、患者があふれて問診時間も惜しむ流れ作業の一分間診療などとなるのである。だから大病院では、一人一人の特性まで把握してさじ加減をするなんてことは不可能なのである。(本当に不可能なのかどうかは、これから論議してみたい)
検査をして、その検査値が通常の値(平均値)より外れていれば、当然異常があると見るわけで、注射なり、場合によっては持ちきれないほどの有り難い薬を処方してくれるのである。外科ならともかく(外科でも、いらないと思う薬をたくさんくれるところがあるが)内科などでは、患者自身が検査と薬を有り難がっているから、このような結果となるのではなかろうか?
しかし、それだけではない。現代の医療システムそのものにも原因がありそうである。薬価基準の問題と検査設備などの償却費の問題があると思われる。
前者については、現在、審議会で検討されているようであるが、製薬会社や医療関係者の思惑も絡んで簡単にはいかないのではないかと考えている。ただ、患者自身ももっと賢くなることが必要ではなかろうか。患者自身が自分をよく知り、自分の健康管理と正しい医者の選択が出来てこそ、現代の医療システムが正されるのではないだろうか? 医療システム自体も改革する必要があることは当然であろうが。( Jun. 11. '97 )
私達は、病気は検査すれば分かり、薬を飲めば(時には手術も必要かもしれません)恢復するものと信じているのではないでしょうか? 確かに検査の値によって診断する現代医学(医術か?)が発達してきた今では、聴診器による昔ながらの診療は説得力を欠くのかも知れません。
しかし、全ての病気が必ずしも機械による検査値で判断できるものとは限りませんし、個人差も無視できません。ほとんどの場合(極端に言えば救急患者を除いては)必ずしも機械による検査を必要とはしません。何故かといえば、症状を聞いただけでほとんどの推定がつくものだと思います。
だから検査は、推定に対する検証(いわゆる念のために確認する)ための作業でしょう。患者を納得させるためのデータという意味でしかないでしょう。
大病院なら安心かというと、必ずしもそうではありません。大病院でも診断を誤る時は多々ありましょう。しかし高価な検査機器を持つていない小さな個人病院では、患者の診断を納得してもらうには大変なことに違いありません。
その反面、近所の行きつけのお医者さんでは、患者個人との付き合いが長いこともあって、患者個人の履歴や特性をよく把握しています。それ故診断が的確に行え、かつ治療薬についても無駄がない処方を作るに違いありません。
但し、診断が難しい病気の場合には、どうしても検査するための機器が必要になってきます。あまり高額な検査機器はとても個人病院では持つことができません。(私の会社で作っていた診断装置は、今は安くなりましたが当初1億円余りもしました)
それでは、これら大病院と個人病院とが併存していくためには(というよりどこででも的確な診療が受けられるようにするためには)何が必要かというと、先ず、患者の履歴が容易に取り出せること。例えば、個人で常に携帯できるカードのような形で情報を保存でき、どの病院に行っても患者の履歴をその場で見られるようにすることでしょう。
もう一つは、高額な検査設備を持たない個人病院が、検査設備を持つ大病院(あるいは公立病院又は試験検査専門の機関)との間でネットワークを組み、情報のやりとりが容易にできるようなインフラを整備することにより共存出来るし、患者自身もかゆいところに手が届くような診療が身近な病院で受けられるようになるのではないでしょうか。
これは夢のような話ではなく、やる気になれば容易に実現出来ることなのです。現在の医療改革の中で、これらについても十分検討してほしいものです。( Jun. 24. '97 )
老人になればなるほど医療を必要とする割合が増えるとともに、老人医療費が無料となれば、なおさら容易に医者に通う老人が増加しても不思議ではない。それによって医療費の負担割合の見直しを余儀なくされ、更に高齢化する老人医療について介護保険制度の確立が必要になってきたのである。
老人介護の問題については次章で論じるつもりであるが、高齢化してきた現代の医療について何が必要なのか考えてみたい。
何も医療の問題は高齢者だけの問題ではないと思う。高齢者=老人 と思われがちであるが、70歳でも、80歳でも元気に労働に従事している方がいくらでもいる。逆に仕事をしていない(職を持たない)人ほど、60代でも不健康になり易いのではなかろうか。
規則正しい生活を続けている人ほど健康人が多いのではないかと思われるし、健康な人ほど仕事に対する意欲が高いのではないかと思われる。この事は単に老人医療費の問題だけではなく、高齢者の健康管理と予防医学という問題に帰着するのではなかろうか。
多分今までもこれらの問題について検討されてはきたが、特に高齢化・少子社会の現出にあって改めてクローズアップされてきた問題だと思う。今までの医療は対症療法が主で、予防医学に主眼が置かれていなかった。無論この事は病院を利用する我々自身の問題でもあり、病院の経営の問題や製薬会社(だけではないが)の問題なども大きく関係していることは否めない。最近になってやっと薬価の問題や診療費あるいは検査に関する医療費については見直しが行われるようになってきた。しかしながら肝心の予防医学については、とんと話が聞かれないのである。
これからの老人医療にとって予防医学の見地から、定年退職年齢の見直しや高齢者の再雇用、定年退職者等に対する再教育、ボランティア活動への勧誘等の高齢者の活性化プログラムと同時に食生活の指導、体力作りというか、筋力の老化を予防する体操・運動等の奨励について真剣に取り組んでいく必要がある。これらを総合的に取り入れることによって後の老人介護の問題の解決にもつながることと信じている。( Sept. 8. '98 )
しかし本来「福祉」というのは、弱者、強者の区別無く平等に生活が出来る社会をつくるための施策ではないだろうか? そのためには、生活弱者や身体障害者が何不自由なく暮らせる環境を造り上げることであろうと考える。この事が「ノーマライゼーション」と言われることで、社会基盤を整備し、弱者は強者に遠慮なく意見を述べることが出来、遠慮なく援助(お金ではない)を要請することが出来て、それに対し社会が特別扱いすること無く助成できるシステムを造っていくことであろうと考える。
その目で社会を眺めてみると、何と弱者に対し無配慮なものかがわかってくる。第一、健常者についてみても、車社会の都市には歩行者が安全に歩行したり、自転車が自動車の危険を意識すること無く走れる道路が造られていないし、まして身体障害者が車椅子で安心して出歩けるようなバリアフリーな構造にはなっていない。
なぜ道路が車優先になっているのか、それすらも疑問に思う人が少ないのではないか。ましてや行政は公共事業として見せかけだけの都市や河川のコンクリート化を掲げ、健常者のための巨大な利用施設を造り、為政者の権力を誇示しようとする。
少数派である弱者、例えば身体障害者には大きな声で自己主張が出来ない雰囲気をつくっているのが現状であろう。全ての人が平等に生活でき、必要に応じ必要な援助を遠慮なく受けられることの出来るような社会システムを造ることが公共福祉の本質であろうと考えるのである。
そのためには市民自身が福祉に関心を持つとともに、福祉オンブズマン制度を取り入れ、行政を監査し意見を具申するようにする必要がある。また自治体は、議員や職員に積極的に身体障害者等を採用して、行政がそれらの人達の意見を取り入れて暮らし易い都市造りをすることこそ、重要であろう。そのことが翻ってすべての人に優しい福祉社会を造り上げることになると思う。
また少子高齢化に伴い老人介護の必要性が大変重要な事になってきた。この事は健康保険制度の財源についても大きな問題になっており、ついに政府は新しく介護保険制度を制定し、平成12年4月より実施することを決めている。確かにこの制度により老人(40才以上対象)介護の財源を確保しようとする点では解決できるものと思えるが、詳細に眺めてみるといろいろ問題点もある。
まず第一にこの制度の運用が市町村の自治体に任せられることによって、その自治体の財政の豊かさや施策の違いによって、保険料の相違や受けられるサービスに違いが生じることであろう。それによってはサービスのよい市町村へ移転するという事態が生じる可能性が出てくる。
また、介護サービスを受けるためには介護認定を受けなければならないが、公正な認定が出来るか甚だ疑問であるし、受けたいサービスが保証されるわけでもない。そして何よりも問題と思えるのは、老人が増えることによりそれに比例して介護の必要が増えることを前提にしていることであろう。
それでは何が問題かと言うと、少子高齢化がますます進むことにより介護費用は益々増加することになるのである。しかし、よく考えてみると「老人=介護」という公式は必ずしも正しくないことがわかる。100才でもかくしゃくとして現役で仕事をこなしている人も多いし、50才でもボケたり、成人病が悪化し介護を必要としている人もあるのである。
おわかりと思うが介護されないようにするには何が必要なのかということである。もしも、生活習慣病が減少できれば、要介護人口を減らすことが出来るし、高血圧によって起こる脳梗塞や脳内出血を防止できれば、それによって生じる身体障害者を減少することが出来る。
ということは、介護制度の中に最も重要だと思われる予防施策について述べられていないことである。予防医学については、国(厚生省)が中心となって地方自治体と一緒に真っ先に取り組まなければならない最重要な課題であって、これによって健康保険の財源の問題も、福祉の問題も大いに関ってくるのである。
予防医学については、私がたびたび話題にしているが、なぜ厚生省が積極的に動かないのかは、製薬会社や病院、更には特殊法人の老人介護施設の利害に関係するので、それらの圧力も大いに関係しているのではないかと邪推している。
健康を維持するために何が必要なのか。あるいは病気にならないためにはどうすればよいかは、誰でも知っていることであろう。一番重要なのは、小さい時からの食生活と生活習慣であろう。好きなものを好きなだけ食べて、夜更かしし、テレビゲームで運動不足。病気になれば大病院で薬漬けでは、人間の自然治癒力は当然働かない。
だからといって病院を否定し、薬を否定するわけではない。食習慣、生活習慣の指導、運動の奨励、ストレス解消方法の指導など病気予防のための指導、方法の啓蒙・普及が今後の介護問題の解決に寄与することは明白であり、それゆえ、今回の介護保険制度の中に予防施策が当然織り込まれるべきだと考えている。
既に「tommy のつぶやき」で述べているが、血液中のCaイオンを増加し、Mg,Pなどを減少させて、血液を弱アルカリに維持させる「交流高電圧高電位治療器」は、脳梗塞による半身不随や慢性リウマチで変形し動かなくなった手等を奇跡的に回復させるし、慢性高血圧症の血圧を正常にする。糖尿病、通風、静脈瘤、癌などの腫瘍、慢性喘息、ヘルニアなどに非常に効果があることを、私自身が2ケ月以上の無料体験コーナーを通して、実際に回復していく人達を確認している。
しかし、この治療器は、医学的な実証(権威付け?)がなされていないため、医療用具の承認を受けてはいても治療器としての地位を確立されていない。これら治療器は、普段の食生活の改善や生活習慣の改善、適度な運動、ストレス予防などと共に用いて、老人介護の問題解決に効果があると考えている。( Dec. 20. '98 )