『すたあと長田のサタデーエクスプレス』ゲストコーナー

Vol.18:1996年5月18日放送

テーマ:「逃げろ! 絶望しろ! 〜真野地区のまちづくり〜」

ゲスト(所属):
清水 光久さん(長田区「真野地区復興まちづくり協議会」事務局長)

清水さん

【聞き手】小野幸一郎&橋本吏賀(すたあと長田)
【テープ起こし】金原雅彦(同)
【校正】    沼田英俊(同)

ゲストコーナー一覧へ


小野:
「今日ですねスタジオに来て頂きましたのは、真野地区(長田区)のですね、復興まちづくり事務局の所長をお勤めでいらっしゃいまして、あと『真野っ子ガンバレ!!』っていうですね、週1回の通信紙の編集長もされております清水光久さんです。どうも! こんにちは」

清水:
「こんにちは」

小野:
「今日はよろしくお願いいたします」

清水:
「こちらこそ」

小野:
「どうもどうも。え〜と清水さんはですね、真野地区の方でずっとまちづくりの方に関わられておられていらっしゃいまして、この震災の時にも様々な取り組みをされてきたという事で、今日はですねいろんな話をお伺いしたいと。まずはですね、真野のお話を伺いたいと思うんですけれども、あの〜ま、僕は今ちょっと御菅の方でまちづくりの事とか少しお手伝いさせてもらってるんですけれども、あのまぁ何かにつけてですね、比較的『真野』の名前がやはり挙がって。ずっと『真野は違うよ』とか『真野は凄いから』とか(笑)」
橋本:
「そうねぇ。うん」

小野:
「……云う表現をですねぇ聞く機会が非常に多いんですけれども、え〜まぁ神戸の中でもあのまちづくりの取り組みがまぁ非常に歴史があるという事で、えー聞かされてますけれども、まあえーこれはやはり30年くらい前からっていう風にちょっとお伺いしてますけれども」

清水:
「そうですねぇ、30年以上になるかも分かりませんねぇ」

小野:
「最初はあの、工業地域になるになるんですか、あそこら辺は真野は?」

清水:
「重工混合地域ですね。まあなぜ注目されているのかっていうのは、ちょっと過大評価されているんですけれどもね。1つはあの、神戸市のまちづくり条例が出来る以前にまちづくり運動が始まって、で今神戸市と協定を結んでまちづくりを始めた地域では、第1号なんですね、協定結んだね。第2号が丸山で、まぁ順番にしていったんですけど、まぁ何でも最初やからという事で、まあ評価されていると思うんですが、うーんそれと1つはやっぱり、昭和30年代の後半40年代にかけてね、ま長田全般に非常にあの環境が悪かったわけですが、特にあの辺は運河があってですね、工場と家が混在してますから、非常にあの公害が酷かってね、でその公害をなくそうという運動から始まったんですよ。で、それでもう30数年やってますから、ただまぁ息が長いもんでね、注目されているとは思うんですけれどもね」

小野:
「うーん。まぁ、息が長い事が、逆にまちづくりでもある、っていう風に言えるのかなぁっていう感じしますよねぇ。震災からこっち、かなり多くの地域が全壊・半壊、もしくは全焼という形でですね家が無くなって、やはりもうまちを作らにゃならん、という事でまぁ百以上のまちづくり協議会と名の付いている所は、出来ていると思うんですけれども、真野はあの震災前からですね、その公害がきっかけというか、という事でまちづくりを始めたという事ですけれども、どういう大体展開でその、まちづくりと言っても中々ね、ピンと来る人と来ない人とね、いると思うんですよ」

清水:
「ちょうど今『真野っ子ガンバレ!!』を出しているんですが、うちの若い連中でもね、“まちづくりって何や”て言う子がおりましてね、先週から『まちづくりって何やねん』っていうシリーズをやり始めたんですよ」

小野:
「あっ、そうなんですか」

清水:
「だからあの、我々の世代より若い人はね、まちづくりそのものが分からんというのがありますからね、ま、歴史的に振り返って書こうと思っているんですが。さっき言った様に公害が酷かって、公害反対で住民運動が巻き上がって、で、その後地域起こしで入浴サービスとか給食サービスとかね、あるいは子供の為の公園創りとか緑化推進とか、ま、様々な活動をやった訳ですが、全部それは後追いの活動なんですよ。問題が出てきてそれにどう対処するかという運動でね、で、もうそういう事じゃ埒あかんという事で、え〜50年、昭和50年の初めにですね、真野を、宮崎市長(宮崎辰雄神戸市長:当時)とうちの住民リーダーとで本格的なね、まちの改造をやろうやないかと、言うので始まったのが、まちづくり懇談会、あるいはまちづくり検討会議というスタイルで始まったんですけどね」

小野:
「はーん。ま、ちょっと手元に資料があるのは『まちづくり推進会』とう名前の。ま、これにやっぱ当たる……」

清水:
「そうですね」

小野:
「……訳ですよね。まぁそうやって問題が出てきて、それにあるごとに、まぁそれに対処して行かなければ、という事でやっぱり関わられる方がどんどん増えていく、みたいな形に」

清水:
「そうですね」

小野:
「……なられた…ね。まぁえーと今回の震災ではですね、えーとまぁ40ヘクタールの所が被害に遭われたという事で、被害的には、ま、お亡くなりになった方が19人……。まぁこれもあの非常にやはりそういうずーっと地道な活動をされてきた事で、コミュニティと言うんですか、みなさんそれぞれのなんか力を合わせてやるっていう事が、非常に早くて、かつまぁ有効的だったっていう事で」

清水:
「そうですね。ま、特徴的だったのが火災がね、43戸で止まったと。ま、ご存じの様に鷹取とか菅原とか酷く焼かれましたが、あの一帯を焼かれたらダメだったんですけどね、43戸で止まったのがやっぱり住民のバケツ・リレーとかね、近隣の企業の消防隊が駆けつけて消したという事で、で、それでまぁ随分奇跡やという事で注目されてんですけどね」

小野:
「うーん。まぁその後避難所にみなさん入られた後も、そのずっと食事の物資の配給の事とかも、あの行われて、これもやっぱずっと街の方が主体で」

清水:
「うーん。ボランティアも慣れているからね、住民のまぁ当時は500〜600人が動いたと思うんですけどね。で、それで対策本部から今の復興事務所になり、今も常駐者を置いてね、まちづくり運動を支援しようという体制が出来ている訳です」

小野:
「なるほど。まぁそういう流れを追ってまぁまちづくりの途中で、こういう……結構まぁやはり……全壊なられた方もいるし、全焼になられた方もいるけれども、まぁそれでも歩みが止まるというよりは、むしろまた次に進むという形で行かれてるっていう風に……」

清水:
「そうですね。まぁ比較的被害が少なかったのと、長年の運動があった為に復興がかなり早いですね。もう震災直後のまま、という家はほとんどなくなりましたからね」

小野:
「それは凄いですねぇ!」

橋本:
「備えあれば、という……ねえ」

--------------------------(後半)----------------------------

小野:
「まぁ震災後ですねぇ、そういう地域のコミュニティを活かした形でのずっと救援活動・ボランティアの……と一緒にずっとやってこられて、今はその復興対策委員会が、え〜まちづくりの事務局という形で、今も事務局が真野の方にはございますよねぇ。そこでずっと活動されているという事なんですけども。つい最近ですね、新聞とかにも載って、まぁ仮設をですねぇ、真野の地域の中に建てられたという事で。まぁ結構ねどこの地区でもその、やはり住民の方がどんどん郊外に行かれてしまって、地区の中に人がいなくなってしまう、というまぁ現状があるんですけれども、やっぱりその真野の方でもそういう事を危惧して、やはり仮設を地域内にという事で、あれは進められたんですよねぇ」

清水:
「そうですね。まぁどこでもそうですが、郊外のね大量に建てられた仮設で自殺が相次ぐとか、孤独死が相次ぐという事で、地域でしか生活出来ないね、人達がいっぱいいるんですよ。その為に我々が災害後、昨年の春からね、神戸市に対して地域内の公園を使って仮設を建てて欲しい、という要求をした訳やね。で、もし神戸市がしない場合は、もう自力で建てますよ、という所までやって、で、何とかその引き出したのが『4戸』ね。4戸建てますという話があったんですよ」

小野:
「4戸!」

清水:
「民生局からね。で、頭にきて国へ行ってね、当時の震災対策担当大臣の小里(貞利)さんにね面会をしてですね、で実情を訴えて、で帰ってきたら途端に数が増えちゃって」

橋本:
「ええ」

清水:
「4戸が『104戸』になっちゃったんですよ」

橋本:
「ああ〜!!(笑)」

清水:
「で、今んとこ公園を2つ潰して建てているのと、都市計画持っている土地にですねぇ、2階建ての寮タイプのねぇ、仮設を104戸建てた。やっぱり喜ばれてますねぇ。地域で生活出来るという事が非常に大事な訳です」

小野:
「そうですよねぇ。それともうやっぱり皆全部の方がやっぱり、仮設に移られている訳ではやっぱりない……」

清水:
「そうねぇ4分の1くらいしか、真野の人入ってないからねぇ」

小野:
「あっ、その4分の1くらいなんですか。ああ〜。あとまぁ他地区の方が入居されているという形でねえ。でまぁそのやはり今、えー編集長をされていらっしゃいます『真野っ子ガンバレ!!』。あれは、その地域に住んでらっしゃった方々に送られている恰好になるんでしょうかね?」

清水:
「そうですねぇ。真野地区全戸配付で今、2500刷ってますけどね、毎週。これは地震が発生して、確か3月の初めから出したんですけどね。今63号ですけどねぇ」

小野:
「63号! ずっと毎週、週刊で。はぁー。『ウィークリー・ニーズ』はちょっと根性なくして途中から2週間に1ぺんに……(笑)」

橋本:
「そうねぇ、1週間に1回だったんだけどね、最初はねえ」

小野:
「えええええぇ………なってもうたんやけど。これはあのう、地区から離れられた方にもやはり発送は……」

清水:
「最近になって発送はしてます。住所がなかなか掴めなくてね」

橋本:
「ああ、それもありますねぇ」

清水:
「で、アンケート調査したり調べて、今170くらい出してるんかねぇ。で、結構その新聞を持って尋ねて来られるんですよ」

小野:
「ああ……」

清水:
「『住宅が出来ましたか?』とか『マンション空いてません?』とかねえ。非常に辛いですけどねえ。まだ建ってないからねえ」

小野:
「そうですねえ……。まぁあのう、幾つかいま計画が進んでいるものもあったりして」

清水:
「そうですねえ」

小野:
「ま、これからまだホントに大変だと思うんですけれども、またあのう、そういう真野の、でも真野がやはり実践されている事というのは、多分どこの地区でも通用するような事が……あるのかな?」

橋本:
「お互いにね、あるでしょうね」

小野:
「そういう勉強がボク自身もね、出来たらいいなと思うんですけれど。 (最後に一言「逃げろ、絶望しろ」〜人生哲学…の箇所、省略) ま、短い時間でホント申し訳なかったんですけれど、またあのホントにお暇な時にまた、あの是非お話聴かせて下さい」

清水:
「はい、有り難うございました」

小野:
「どうも今日は有り難うございました。えー清水光久さんでした」■


「FMわぃわぃ・ゲストコーナー一覧」に戻る


numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp