『すたあと長田のサタデーエクスプレス』ゲストコーナー

Vol.1:1996年1月20日放送

テーマ:「『つづら折りの宴』に向けて」

ゲスト(所属):
中川敬さん&伊丹英子さん(ソウル・フラワー・モノノケ・サミット

ソウルフラワー

【聞き手】小野幸一郎&金田真須美(すたあと長田)
【テープ起こし】金原雅彦(すたあと長田)

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小野:
「ずっとソウル・フラワー・ユニオンは、モノノケ・サミットと名前を変えて活躍していますが」

中川:
「京都の方住んでんねんけど、震災すぐ遭ってオレら飛んで行かへんかったクチやから、テレビで観ながらなんかブラウン管通してずっと悶々しててんね。で、オレらのなんか出来る事っていうか、それも何か人にしてあげるとかいう形じゃない、何か独特の事が出来るんちゃうか。あっ、よく考えたらオレら音楽出来るやんけ、みたいな。これ音楽をどっかで鳴らせばエエのや。それも、出来る限り沢山の人が迷惑しないような音楽が出来るやないか。普段すごい人に迷惑かけるような音楽やっているから(笑)。雑音走ってるから(笑)。いつもとまったく逆のことやれるやないか、みたいなとこで。けっこう沢山の場所でやってんけど、2月頃から、長田が実は一番多くてね、避難所とかテント村とかそういう所で。チンドン形態で昔の民謡とか戦前の流行り歌とかね、労働歌とかそういうのを。だからこれ聴いている人…何人おるんか知らんけど(笑)、これ聴いている人ン中で『あぁ、あの毛の赤い変な姉ちゃんおった! あのバンドか、あの楽団か』みたいな思っとる人おると思うねんけどたぶんね、一人か二人は(笑)。おると思うねんけど、そういう形でそういう時は、ソウル・フラワー・ユニオンではなくて、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットっていうバンド名でやってましたずっと」

小野:
「何でモノノケ・サミットなんですか」

中川:
「なんか人間がサミット開くよりは、モノノケとか妖怪がサミット開いた方が、地球にとってエエんちゃうかなという、そういうテーマです」

小野:
「自分らが別に妖怪やというそういうわけではなくて…(笑)」

中川:
「まあ、妖怪扱いされてるからね、世の中から普段(笑)」

小野:
「う〜ん(笑)。2月の初めからというと結構、震災起きてすぐですよね」

伊丹:
「初めて入ったの2月の10日……」

中川:
「灘の方の養護学校で初めてやらしてもらって。とにかく1月頃からいろんなボランティア団体とかね、連絡してたんですよ。『オレらロックバンドやけど、民謡とか出来ますから』みたいな。ちょっと情況落ち着いてきて……」

伊丹:
「おじいちゃん、おばあちゃん娯楽がないから、おじいちゃん、おばあちゃんに愉しんでもらおう、みたいな感じで」

中川:
「娯楽必要になったら呼んで、みたいな。で、一番最初長田の方は2月の12日やったかな、二葉小学校と新湊川公園」

伊丹:
「まだ電気通ってなくて、あの拡声器もなくて、あのタイガースのメガホンで(笑)」

中川:
「メガホンをマイクスタンドにガムテープでへばり付けて、そこに口当てて歌ってた」

小野:
「かっこエエなあ(笑)」

中川:
「そう、かっこエエと思ってやっててん。実は(笑)」

金田:
「あんたら嘘つきや(笑)。そうかなぁ?(笑)」

小野:
「どうでした? やった時みんな」

中川:
「初めは分からへんかってん。なんかすごい『なんやお前よそものが来てな、こんな大変な時に音楽なんかやって』言われるんちゃうかなみたいな。色々な不安があったけど、少なくとも怒るとか笑うとか、そういう事を人に提供するのがオレらのエンターテインメントやなと思っているから。もし怒られたとしても、ヘラヘラ出来るだけの強靱さあるからオレら(笑)。『スンマヘ〜ン』言うて(笑)。だから行かな分からへんでと。で行ってみた。行ったらどこも怒る人なんておらへんかった。ほんまにこっちがパワー貰ってんねん、なんかもう。こっちが初めドキドキしながらやってんのに、もうほんまに喜んでくれて」

小野:
「“聞け万国の労働者”。知ってました? 前から」

中川:
「この曲は知ってたね」

伊丹:
「でも、あんまり沢山の昔の曲を知ってるわけじゃなかったから、2月から来て、反対に教えてもらうねんおばあちゃんに。風呂屋のおばあちゃんとか、あと『40年前に奄美からわし来たんや、こんな歌あんで』って反対に教えてもろうて、レパートリーどんどん増えていったり」

中川:
「あと流しの楽団やと初め思われていたから、リクエストが凄いねんリクエストが!」

伊丹:
「『姉ちゃん(八代亜紀の)“なみだ恋”やらんかーい!』みたいな(笑)」

中川:
「『“十九の春”やってや!』って、おい“十九の春”って一体何やねんそれは、みたいなノリやってん。オレらほんまロックとかで来てるからずっと。知らんかって。2日に1回くらい来てて2月頃は。2日に1回の中日に帰って、レンタルCD屋に探しにいったりとか、あとウチのメンバーの母親がスナックやってるから、そこでカラオケでおばちゃんに歌ってもらったりとか“十九の春”」

伊丹:
「原曲知らん。おばちゃんの歌しか知らんて(笑)」

中川:
「まあそういうの聴いてコピーして、何とかその次の日には間に合わすとかね。というのを初めやってて」

小野:
「そうやってどんどんレパートリーが増えてった、みたいな」

伊丹:
「夏ごろには何曲くらいになってたっけ……50」

中川:
「いや、もう50曲くらいになってたよ」

伊丹:
「その50曲を引っさげてですね、夏には初盆のやぐらの上で、あの(長田区)四番町の小西のおっちゃんとかが呼んでくれて(笑)。長田の方で結構、夏祭り4本くらいやってたな。その時に(金田)真須美さんとも出会ったんですよ。衝撃的な出会いを(笑)」

小野:
「金田さんは長田で震災に遭って、結構ボランティア活動に参加されてましたよね」

金田:
「色々な所のお手伝いとか」

伊丹:
「今も仮設の方でバザーとか」

金田:
「遊びに行かしてもらってまーす(笑)。お騒がせしてます」

小野:
「たまたま祭りで会うたん?」

伊丹:
「去年の5月『長田復活祭』で会って、その時はちゃんと話したとかじゃなかったけど、その後の四番町の3丁目広場。あたしらそれから何回も行くたびにビラとか張ってくれて」

中川:
「応援してもらってたっていうか、オレらがこっちでやるのを潤滑にしてくれてたっていうか」

金田:
「最初は、ちょっと引いとったけども……」

中川:
「何で?(笑)」

金田:
「やっぱ、あたしのモラルの中に……」

伊丹:
「よう言う(笑)」

中川:
「何を言うてんねん、一体(笑)」

金田:
「『アカンでェ』と神の啓示が聞こえたんやけど(笑)、まぁ面白いことは何でもエエと。あたしの基本理念で『愉しい』。それが何よりやね」

小野:
「そういう風に衝撃的な出会いをして、桜亭(金田さんの店)の常連客になり……」

中川:
「夏以降だからこっちの方で演奏すると、必ず打ち上げは桜亭、みたいな。ソウル・フラワーは」

金田:
「洗い物までしてもらうこともあるし」

中川:
「(元)ボ・ガンボスの(メンバーの)‘どんと’来たときも、どんと連れていったりとか、なんかそういう風になっていった」

金田:
「みんな同じ気持ちの仲間内やからね。楽やわ」

小野:
「なるほど。で、ここから『つづら折りの宴』の話にいくけれども(伊丹)英ちゃんとかが、ずっと真須美さんとかと話しとって、長田で印象が強いということが色々積み重なって、やっぱ今回のやつになったと思うねんけど、そういうのでコレっていうのあります?」

伊丹:
「長田には特別な想いがあって、四番町で夏祭りをやった時もそうだったんだけど“アリラン”をあたしらが演奏した時に、沖縄から来た人はカチャーシーで踊るし、コリアの人はちゃんとチョゴリに着替えて、もちろん大和の人間は盆踊りの形式で踊るし一緒に。だから国際都市神戸! とか言うけど、海沿いの派手な建物、あんなもんじゃなくて、ほんとの……」

中川:
「ほんとのインターナショナルがそういうとこにあるなぁと思って。結構オレらやぐらの上で感動してんよ、やってて。こういうのすごい大事にせなあかんのやということ。いろんな人間がおるっていうのを認識してやっていくということが、すごいそこにあるなぁと思って。まあ、それは長田に限らず色々なところにそういうもんはあんねんけど、でもそういうもんをオレらは歌を通して感じたから、すごい印象に残って」

伊丹:
「特におじいちゃんやおばあちゃんは、自分のとなりの歌や踊りを大事にしながら、長田っていう所に30年40年生きてきてはったわけやのに、いま仮設住宅に散りぢりバラバラになってるっていう実情があるでしょ。もう一回その長田でみんな会ってもらって、仮設の人だけではなくて、被災した人はもちろんのこと、神戸でこの1年ボランティアで入った人間とか、東京とか他の地域でどうなってんのやろとか心傷めてた人、みんなを一同に集めて、どーんとお祭りをやろうやないかっていうことで」

金田:
「先はまだまだ長いけど、取り合えず1年目の区切りと。ここまでみんなよう来れたっていうだけで」

伊丹:
「復活祭! というようなデッカイもんじゃなくて、頑張ったなぁご苦労さんお祭り! みたいのを、実は明日(1996年1月21日)やろうと思っているんですよ。それは『つづら折りの宴』と申しまして、長田神社で。真須美さんが、いま走り回ってくれています」

金田:
「もうそろそろ終わりです(笑)。あとは明日死ぬだけ(笑)」

中川:
「初めはほんま小っさいものやろう思ってんけどね。小っさくてもいいから、なんか今までの知ってる人らの顔が見えるような祭りやろう言うてたんが、えらいどんどん大きくなってって、ミュージシャンのほうも結構メジャーなミュージシャンからマイナーなミュージシャンまで結構みんな手弁当で来てくれるから、ノーギャラやし、もちろん交通費も出えへんから」

伊丹:
「結構、東京でこのメンツでしたらみんなビックリして『すごい豪華なメンツやなァ!』。長田のおじいちゃんおばあちゃん『何じゃいこりゃ』思うねんけども(笑)」

金田:
「おっちゃんおばちゃん、何じゃらホイちゅうのが来ますんで」

小野:
「でも、やっぱ来はったらきっと愉しんでもらえるようなものに」

中川:
「っていうか、日本の音楽史に残るようなイベントやとオレは思ってんけどね。友部正人、ヒートウェーヴの山口(洋)、素晴らしいソウル・フラワー・モノノケ・サミット、元ボ・ガンボスのどんと、元(喜納晶吉&)チャンプルーズの平安(隆)さん、あっ、元が続いたな(笑)」

伊丹:
「大阪の方のちんどん通信社・東西屋さんっていうのも、15人編成っていう、いつもはない編成で(笑)」

小野:
「フル・オーケストラちゃうねん(笑)」

中川:
「また元やけど、元ヴォイス&リズムの石田長生。そしてリクオ。中々すごいメンツやなぁと思う」

小野:
「演る曲というのが、流行り歌とか沖縄民謡、韓国民謡‥まあそういう曲が、みなさん……」

中川:
「まぁみんなに、オリジナルも出来る限りやってもらおうとは思ってんけどね、やっぱり」

金田:
「取り合わせて」

小野:
「そういう準備を、ずっと真須美さんは走ってきたわけやけど、その心意気をじゃあ受けてっていう、そんな気持ちで走ってはったんかな」

金田:
「最初はあったんかもわからんけども、動き出したらそんなんは微塵もなくなるし。あと1年前のことを振り返ってみて、一杯の水を分け合った時の気持ち、あの気持ちをもう一回思い出せたらなと思う。ウチは家が立ち直ったヨソは別と、そうやなくて、あん時の気持ち、優しいような、モノがなくても思い出せたら最高やと思ってます」

小野:
「じゃあ最後にみなさん一人づつね、ラヴコールというか、目の前に長田の人がおんねんという感じで語ってもらえれば」

金田:
「仮設の方々、まちの人、元まちの人、それと元ボランティア、いま従事しているボランティア、もうみんな一緒くたに集まって一日同窓会、愉しみましょう! 待ってます」

中川:
「これはあくまでもオレの考え方やねんけど、ほんまに6千人もの人が死んだわけやねんから、喪に服しておとなしくするんじゃなくてね、6千人も死んでんからこそ人間的なね、祭りっていうかコミュニケーションっていうか付き合いっていうかそういうもんを復活させなあかんと思うんね、この日本の中でね。オレらはずっとそういうつもりで音楽やってるし、こっちの方にも出前ライヴやりに来てるし、だからおとなしくしている手はオレはないと思ってるから、明日はほんま騒ぎに来て欲しいなと思ってます」

伊丹:
「1年間『がんばろう、がんばろう』って言葉が溢れかえっていたけど、まあ肩の力を抜いて今年はまあボチボチみんなで行きましょう、ってことで明日会いましょう」

金田:
「なんか真面目やったねみんな(笑)、珍しい!」

小野:
「ハイ(笑)、そんなわけで震災後1年過ぎました。長田神社さんでやるね、たぶん震災後初めてやる愉しい祭りじゃないかと思うし、僕も当日は会場に行って……」

伊丹:
「働いてもらいます(笑)」

小野:
「働かさせて……、ゴミ拾いとか落ち葉拾いとかその程度しか出来ませんけど(笑)。出来ることならほんまずっとおって、みんなと愉しんでもらえればと思います。忙しい中、ほんまゴメンナサイ。どうも今日はありがとうございました」■


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