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好きなものいろいろ

>> 2003/05

[ フュージョンの定義 ]
物事を定義つけるのは非常に難しいのですが、よく「フュージョ
ンって何?」とか「○○○はフュージョンなの?」と聞かれることが多いので自分なりの考え方の中で定義付けてみました。

まずフュージョンの曲調は、インストである事が多い、単純なコード進行が少ない、16ビートの曲が多い、16分音符のシンコペが多い、曲中に楽器のソロがある。ベースやドラムでも希望すればソロができる。

ミュージシャン的には、技術的にうまいミュージシャンが多い、ベーシストの大半がチョッパー(私はこう呼びます)好き、ベーシストは5弦・6弦のベースを使いたがる。ベーシストはフレットレスに挑戦したがる。ドラマーはラテン系を練習したがる、ドラマーは一応4ビートができる、
楽曲的にロックであってもフージョンミュージシャンと呼ばれる人達が多数参加しているアルバムやバンドはフュージョンにカテゴライズされても良い。

1.アルバムの参加ミュージシャンの殆どがフュージョンミュージシャンであること。


例外

微妙な線
ジョージ・ベンソンはれっきとしたジャズ・フュージョンミュージシャンだが "In your eyes" 以降はブラコンにカテゴライズされる。 "Give me the night" も音楽的にはブラコンであるが、随所にジョージ・ベンソン節が見れるのでフュージョンアルバムにカテゴライズ。

バリバリのフュージョンミュージシャンがリーダーでもリーダー以外がフュージョン畑の活動をあまりしておらず音楽的にもフュージョンから離れているバンドはフュージョンにカテゴライズされない。(ハービー・ハンコックのロックイットバンドなど)

どんなに音楽的にフュージョンから離れていてもバリバリのフュージョンミュージシャンのソロアルバムはフュージョンにカテゴライズされる。(ウィル・リーやオマー・ハキムのソロアルバム)
2004/08/21(Sat) 晴れ


[ フュージョンとの出会い ]
私のフュージョン(当時はクロスオーバーと呼ばれていましたが)との出会いは、高校2年の時(1967年)スタンリー・クラークのスクールデイズを聞いたことです。その頃の私はバンドでドラムを始めて約1年、メジャーセブンやサスフォーも知らない頃で "Hot fun" や "School days" のベース、"Life is just a game" のベースとドラムにびっくりしたものです。当時の音楽雑誌に「スタンリー・クラークのベースは本来のベースの役割を全く無視している。」などと書かれていましたが私は大好きでした。
その直後にアル・ディ・メオラの "Land of midnight sun" を聞いて又びくりしました。スティーブ・ガッド、スタンリー・クラーク、チック・コリア等も凄かったのですが、やはりジャコのベースとディメオラのギターにはやられました。
しかしその頃はツェッペリンとグランドファンクにはまっていた私はフュージョンにのめり込む事はありませんでした。その後友人から借りてフィル・コリンズの在籍していた "Brand X" や "Prism" なども一応聞いてました。
時は高校3年の文化祭シーズン3ヶ月程前、私とは別のバンドでギターを弾いていた友人に「学園祭でリー・リトナーをやろう。」と誘われ、ダメダメでしたがなんとかやり終えました。選曲はダイレクトカット盤の1枚目からがほとんどでした。
それからリトナーをきっかけにフージョンにはまり、18歳のその頃から今にかけてずっとフージョンファンです。
2004/08/19(Thr) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:atsushi 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]