山田顕義 やまだ あきよし
生没年 天保15年(1844)〜明治25年(1892) 分類 軍人(陸軍中将)・政治家

略歴
 萩藩士の長男。安政5年吉田松陰の松下村塾に学ぶ。文久2年11月御楯組血盟に参加。久坂玄瑞の光明寺党に加わり、馬関攘夷戦に参加。中山忠光とともに上京し、八月十八日の堺町門の変後帰国して、狙撃隊を創りその長となる。元治元年周防国三田尻で河瀬真孝と御楯隊を結成。高杉晋作の決起に呼応して、俗論党政府と戦う。四境の役では、高杉晋作とともに小倉領を攻撃した。御楯隊と鴻城隊が合併してできた整武隊の総督に就き鳥羽・伏見で戦った。五稜郭を攻略では陸海軍参謀。明治新政府では陸軍少将。岩倉遣外使節に随行して欧米の兵制を視察し、東京鎮台司令長官。明治11年陸軍中将。その後陸軍中将、司法大臣、勅選貴族院議員、枢密顧問官と進み伯爵。日本法律学校(現日大)、国学院の創立にかかわった。枢密顧問官。
場所 東京都 千代田区 日本大学法学部
 

場所 山口県 萩市 顕義園

 


場所 山口県 萩市 萩往還公園





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