勝速日神社の祭礼
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 勝速日神社は,西町中町東町山中町の氏子中でそれぞれが山車を持ち,春季例大祭に御輿と,山車が引き出される。五穀豊穣,家内安全,商売繁盛を祈る祭りである。
 山車は,漆塗り,金箔仕上げで,豪華なつづれ織りの垂れ幕(見送りの幕)で飾られ,鈴鹿市の指定文化財となっている。
 それぞれ『鷹に松』『唐獅子に牡丹』『竹に虎』『菊慈童きくじどう』の図柄。
 安政七年(1778)当時の各町内に住む豪商たちが寄進した。

 中国では松竹梅歳寒三友さいかんのさんゆうといい,寒さに耐え抜くそれぞれのもつ意味を人生にたとえた。
 これが日本に伝わり室町時代ごろから吉祥文様として慶事に多く使われるようになった。
 めでた い吉祥柄を使い,魔物怨霊を払ったり,また 延命長寿や無病息災,富貴などを願ったのである。

 唐獅子は謡曲の「石橋」に基づいたもの。

 大江定基が出家して寂照法師と名乗り,各国の仏跡霊地を巡礼して中国の清涼山に至る。
 そこでとある橋を渡ろうとすると,童子(又は老人)が表れて数千丈の谷に懸かるこの橋は苔が滑らかで,世人は渡ることが適わないと告げた。
 やがてそこに文殊菩薩の眷属の獅子が出現し,香しい匂いがたちこめて牡丹に戯れながら御代万歳を寿ぐという物語である。

 菊慈童の題材は中国に求められ,能や歌舞伎になって江戸時代の人はよく知っていた伝説。

 周の穆王に仕えた慈童が,他人の嫉みによって山に流された。
 しかし,時の帝に「菊の葉に句を書きつけて毎日唱えよ」といわれた。
 そうしたところ,菊の葉から落ちた水は川となり谷へ流れ,その水が天の霊水となり七百年もの長寿を得たという。
 
 『奥の細道』の旅のなかで,芭蕉が山中温泉(石川県加賀市)に残した一句。
 温泉でゆったりくつろげば,菊の花を手折らずとも山中温泉の湯は菊の香りがしてまさに霊水である。
という意味である。
「…菊の露を飲んで七百年も長生きしたという話など,ちょっと信じられない…」
などと,話の腰を折ってしまう今と違って,故事を背景の知識として,句を詠み楽しむ江戸時代の人は,言葉の感性において現代人よりレベルが高かったようだ。

 さて,元禄の頃に江戸で流行した絢爛豪華な祭りの山車(屋台)は,ままたくまに日本各地に伝番した。
 大津・水口・愛知方面などで祭の山車が発達し白子も時期的には同じく古い。
 山車にはからくり人形が乗るもの多いが,白子町は人間が乗って,山車の一番高いところで歌舞伎芝居などの演劇が行われた。
 そうして,山車を牽き回す時は着飾った子どもを乗せたのである。
 山中町の辺りは,当時は道路が細く山車をひくのに苦労があったという。
 こういった大きい山車が白子の町にも登場したということは,とりもなおさずこれをきまわすことのできる道路をもつ町がその時代につくられていたことを意味する。
 このことは,小さな地域共同体で神社の年間の経費がまかなえるようになったということであり,白子の町の経済が豊かになって ,大金持ちが現れ,人口が増え町の勢いが増したことを意味する。

 廻船問屋,伊勢型紙の商人,富豪な農家などの寄付によって山車が建造され,東町のものは金銭銀銭を存分に使用して一すん作るのに一両かかったと言われる。
 東町は三井家とならぶ五大財閥の豪商久住家の寄付によって作られた。
 久住家は江戸廻船と肥料の販売で莫大な富を集めた商人である。
 現白子公民館あたりに位置する山中町は,一見仁兵衛家という大地主で,所有する土地の広さが25万u余りあったという。
 中町には伊勢型紙で財を成した商人があり,特に山中重兵衛家(屋号を重子屋という)が中心になった。
 西町に
は同じく型紙問屋の最大手である寺尾斎兵衛家があってそれら大富豪たちが競い合うようにして山車が建造されたのである。

 現在,経年の傷みが生じて,山車の修理が必要となっているが見送り幕だけでもその修理に1千万円,外の部分の修理も行うと1億円はかかるのでとうてい修理は望めず困っているらしい。
 車輪に鉄を巻くだけで10万円はするのに,鈴鹿市からの補助金は一万五千円ほどで何とも心許ない。 

 御輿や獅子舞はいわば神様の家庭訪問。
 小回りがきき,短い時間のうちに家々をまわり厄をはらい,家を清め,福をさずける神事をおこなう。
 勝速日神社の御輿はなかなか立派なものだ。 
 共通の神を祭る氏子である事の認識を伝え,ていねいに各家庭から祝儀を集めることができる。

 一方,山車はあらかじめ集めた寄付で行事が経営される仕組みである。

 御輿(みこし)にしろ,山車にしろそれらは神をのせて社領を練りまわるのであるが,当然,装置が大きくなれば移動できる範囲は狭くなり,大きさに比例して関わる人員は増やさなければならない。
 山車の組み立ての風景。
 組み立て作業も含めて祭礼は県の無形文化財として指定されている。
 解体してしまってある地区は組み立てるのに4
時間ほどかかり,結構手間がかかる。

勝速日神社】  
 元は,寛永十一年(1634)に紀州藩の別邸と代官所を創設するとき時,久留真神社を移転したが,その氏子が南北の二派に別れた。
 北側(白子駅に近い方)の住民が栗真にあった「八重垣神社」と「勝手明神」を遷して一社にし,現在の地に『勝速日神社』をつくった。
 八重垣神社は素盞鳴尊すなわち牛頭天王を祀っているので,この土地あたりを牛天王(ごてんのう)と呼んだりするようになった。また,勝手明神の由来から神社を勝手さんとも呼ぶ。
 勝速日神社の祭りに使われる用具と一緒に長い間しまわれていて,誰も気にとめなかったのであるが幔幕が最近注目を浴びることとなった。
 二種類あり,一つは波間に漂う鼓の図柄で,『鼓ヶ浦伝説』でおなじみのもの。
 そして,あと一つは『朝鮮通信使』をテーマにした物であった。
朝鮮通信使行列図染絵胴掛】 白子西町自治会蔵