箱膳
 江戸時代は,一人ずつ箱に食事道具が入れてあって,一人ひとりが自分専用のお膳で食事をした。
 右が春慶塗で作られた箱膳といわれるもので,これは引き出しの付いた明治期の伊勢春慶のもの。
 蓋を裏返すと盆に早変わりし,その蓋の表側に浅い彫り込みがあって,膳として使うときに滑らないように,はまる工夫がなされている。
上(左)は, 箱膳を収納しておくケースだが,日常使いとはいえども大事な物は箱にしまうという几帳面な日本人の性格が表れている。
 食べ物を粗末にしない時代であったから,箱膳も一つひとつ大切にされていたことがわかる。
 箱膳の中には,飯碗(ごはん茶碗),汁碗,皿,湯飲茶碗,箸などが収納され,次の食事の時もそのまま箱膳を出してきて食べたもので,山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』で,清兵衛家の食事のシーンに出てきた。
 食事が終わるときにタクアン(オコウコ)で茶碗,または塗り物のお椀の中を拭き取って食事を終え,最後に茶碗にお茶を注いで飲む。
 お茶を飲んで,それから布巾ふきんで茶碗や箸などを拭き,茶碗やお椀は裏返し,ふたをしめ,棚にしまうというものである。
 自分の使うものであるから,きれいな布巾を使って臭いの残らないようにきちんと拭いて食器を大切にした。
引き出しのない箱と蓋だけの箱膳も多く使われた。
 2本の足がつけられた膳
などは,法事や祝い事などの来客に用いられた。
 箱膳はふだんに使うものとして,農家や商家でも広く使われていた。
 先の(武士の)家庭の絵では,形が異なる膳をめいめいが使っている。
 家や地方によっては,丸い 形のお膳や足のない四角の平膳ひらぜんなどを用いていた所もありさまざまなようである。
 一人ひとりに,自分用の箱膳があるわけで,
「これはお父さんの箱膳,これはお母さんの箱膳,これはお兄さんの…」
というように,自分用を決めて使用した。
 子どもの箸揃はしぞろえ (食初め)の時に,箱膳を買ってそろえたといい,およめに行く時は,必ず持って行くものであったという。
 箱膳は囲炉裏いろりをかこんで食事をしてきた古い時代から,長い時代を通して続いてきた習慣である。
 おおむね昭和の10年代から戦後まで使われていたが,やがて丸い卓袱台ちゃぶだいに集まって食べる家族団らんの食事スタイルになっていく。
 一つの鍋を囲んで食事をする鍋物が食卓に登場するようになったのがその理由かもしれない。
 戦後になって,家父長制が薄れ,家族の間に民主主義が受け入れられる様になったことが,父親を前座にして四角く集まり正座して食事をするスタイルから,円卓に食事を囲むよう変わっていったとも言える。
 家族秩序の民主化が見えないところでの変化していくのがおもしろい。
 右は,台の中央に丸い穴が空いていて,ここに七輪を差し込んで,すき焼きや鍋の料理が出来るようになっていた。
 足は折たたんで片付けやすいようになっており,食事が済むと部屋の片隅に立てかけておくこともできた。

 昭和二十年代後半には,食べ物 が豊かになるとともに西欧の文化が広がってくると,それに伴って食事のスタイルも変化する。
 カレーライス,うどん,パン,目玉焼き,すき焼き,丼物,漬け物などを,食べ物ごとに盛りつけ,食器を変えるようになって,陶磁器の需要がにわかに伸びた。
 江島本町のフレンド洋裁女学院の前には,毎年1月の21日〜23日に,植木や瀬戸物の市がたって,露店がならんだのはこの頃である。
 陶磁器の焼きの良さを調べるのに指ではじいたり,茶碗を軽くあてたりして「チン,チン」と賑やかな音が響いた。

 

 食器が増えると伊勢春慶の箱には収まりきらず,いつの間にか使われなくなってしまった。
 古い家を壊し新築するときに,伊勢春慶は不用になり捨てられ,製造元も時代の変化に対応できず,やがて伝承さえも消えて無くなっていったのである。

 写真は,ほとんどゴミのように積まれて,古道具屋さんやリサイクルショップでみかけ,三個が100円くらいで売られている場合もあった。
 色やつやはまだまだで,小物を入れたりして使えばアンティークで味わいがある。

 岡持ち(出前箱)   弁当箱 (ふたを開けたところ

復活の動き
 高級品と量産品の中間をねらって,漆塗りのエコロジーな良さを復活しようと,伊勢市の伊勢河崎商人館を中心にふるさとの漆器・再生の動きも起こりつつある。