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12/30
本年の仕事納め。
よいお年を。

12/29
外は雪。
Specialにて、またもや新人AV女優、鈴木桃子さんをアップ。
負け犬が徘徊するいま、20歳で未婚の母に。
波乱に富んだ半生なれど、逆境にめげず、愛をもちつづける。
その心意気やよし。

12/28
遅まきながら、坪内祐三氏の新刊「文庫本福袋」(文藝春秋)で
「裏本時代」(新潮oh!文庫)が紹介される。
来年、版元をかえて文庫化の予定。

12/27
風邪も快復。
府中の3億円事件、単独犯、複数犯、様々な説が飛び交う。
最大の謎とされる白バイ隊員の自殺した息子。
遺族のかたから一言、やっとコメントをいただく。
詳細は、実話GONナックルズ2月号にて。
連作小説「もてる男」も好評。
しかし妻子持ちはもてる、などと誰が言ったのか?
実感として、妻子持ちは男の範疇に入らないあつかい。

「フルーツの夜」文庫化、この連作小説に執筆者として励みになるメールも読者からいただく。
以下、勝手に再録。
●「スカウトマン」の中で、竜が語る運転士時代の思い出。あの話のディテール
には驚きました。こうした細部にこそ、小説の真髄が宿るのでは、と、いたく
感じ入りました。
●「フルーツの夜」で育児に疲労した奥様が、津軽弁を突然話し始めるところ。
ずっと重なっていく奥様のストレスが、ついに爆発した、と思うのですが、そのきっ
かけとなる出来事は、うんこが人の顔につく、という、本来、もっとも原始的に喜劇
的な場面です。しかし、それまでの積み重ねで、非常に不吉な感じを抱いていまし
た。いったい、どうなるんだ! と思いましたが、奥様の口からは、あの津軽弁が!
幾層にも重なった悲劇、喜劇のミルフィーユのようで、どっちなのだか、よくわから
ない感情の吐露だと思いましたが、非常に感動いたしました。

●同作品で、豪君といっしょに本橋さんが新大久保のロッテ工場を歩く光景。
わたくし、結婚はいたしましたが、子供はまだできておりません。この作品を通じて
ですが、子供を持つということの喜びと不安とがないまぜに感じさせていただき、
なんだか、子供を持つための準備ができたのではなかろうか、などと思って、
しまいました。実際、けっして甘いものではないと思いますが。

●一番鮮烈だったのが、「わが神経症」で、柳井さんが本橋さんに「ひーん」といっ
て泣きつくところでした。
 この言葉は凄いです。字面で見ると、かなりユーモラスなものなのですが、
状況を考えてみると、かなりの修羅場が思い描かれます。そこに生じるギャップ
のおかしさ、さらには、そこから背筋がぞっとするような恐怖を感じました。
 また、この状況を冷静に見つめる筆者の目が、非常に意識されました。

●「川越エレジー」でも、悪党であったはずの矢島氏に好意を抱いている瀬戸内
さんに対して、本橋さんは「鼻血を流しながら、彼女のブルマーを守り通したのが誰
だったのか、という言葉をかみ殺し」ていらっしゃいます。ここでも、一歩引いた
作者の目があって、そこにはノンフィクション的な匂いとでもいうものが、残ってい

ように感じました。

メールに感謝!

12/20
久しぶりに撮影現場に顔を出す。
が、スタジオでまたもや風邪をこじらせる。
息子の風邪がうつった模様。
今年の風邪はしつこい。
みなさんも注意されたい。

12/15
風邪もなんとか快復。経済誌、企業情報誌、メルマガ、各編集長、デスクと
歓談。
その合間に、8等身Gカップ、もっか売り出し中のあいか瞬さんと歓談。
(Special)にて公開。

12/8
風邪がまだ尾を引く。
うがいは、まず口中をすすぎ吐き、後に喉奥をゆすぐ、という
方法でないと効果がないらしい。

12/3
幻冬舎アウトロー文庫に連作短編小説集「フルーツの夜」(河出書房新社)
が12月6日、仲間入りを果たす。(Bookコーナー参照)。
解説に、マネーの虎・高橋がなり氏。
今回は、元版でさりげなく隠し絵として書き込んでおいた、
箇所を公開している。
他の作品に登場していた人物の関係者がひょっこり顔をのぞかせた
シーン、他の作品で登場した場所が何気なく背景として登場するシーン。
メイキング好きなかたには受ける仕掛け。
人間は当人が知らぬまに、他者と他所とでつながっているという真理を堪能されたし。



12/2
週刊実話の連載、今週号で終了。9年ぶり、4年ぶりに彼女たちと再会のチャンスを与えてくれた編集部に感謝。
「朝日新聞から週刊実話まで」を心に抱く私としては、ありがたい連載だった。

12/1
「自殺されちゃった僕」(飛鳥新社)
の著者、吉永嘉明氏と食事。
吉永氏は奥さん、仕事仲間のねこぢる、鬼畜系のカリスマ・青山正明。
大切な3人を相次ぎ自殺で喪う。
愛妻の自死から1年。立ち直るために本をやっと書き下ろした。
慰労会には、ねこぢるの夫、山野一さんも同席。
時間という薬が傷を癒す・・・・そう感じた夜。

11/29
Special(特別企画)にて、最近出逢ったAV女優たちをアップ!
香坂ゆかり・小室りりか・冴島奈緒・後藤まみ・滝沢優奈。
4年ぶり、8年ぶり、9年ぶりに再会した彼女たち。
最近デビューしたばかりのカリスマキャバクラ嬢。
いずれも忘れじの女たちにちがいない・・・・。

11/24
子どもの風邪がうつる。
風邪、流行ってます。
気をつけたし。

11/18
携帯からメールをくれたかた、質問に返信しましたが届きません。
質問の内容はinfoを見ればわかりますので。

1/9
早朝、下の子を託児所に送り届ける日々。
毎朝往復5キロ、子連れ狼のつもりでベビーカーを押す。
おかげで1ヶ月4キロ減。

10/28
西武優勝、祝勝会でのビールかけに、批判も。
批判者は、和田選手会長のビールかけ、冒頭の言葉を聞いていない様子。
「がんばってトーナメントに勝ち進み、やっと優勝するこができました。
中越地震の被害にあわれたかたがたも、どうか、どうか負けずにがんばってください。
それでは・・・・」
とビールかけがはじまった。テレビでは冒頭のこの震災被害者への連帯メッセージがカットされている。
西武の選手はそれほどバカではない。松坂のように、被災者のことを思い、あえてビールかけを辞退した
選手もいたが、そこは個々の意志を尊重するチームならではである。
震災ゆえに自粛せよ、というならまことに殺伐とした社会になり、被災者のかたがたも暗くなるばかりであろう。
各人それぞれの任務をいつものように粛然とこなしつつ、被災者への思いを馳せることこそ、最高の連帯。

10/25
祝西武優勝!
12年間待っていた日本1。
昨日、8回投げた松坂が、まさか、きょうリリーフで連投するとは。
ドラマのような演出。伊東新監督恐るべし。
松坂がマウンドにむかう姿見て、視界が熱くぼやける。
カブレラのロケット弾のごとく 松坂よ、名古屋の今宵、柴田アナと燃えよ。
(その後、婚約、結婚しました)
10/22
昨日の日刊ゲンダイ、「ブンガクと出会える場所」のコーナーに、
短編小説集「フルーツの夜」(河出書房新社)の一編、「老男優」が紹介される。作中で池袋の焼き肉・清江苑
にて、AV監督が故郷の両親を安心させるために、雑誌社主催の大賞を狙おう、と話し合う場として描写したもの。
同書は奇しくも12月に文庫化される予定。

10/8
精神科医・和田秀樹氏より献本「ビジネスマンのための心理学入門」(角川書店)。
猛烈に自著を出し続ける秀樹氏。思うに、東大出は、質もそうだが量的な面で他を凌駕する
才能がある。東大生時代、アイドルプロデユース研究会というゆるい、本来なら隠したがる
ネタを無防備に書くあたりも、好感。
好感といえば、もうひとりの秀樹、西城秀樹「あきらめない」(二見書房)も感動。
ただし、疑念もあり。
新御三家、郷ひろみ、野口五郎とともに昭和30年組としてデビューした(私より1級上)秀樹も、
当時から実年齢は数歳上が流布された。
「あきらめない」には、「15歳で高校に入学。4月生まれは、当時、早生まれの人と
同じ、1年先に入学できた」と書かれているが、それは4月1日までの人間であって、4月
13日生まれの秀樹は、当時もけっして1年先に入学はできない。
写真に、「水泳大会優勝時の賞状をもった写真」があるが、よく見ると中学1年と
書かれ、昭和42年の文字が。私より1級上なら小学6年のはず。
うーむ。
素直に持病を告白したのだから、この際、カミングアウトしてもまったく問題ないと思うのだが。

10/6
マネーの虎、高橋がなり、sod代表と。
10年前、中目黒の中華料理店の店長だったころからの
知り合いも、いまやカリスマ。
「俺のような負け犬」と前から吹聴してきた彼こそ
「コンプレックスをバネに生きてきた」真の負け犬にして勝ち組。
そろそろ引退して農業を、という衝撃的発言も。
まだがなり氏に引退は早すぎる。
というか引退は寂しい。


10/1
田中真紀子さん異母弟、田中祐さんと会ったその日の夜、伝説のビニ本裏本の女王、田口ゆかりさんと
出会う。ふたりとも初対面。異空間のふたりと1日で出会ったことに感慨を憶える。
生活保護を受けながら、熟女ブームで復活した田口ゆかりさんにエールを送る。

9/24
「プロジェクトX」で、プリンス自動車が主役に。伝説の日本GP、スカイライン激走も
紹介、私たちの世代はスカG神話一色だったことを思い起こす。特にスカイラインGTR神話。
私もケンメリをGTR仕様にし、エンジンを2600ボアアップして疾走せし過去が。
スカイライン生みの親、桜井真一郎氏がいまなおご健在であったことに感動。
スカイラインがリスペクトしていたBMWに私も乗り換えたものの、30年前のBMWは
西ドイツ仕様で高温多湿の日本においては、よくオーバーヒートしたものだ。

9/23
「創」編集部に連載原稿送稿。同誌に連載している田代まさし氏が先日、覚醒剤で逮捕、取材陣が
編集部に殺到している模様。
私も一度、田代氏と会ったことがあるが、このときはしらふ、だが、知人がインタビューしたときは、
細かいゴミを集める仕草をしていた、と聞き、クスリが辞められてないのか、と危惧した。
ドラッグを辞めるには、執行猶予のかわりに、依存症を治癒するための施設に
数ヶ月間、通うことを義務化すべき。
治癒から始めない限り、何度でも繰り返す。

9/17
爆発的アクセス数は、堂本剛ファンからのものが6割と判明。あらためて人気の凄さを痛感する。
残り4割は、HPを立ち上げて3ヶ月、徐々に認知され、複数からアクセスする環境になった結果のよう。


9/13
日曜日からアクセス数が飛躍的、いや、爆発的に伸びる。
何かあったのか。
これくらい拙著の部数も伸びてくれると嬉しいのだが・・・・。

9/10
昨日、都下を散策。その筋の男たち、多し。
この際、「暴力団」という法律用語を禁じて、彼らを「ぽんぽこ団」と呼ばなければいけない
新法案を出してみては如何か。暴力団という恐怖イメージはかえって彼らに好都合。
「ぽんぽこ団**組」とニュースで流した際のダメージは計り知れないはず。
セブンイレブン代表・鈴木俊文氏「商売の創造・原点」(講談社)2冊、読む。
おでんを真夏に売る、アイスを真冬に売る、固定観念にとらわれないビジネスは刺激的。
充実した内容。
しかし、「あくまでもお客の立場に立つ」経営方針をうたい「レシートを渡すことはもっとも売り手が
大事にしなければならない行為」としながら、どういうわけか、高田馬場のコンビニ店で
セブンーイレブンだけいつもレシートを渡さないマナー違反は、いかに経営の神様といえど、末端まで
指示が徹底してない証左か。


9/6
昨日、日曜日、六本木ヒルズを5歳の息子と訪れる。噴水好きの息子につきあって
行ったんですが、噴水広場の近くのけやき坂スタジオに久しぶりの宇多田ヒカルが
ボックスカーでやってきてFM出演するのを目撃。大群衆に手を振って気さくでした。
私の年代だと、どうしても母の藤圭子の娘さんという認識なんだけど。
鮮烈にデビューした母は当時「70年代は藤圭子の時代だ」と絶賛された
ものでした。2,3年たって、失速し、一時期、藤圭以子と改名したものの、
全盛期の復活は難しく、いつしか消え、アサヒ芸能の「あの人はいま」
で「アメリカで暮らしながら夫と娘と3人編成のバンドを組み活動中」という
いかにもマイナー感漂う「その後」でしたが、まさか娘が母の仇をうつとは・・・・。
ドラマは親子2代に渡り、物語られていく・・・・。
噴水を熱心に見ている息子の手を握り、たのむぞ、と念じる父であった。

堂本剛が昨日のコンサートで「一時期、人間不信でした」と突然、告白と衝撃のニュースが・・・。
そういえば、ここ数年、彼の顔がぼんやりとむくれていて、ひょっとして安定剤かなにか、と
思っていました。表情も冴えない時が多かったし。
ここにきて吹っ切れたのか。
堂本剛の哀愁感あふれる声質は、日本歌謡史の長い歴史のなかでもNO1だと私は思っているのですが。



8/28
先月の朝日新聞コラムで書いた「神田川」について、質問がありました。
「神田川」作詞家・喜多條氏が学生時代に同棲していたアパートの位置について。
歌では、いままで西早稲田寄りにその部屋があったと思われていましたが、
実際はかなり高田馬場よりです。戸田平橋に近い材木屋が、よくケンカすると
彼女が逃げていた場所、アパートはその2件ほど隣、いまでは割と新しいマンションになっています。
歌に出てくる「小さな石鹸カタカタ鳴った」風呂屋は、いままで西早稲田寄り、早大に近い
ほうの店ばかりがあげられていましたが、実際はもう1件、明治通りと早稲田通りの交差点付近に
10年ほど前まで営業していた風呂屋があって、そちらにも通っていたそうです。
いまでは新築マンションが建っています。
フォークの聖地、神田川の世界は定説よりもかなり高田馬場寄りにあったというわけです。


8/25
昼間、夏期保育から帰った幼稚園の息子とランチにでかける。
子どもと手をつなぎ、散歩していると、ほのぼのとして得した気分になります。
まさか自分がこんな親になるとはなあ・・・・。
街を歩くと、あらためて東京は1964年・東京オリンピック当時に創設した
橋や体育館、道路があるのに気づきます。明治通り沿いにある国旗掲揚塔が
1964・10・10とあるから、まさに開会式のときに建てたものでしょう。
当時の写真を見ると、都内もまだ建物が低く空が高い。
1966年6月、ビートルズ来日時にむこうのスタッフが撮影した8ミリが
ありますが、赤坂のヒルトンから九段下の武道館までの道のりは、
電信柱と木造家屋のアジア的光景でした。
ビートルズはデビューから解散時まで、研究家によってほぼ全日数の行動が
記録されるようになりましたが、まだ日本滞在時の数日間の全貌は未解明です。
最近になってやっと当時の日本側関係者からの証言が出てきて、幻の滞在記が
浮かび上がってきてます。混乱を予想して、羽田ではなく横田基地に着陸する
はずだったとか、警察の戒厳令のような監視下のなか、ポールが単独で皇居に
散歩にいったのは公式記録にも上っていますが、あらためてジョン・レノンが
原宿オリエンタルバザーに行き、散策したという証言も出てきてますね。
昭和41年、といえば、私は小学4年生で、来日前日、台風が来襲し、
翌朝、学校の瓦が落ちて校庭に刺さっていたあの青空を思い出します。

そういえば、オノ・ヨーコと前衛芸術家、草間弥生が60年代、ニューヨークで
芸術家仲間として交流があったと、草間さんご本人から聞いたことがあります。
「あのころ、貧乏だったからオノさんはわたしの部屋に来て、一緒にスパゲテイ
食べたことあったわ」
 


8/19
暑いさなか、街を流すと、あらためて景色変貌していることに、
センチメンタルな気持ちになります。
乱歩が昭和初頭に下宿屋を営み、暮らしていた、西早稲田の緑館も、駐車場になり、
いまでは養護老人施設に。
その奥にあった鬱蒼と生い茂るどなたかの旧家も、土地が売却されたのか、
伐採されてアパートに。
ここの大銀杏は、よく江戸川乱歩特集のグラビアに登場していたポイントで好きだっのだが。
昭和23年の大事件、帝銀事件の跡地(椎名町)も、つい最近、豪華マンションが建ち、
当時の面影も無し。
もっとも変わってないポイントもあって、「飛び出せ!青春」(1972)に登場していた太陽学園の円筒形
校舎は、ロケ地、山梨県上野原の日大明誠高校で健在でした。

8/11
お盆休み・・・・といっても仕事場で執筆。
詐欺事件もひとまず一段落です。

ところで拉致被害者として認定された川口市の藤田さんは、昭和31年生まれ、
当時大学1年生、というと、まったく私と同年齢、同県出身です。どこの高校だったのか。
拉致被害者があらためて私の世代だったことが身に染みます。
そういえば、こんな話も・・・・。
田中角栄の義理の甥、山科薫(ピンク映画俳優・作家)
が、昭和53年6月、池袋の「ハリウッド」に交際中のケイちゃんがいて、
店がはねた後、店の子たちと飲み会しようということになりました。
遅れてやってきた、ちとせという店の子がいました。スタイルがよく彫りが深い。
「美容師志望だったんだけど、やめちゃって、お店で働いてるの。川口の
実家から家出状態でさ。子どもが2人いるけど、これからもう一度美容師めざして
みようと思うの」
山科は一目惚れ。
ところが、その数日後。
彼女は行方不明に・・・・。
名前は田口八重子といいました。
92年当時、しきりに山科が「俺は八重子さんと話したことがあるんだ」
と言っても、もうひとつ実感がわかなかったことを思い出しました。
独身の山科は、田口さんが戻ってきたら、正式にプロポーズする気でいます。
あの夜、言えなかった言葉を・・・・。

8/4
コアマガジンにて、ビデオザワールド、AV女優インタビュー、金城アンナさん。
西表島出身で、この世界によく見られる、親孝行、男運無し、素直、という
チャーミングな10代。
2時間半だけの恋愛気分にひたる。



7/28
暑い、と言いながら散歩好きがこうじて、このところ「少年ジェット」(昭和34.5年)
のロケ地巡りをしてます。「宇宙病人間の巻」でデビルが登ったガスタンクは、
おそらく昭和34年に完成した練馬区谷原のものだと推測、DVDを見ると、ガスタンク
周辺はまだ野原で、人家とビルが建ち並ぶ今とは想像もつきません。
そのうち書くつもりでいる、ブラックデビルの高田宗彦氏についてはいくらか
手掛かりがつかめだした。
当時の大映の大部屋俳優たちが出演した「ジェット」は、役者たちの懸命さがよく
出ていて、泣けます。
消えていった成田昇二(2つの顔編・獣人ゴリラ男、魔神の最後編・ホワイトベア)
小山内淳(見えない怪人編・スネークマン)、中田勉(迷探偵、頓田紋太)といった役者はどうしているのか。
昭和31年大映「宇宙人東京に現る」では、少年ジェットの登場人物たちがまさしく端役、数秒の出演で
勢揃いしています。
もっとも当時からすでに45年が過ぎ、ご存命でも70過ぎであろう。
時は待ってくれない。





7/26
暑い。
面影橋から雑司ヶ谷を通り、池袋のジュンク堂まで散歩がてら歩く。
雑司ヶ谷といえば、1972年、栗田ひろみが篠山紀信氏の撮影で
週刊プレイボーイの表紙デビューを果たし、一躍70年代最大級のピンナップアイドルになった
ときが、まさに雑司ヶ谷中学の3年生でした。
雑司ヶ谷の「アカマル」というパン屋さんの脇が通学路で、当時、ナマの
栗田ひろみを目撃したという貴重な証言もあります。
中学は統廃合されたけれど、アカマルはいまだ健在。
74年、「水もれ甲介」(主演・石立鉄男)のロケ地としてもよく登場した
この地も、再開発が進み、すでに甲介の自宅として登場したあの水道屋
も壊され、ビルが建ったばかりでした。
すぐ傍の歴史、も刻々と移りゆく、と感じる真夏の散歩・・・・。




ようやく詐欺事件も解決にむかう。
それにしても、被害者になると、気苦労は並大抵ではなかった。
仕事の片手間に犯人たちに対抗するのは、無理です。
全知全能を傾けて闘わないと、負けてしまいます。
あらためて、被害者の置かれた立場の弱さ、を思い知らされました。
顛末は、「ミステリーの交差点」(ナックルズ)「60億個の欲望」(月刊創)
の連載コラムで報告予定。
朝日新聞夕刊では、「神田川」の歌と映画の話を書きました。
ちなみにあの名曲は、作詞家・喜多條忠氏が電話送稿で南こうせつ氏に詞を伝え、
なんと5分後に歌ができたという、本人たちから直接聞いた、奇跡話があります。
ポールのイエスタデイが朝起きたらできていた、というように、名曲は時に天から降りてくる、
ときもある。






暑いですね。
近況です。
詐欺事件に巻きこまれました。
被害者は私ではなく、女房です。
犯人は逮捕、この顛末の一部始終は連載コラムでしっかり報告します。



他にも押し入れに乱歩物が埋もれてました。
「もっと見たい」というかた、もう少しお待ちを。
光文社、ポプラ社は、この当時のイラストと表紙をそのまま採録して、再出版する
という気はないのだろうか。乱歩のレトロ趣味、妖しさは昭和20,30年代の
イラストをもってはじめて甦るはず。
30年ほど前、角川文庫で、横溝正史の旧作を出したときも、カバーにおどろおどろしい
イラストを使って、あの一大ブームが巻き起こったことを思えば、探偵小説においては
この種のレトロな雰囲気こそ、読者の想像力を喚起させる最良の演出ではなかろうか。





仕事場を掘り返してみたら、こんな乱歩物を発掘!
「白髪鬼」(昭和24年・光文社)「緑衣の鬼」(昭和24・同)「呪いの指紋」(昭和30・ポプラ社)「怪人20面相」(昭和32・光文社)
「怪人40面相」(昭和32・同)終戦後、乱歩作品は戦中の事実上の発禁が解け、一気にカストリ風単行本が再刊された。
昭和30年代からは光文社、ポプラ社で少年探偵団物と大人向け作品を少年向けにリライトしたものが相次ぎ出版された。
ちなみに、「怪人20面相」「40面相」の2冊の裏表紙に「一九五九、大曽根、耕文堂、河本義弘」という書き込みが。
古書店で入手したものだが、いにしえの持ち主のかただろう。
心当たりのかたは、ご一報を。

6/20
ようやくホームページを立ち上げました。
これから徐々に充実させていきます。


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