と・も・だ・ち(仮)   んけどした

	十月

「ごめんっ!」
「はいはい、希芹くんとゆっくり楽しんでらっしゃい」

「はあ、真弓も薄情になったねぇ……」
「久しぶりにみんなで遊びにいこうかと思ったのに……。これから
受験に備えて、そう遊べなくなっちゃうってゆーのにねぇ」
「友達より、オトコかぁ」
 みんな勝手なことを言っている。かと言って、みんな本気で言っ
てるわけではない。なんだかんだ言って、みんな真弓がかわいいし、
あんな幸せそうな真弓を見てて、わたしたちにつき合えなんてとて
もそんな無粋なことは言えない。まぁ、オンナの友情をちょ〜っと
ないがしろにされて少し悲しいってとこだろうか。でもちょっと羨
ましいかな?

 綺隻希芹(きせききせり)。女のわたしが言うのもなんだけど、綺
麗な子だ。性格はちょっとヘンかも(名前もかも?)しれないけど、
細い見かけによらずスポーツ万能だし成績優秀だし、人当りもいい
し、基本的なとこで文句のつけようはない。真弓には悪いけど、彼
女には少々もったいないぐらいかもしれない。
 その彼の長い髪が、実は真弓のために伸ばされたものであると聞
いたときは、ほんと驚いた。そんな小学校にあがったばかりの偶然
の初恋の相手との約束を、そんな七年も八年も守るもんなんだろう
か? また逢える確率はきっと、万に一つどころか、億に一つ、兆
に一つとかそんなレベルじゃないだろうか。
 それでも彼らは再会した。
「あたし、今なら『きせき』を信じられるわ」
 真弓の洒落じゃないけど、わたしたちもおんなじ気分だ。わたし
は神とか宗教とかを、信じる人間じゃないけど、彼らの出逢いは偶
然ではないのかもしれない、とか思えてくる。
 多分、希芹くんが普通(?)の男の子で、真弓が盲目的にその子
に惚れ込んでるなら、真弓をひっぱたいてでも、目を覚まさせてあ
げるんだけど、あの娘はちゃんとわたしたちにも気を配ってるし、
希芹くんもそこんとこわかってるし……
 これはもう、応援してあげるしかないわよねぇ……。ちょっとさ
みしいけど。



	三月

 プルルルル……
 電話がなった。わたしはいつものように電話にでた。
 その電話は親友の死を告げるものだった。

 三月初旬。まだ一応、中学三年生のわたしたちはもう卒業式を終
えて、公立高校の合格発表を待つばかりだった。
 どうしてわたしはあの時、電話をとってしまったのだろう。もう
しまってしまっていた、中学の制服をひっぱり出しながら、そんな
ことを考えた。電話をとらなきゃ、わたしたちはいつまでだって、
高校に行ってバラバラになったって、仲よしの四人組だったんじゃ
ないだろうか? 自分でも本末転倒な考えをしていることがわかる。
でもこの不安な気持ちは押さえることが出来ない。

 そろそろもう、日も長くなってきた夕暮れの道をわたしは真弓に
最後の別れをしに歩いている。歩いているけれども実感はない。も
う着ることは無かったはずの中学の冬服がすごく重く感じるのは気
のせいだろうか?

 この前、真弓にあったのはいつだっただろうか?

 すでに、そこに友代と麻衣は来ていた。
 わたしはそっと二人の隣に座った。
 わたしたちはずっと無言だった。

 わたしたちと真弓はこんな別れをするために出会ったのだろうか?
わたしたち四人はみんな違う小学校から来て、一年のときに一緒の
クラスになって三年間ずっと一緒のクラスだった。その三年間はこ
の日のためだったのだろうか?
 わたしたちは、この三年間楽しく生きてきた。特に真弓はこの半
年は特に幸せそうだった。希芹くんと出逢えて……
 そう、幸せそうだったからこそ、わたしたちは希芹くんに真弓を
託したのだ。ほんとに幸せそうだった。

 何故、どうしてその希芹くんは今ここに来ていないのだ。
 真弓は希芹くんと最後の別れも出来ず、今この世から旅立って行
かなきゃならないのか?
 真弓はそんな罰を受けなければならないほど罪深かったのだろう
か。

 真弓の家を辞して、わたしたちはまた無言のまま帰途に着いた。
 もう四人揃うことは永遠にないのだ。つい三日ほど前にみんなで
お茶会を開いたのが、わたしたちが四人揃った最後になってしまっ
た。
 月夜に並んで歩く影は三つしかもう無い。

 友代と麻衣と別れる。
「じゃあね。また電話する」
何時間かぶりに聞いた自分の声は、すでに四人揃ってはしゃいでい
たときの声ではない。
「うん」
「ん、落ち着いてから……」
「じゃ……」


 あれは秋の始まり、夏の終わりと一緒に彼、希芹くんは転校して
きた。
 あのときの真弓のはしゃぎようは、ほんとにすごかった。
 希芹くんは転校二日目から、もう真弓と一緒に登校してきた。
 最初は何がおこったかよくわからなかったけど、彼女達は運命の
出逢いをしたらしかった。

 まだいくらか暖かさが残っていた土曜の放課後だったか……
 中間テストの勉強するんでいつもの四人と希芹くんで図書室に行っ
た。
 普段はわたしがみんなの勉強を見てやってたんだけど、希芹くん
も頭がいいことがはっきりした。人当りがいい割には、けっこうはっ
きりものも言うし、丁寧だし、根気強いし。見ててびっくりしたの
が、真弓に対して、一番きびしいことだった。ひどい言葉は使わな
いけど明らかに友代と、麻衣に対する態度と比べると容赦無い。そ
れでも何度も何度もわかったか確認してるし、最後まできっちりめ
んどうみてるし……。

 わたしは真弓以外の三人の中で一番希芹くんを見てた。
 それは今から見れば真弓を取られたことに、わたしたちが二年半
かかって築いてきた地位をわずか一日で奪い取ってしまった希芹く
んに嫉妬してたからだ。
 わたしは絶えず、自分と希芹くんとを比較してたようだ。
 そして、このときから真弓と希芹くんとをわかったような気がし
た。
 希芹くんがどんなに真弓を好きか。そして、いかに真弓が希芹く
んを信頼してるかが。
 表面上は一ヶ月のつき合いしかなくても、二人は十年近く想いあっ
てきたのだ……。

 わたしはそんなコトを考えながら、よくぼーっと二人の掛合を見
ていることがあった。二人の子猫のじゃれあいを見て、今だに信じ
難いこの二人と日常との融合を試みていたのだ。
 そんなときにひょいと希芹くんと目が合うと希芹くんは、いつも
にっこり微笑んだ。あたかもわたしの考えを見通してるかのように。


 高校の合格発表の日。
 あたしはすでに希芹くんと同じ私立の第一志望の成猷(せいゆう)
に合格してるので、朝から中学校に行っていた。大概の生徒は発表
を見て、担任だった先生に報告に行くのだ。
 友代と麻衣の報告を待つという意味もあったけど、実は希芹くん
にも、もしかしたら会えるかもしれないと期待していたのだ。
 友代が九時半頃きて合格報告をしにきた。
 ついで十時頃に麻衣も合格報告をしにきた。
 麻衣があたし達を見つけて駆け寄ってくる。
「受かってたよ。あたしも。真弓も……」
「じゃ、とりあえず、先生のとこ行ってくるから」
 あたしたちは、ホントは麻衣と真弓だけは同じ高校に行くはずだっ
たのか……。

 先生がクラスのみんなに教室に入るように言った。
 席はもう特に決まってないはずなのにみんな元の自分の席に座っ
ている。半分以上、三分の二ぐらいは来てるようだ。
 希芹くんは来ていない……。

 先生が真弓の話をしている。
 もう考えすぎて、考えすぎてすごく昔のような気もする。
 あたしはなぜこんなに考えてるのだろう。
 よくわからない。
 なにか納得がいかないことがあるからなのだろうがよくわからな
い。
 鍵は……、多分希芹くんにあるはずなのだ。
 だから、わたしはこんなにも希芹くんに会いたいのだ。
 希芹くんに会って、――希芹くんに会って、わたしは一体どうす
るんだろう。希芹くんに会って、わたしは何を聞くのだろうか……


 三月おわり、わたしたちはもう一度、真弓の家に行った。
 真弓の部屋に案内された。
 何も変わっていない。何も変わっていないのに、全然違う。
 人が死ぬとは、こういうことなんだろうか……。
 真弓のお母さんから、わたしたちは、真弓が使ってたものをもらっ
た。麻衣は、お財布。友代には、テニスのラケット。そして、わた
しは、時計。
 この時計が、真弓と一緒に、時間(とき)をきざみはじめたときの
ことを思い出す。時計屋さんで二つのうち、迷いに迷って、選んだ
時計だと言いながら、嬉しそうに時計をのぞいていた真弓が目に浮
かぶ。
「一生、この時計と時間(とき)を刻めたらいいなぁ」
 そう言った、真弓はまさか、今のときを知っていたのだろうか。
 真弓の時は止まってしまったけど、真弓の時計は時を刻み続けて
いる。

 ! 希芹くんはどうしたのだろう。
 いったい、希芹くんは、何をもらったのだろうか。
 ……。

 わたしは、結局、真弓のお母さんに、希芹くんには何をあげたの
か聞けなかった。そもそも、希芹くんがあの後ここに来たのかさえ
……。



	四月

 入学式。
 真弓の死の痛手から立ち直り、新しい世界の始まりの日だ。
 しかし、わたしは、そのためには希芹くんに会って、ケリをつけ
なければならなかった。結局、一ヶ月以上も会ってない。会わなきゃ、
会って話をしなきゃ、と思いながら、結局行動にでられなかった。
こんな思いも今日で終りにしなきゃ。わたしは、その決心と共に、
今日ここに来たのだ。
 クラス発表自体は先日行なわれていたので、クラスはわかってい
る。わたしは1組で、希芹くんは2組だ。本当はクラス発表のとき
に会えるかと思っていたんだけど、結局会えなかった。
 クラスはとなり、希芹くんは背も高いし、髪も長い。目立つはず
だ。いればすぐにわかるはずだ。いれば。
 見付からない。講堂での式のときもそれらしき人影がない。休憩
時間の教室にも。
 鼓動がはげしくなる。もしかしたら、髪を切ったのかもしれない。
有り得ることだ。希芹くんの髪は、真弓のためのものだったのだか
ら……。

 1組の同じ中学出身の子に聞いて、希芹くんが、休学していると
わかったのは次の日のことだった。

 わたしはたまらず、希芹くんの家に電話を掛けた。ついに。
 もう、これ以上耐えられない。何が耐えられないのかすらわから
ないけど、とにかく希芹くんと話をしてみないと何もわからない。

「はい。綺隻です」
 希芹くんのお義母さんだろうか。
「もしもし、わたし、星の原中学校だった、佐々木といいます。希
芹くんいらっしゃいますでしょうか」
「希芹さんのお友達でしょうか?」
「ええっと、そうなんですけど、今度、成猷に通うことになったん
ですが…」
「はぃ、そうですか……。えと、じゃあ、聞いてみます」
 何となく、か細い声がわたしを不安にさせる。
 受話器をおいて希芹くんを呼びにいったようだ。
 どのぐらい時間が立っただろうか。受話器をとる音が聞こえ、わ
たしは体を緊張させた。
「すみません。やっぱり、出られそうもないみたいなんですが……」
「えっと、あの……」
「すみません……」
「あの、病気か何かなんでしょうか?」
「いえ、いや、そういうわけではないんですが…… すみません」
「どうも、すみませんでした」
 これ以上は聞けない。いや、たぶん他人は入ってはいけない領域
だ。わたしはそう判断して、わたしは受話器をおいた。

 なにもわからなかった。何もわからなかったし、何も変わらない
はずだった。
 けれど、わたしの心から、あの脅迫観念だけは消えた。疑問は消
えていないけれど、希芹くんに会わなきゃという脅迫観念だけは、
このときを境に消えてしまった。
 真弓がいた頃の、真弓と一緒にいた希芹くんにはもう会えない。
何一つ、確かなことがない中で、それだけは確からしかった。



	十一月

 もう、朝は冷える。高校に入ってはじめた弓道の朝練も、寒さが
敵になりはじめた。なんにせよ、的を射るときには、全てを忘れら
れる。今、この瞬間だけを見つめてればよい。わたしは、少し強く
なったのかもしれない。

 十六のわたしはもう、成猷の美矢子になっている。
 麻衣も、友代もそれぞれの社会を生きている。
 集まったときも、思い出話より、新しい生活の話の方が多くなっ
ていた。多分、これはいいことなのだ。悲しいことではないはずだ。
 半年の時を過ぎて、わたしはやっとそう思えるようになったのか
も知れない。


 昼休み。さて、お弁当でも食べようか……。そのとき、ふと目に
入った人影は、わたしになつかしさを感じさせた。
 朝、となりのクラスが沸いた理由は、そうだったのか。
 ダッと、廊下に駆け出して呼び止める。
「希芹くん!」
 半年前には、何か聞きたいことが有るはずだった。でも、それが
なんだったのかは、もう今は思い出すことができない。
「こんちは。美矢子さん。休学してたけど、今日から来ることになっ
たんだ」
 そう言いながら、微笑んだその顔は、全然変わっていなかった。
少なくとも、その時のわたしには変わっていなかったように見えた。
「休学してた理由は、美矢子さんなら何となくわかるだろうから、
聞かないでね」
 わたしと、希芹くんはその後、いくつか言葉を交わして別れた。
全く記憶にないけれど。

『美矢子さんなら何となくわかる』
 この言葉が、わたしの頭の中を駆け回る。
 半年前、わたしたちは、真弓を失った。永久に。来るべきはずの
未来が違ってしまった。麻衣と友代とわたしの三人は、もう、以前
のわたしたちでは無くなったのだ。
 では、希芹くんはどうなのだろう。
 希芹くんは、わたしたちより真弓に近かった。わたしたちよりも、
ずっと、ショックが大きいはずだった。
 そう、わたしは、その証拠を求めていたのだ。あの時。
 わたしは、わたしたちから真弓を奪って行った希芹くんに、必然
的にわたしたちより大きい絶望を望んでいたのだ。
 ここまで、考えが及んだとき、わたしは眩暈を感じた。
 わたしは、そこまで嫉妬深かったのか。
 希芹くんの家に電話したとき、わたしは、希芹くんのダメージの
大きさを確信したのだ。確信したからこそ、もう、希芹くんに会う
必要が無くなったのだ。
『今日から来ることになったんだ』と言って微笑んだ、希芹くんの
顔に、以前のわたしを見通しているような印象が無いことに、気付
いて喜ぶわたしがいる。
 わたしは、こんなわたしを育んで強くなったのだろうか。
 真弓の死を犠牲にして……。



	十月

 時は一回りし、わたしは二年生になっていた。希芹くんは二度目
の、一年生をやっていた。
 生きている人は、死んでしまった人の代わりを見つけて生きてい
くのかも知れない。
 弓道部でも、多分、これから一生つき合うだろうと思われる親友
に出逢った。
 真弓の代わりじゃない。代わりではないけれど、これからのわた
しは彼女無しでは語れなくなるにちがいない。中学のわたしが真弓
無しでは語れないように……。

 男と女の関係にとって、それは幻想でしかないのかも知れない。
 わたしは幻滅してるのかも知れない。
 もしかすると、それもしょうがないなと、思ってしまう自分の方
に幻滅してるのだろうか。


 今日の部活も無事終わった。さやかといっしょに弓道場を出ると、
印象深い見なれた人影が、ハードカバーの本をしまいながら、こち
らを見ている。
「よ」
 希芹くんは、一週間ほど前から、時々ここで、同じ二年の円城寺
舞子を待っていることがあった。
 希芹くんとはあんまりかかわらないようにしてたけど、うわさや
事実は流れてくる。
「お先に」
 それだけの言葉を交わして、すぐ別れる。
 今のわたしには、今の希芹くんと話すことは何もない。わたしと
彼との接点は遠い昔に切れてしまったのだ。多分。
 円城寺さんに向けられた、希芹くんの微笑みが昔と感じが違うの
も、わたしが変わったせいなのか、希芹くんが変わったせいなのか、
それとも必然的な時の流れによるものなのかはわからない。
 そして、そんなコトを希芹くんに伝えなきゃならない必然もない
し、まして、それを円城寺さんに教えなきゃならない義務があるわ
けでもない。
 わたしがわかるのは、ただ一つだけ。
 ――きっとまた同じなんだな……。

 水曜日。
 弓道場に入ると、いつもとは違う騒がしさだった。
 引退して、勉強で忙しいはずの三年も数人来ていた。でも、この
騒がしさはそのせいではない。
「部長っ!」
「な、なんなの、どうしたの?」
 なんか、よくわからないけど、女子部室にいる一斉がわたしの方
を向いた。
「円城寺先輩が振られたって本当ですか!?」

 かーっ!? なんだって、わたしがこんなコトをしなけりゃなら
ないんだろ?
 月、火と円城寺さんが休んでいたのは風邪や病気ではなかったら
しい。
 話によると、円城寺さんは日曜日に希芹くんとのデートに出かけ
て、帰ってくると、それ以来、ずっと飲まず食わずで、部屋に閉じ
篭って寝込んでいるらしいのだ。
 それを心配した母親が、先輩の家に電話をして、何か知らないか
聞いたらしい。で、その先輩が部室に来てるというわけである。
 で、わたしにコトの次第を聞きに行けというのである。
 下級生の興味半分のお願いならばこんなコトは決してしないのだ
が、悲しき体育会系かな、先輩に「どうしても」とか頼まれると断
れはしない。お世話になったし……。はぁ。

「どうして、あたしが……」
「だって、先輩、希芹さんと対等に話してるじゃないですか」

 思い出すと、結構、愕然とするけど、みんなそういう風に見てた
んだな〜……。
 だって、一応、中学からの「ともだち」だからねぇ。
 ――わたしたちは、友達なのだろうか? 本当に……。

 とりあえず、一般社会学研究部、通称、一般社研部の部室を目指
す。そこに希芹くんがいれば話を聞くこともできるだろうけど……。

 わたしは希芹くんを見損なっていた。正直言って。
 一年。希芹くんが復学して一年がたった。
 わたしは、うしろめたさもあって、あまり希芹くんの話には触れ
ないようにしていた。それでも、希芹くんのうわさ話は耳に入って
くる。でも、それはほとんどの場合が、別れ話だった。「だれそれ
さんが振られた」という話ばかりだったのだ。
 希芹くんにとって、真弓がその娘(コ)らと同じだとはさすがに思
わないけど、それでもあれから一年もならないうちから、他の娘と
何人もつきあえるものなのだろうか。
 少なくとも、二年前の希芹くんからはとても考えられない。わた
しが変わってしまったように、希芹くんも変わってしまったのだろ
うか。だとしても、こんな状態は悲しすぎやしないだろうか。

「希芹くん?」
 一般社研部の部室のドアを開けると、すぐ前に希芹くんは座って
いた。
 部員と楽しそうにおしゃべりをしている最中だったようだ。
「あら、美矢子さん、何?」
「ちょっと、いい?」
「?」
 わたしは、一般社研部の女子部員の痛い視線を感じながら、希芹
くんをちょっと拝借した。

「ねえ、円城寺さんが休んでるんだけど、理由わからない?」
「さあ?」
「あんたたち、つきあってたんでしょ? わかんないの?」
「いいや、つきあってたわけじゃないけど?」
「じゃ、な……」
「つきあうかどうか、ためしてただけで、舞子とそういう話だった
んだけど。ま、それも過去の話で、オレにはもう舞子のことはわか
んないけど」
「円城寺さん、日曜、家に帰ってきてからふさぎ込んでるらしいん
だけど。あんたのせいじゃないの」
「たしかに日曜に、舞子に『あんたじゃない』って言ったけど、そ
れでふさぎ込んでたとしてもオレに責任はないぜ。もともとそうい
う約束だったんだから」
 希芹くんはこんなコトを言うヤツだったのだろうか。
 希芹くんの言葉からは、仮にもつきあっていた相手をいたわる気
持ちすら、全く感じられない。おそらく、別れ話のときもこんな感
じだったのではないだろうか。
「あんた、本気で言ってんの?」
 わたしは、いいかげん頭にきていた。さらに希芹くんが何か言っ
たら、罵ってたかもしれない。
「本気……だと、思う」
 そうこぼした、壁によりかかって肩を落した希芹くんの顔を見て、
かーっとなっていた頭も、すぅっと冷めてしまった。
 生気が感じられないその表情(かお)を見て、わたしはそれ以上何
も言えなかった。
 一体、どんな振り方をしたのか気にもなったけど、結局聞けなかっ
た。わたしが、あまり深く関わりたくないと思ったからか、それと
も聞く資格なんかないと思ったからかはわからないが……。

 結局、弓道部での報告は別れ話が原因らしいという、最初から出
ていた結論以上の報告はできなかった。
 わたしが感じたこと以上に伝える自信がないので、ホントにつき
あうかどうか試していただけだと、報告するのがやっとだった。
 さらに、あれこれうわさされる希芹くんをわたしとしては、弁護
したい様な感じなんだけど、その理由もはっきりしないし、感じた
こともうまく表現する自信もないので、結局聞き流すだけだった。
 でも、多分、昨日のわたしだったら、こんなコトすら考えなかっ
たはずだ。
 昨日と今、あきらかにわたしと希芹くんとの距離は近くなった。
もとい、希芹くんはわたしが思ってたほど変わってはいなかった。
行動は兎も角、少なくとも中身は。

 円城寺さんは次の日には、学校に出てきた。
 部活もまたもとに戻った。
 わたしの希芹くんに対する、心の重さは幾らか軽くなったような
気がした。

 希芹くんがまた別の娘とつきあいだしたと聞いたのは十月も終わ
りだった。



	十一月

 多分、こういううわさはきっとどうやっても止めることはできな
いにちがいない。そして、きっと本当のことなのだ。
 希芹くんに振られた一年生が自殺未遂を謀り、入院沙汰になった
らしかった。

 わたしはいらついていた。原因は希芹くんだけど、理由はよくわ
からない。
 もう、わたしには関係のない話のような気もするけど、気になる。
気になってしょうがない。希芹くんが心配なのか、それともただの
野次馬根性的なものなのか、あるいはその両方か……。

 わたしは放課後、弓道場に行く前に部室アパートの前で、さりげ
なく希芹くんを待った。
 あまり不自然じゃなく話がしたかったのだ。
 まもなく一年の女の子たちと希芹くんが来た。特に変わったトコ
は見受けられない。
「希芹くん」
「美矢子さん、久し振り」
「ちょっと時間とれない?」
 希芹くんはじっとわたしの顔を見た。わたしも希芹くんの目を見
つめた。
 むかしの見透かされているような感じはもうない。わたしが強く
なったのか、彼の瞳が濁ってしまったのかは知りようもない。願わ
くば、前者であって欲しいけど。
「カバン頼む」
 希芹くんは女の子の一人にカバンを渡して、わたしについてきた。
 わたしは考えがまとまらず、結構歩いた。希芹くんも黙ってつい
てきていた。
 いつのまにか、昔の海岸線の松林のところまで来ていた。学校の
敷地内でもかなり端っこの方だ。このまま歩き続けてもしょうがな
い。わたしは歩みを止めて振り向いた。
「希芹くん、真弓憶えてる?」
 なんか、おもいっきり陳腐なことを言ってしまった。こんなコト
を聞きたいわけでは勿論ない。
 希芹くんは何もいわずにややうつむいて松に寄り掛かっている。
「希芹くんさあ、どうしたの?」
 何も言わない希芹くんを前にして、わたしは腹をくくった。
 わたしは一回大きく息をついて言った。
「あたし、前から思ってたんだけどね、ホントは言いたくなかった
んだけどねぇ、あんた一体どういうつもりなの。そりゃ、女の子と
つきあうな、とは言わないけど、そんなに、とっかえひっかえして
楽しい? あんた、評判悪いわよっっ!」
 言った。とりあえず。さあ、なんて希芹くんが言うか聞いてやろ
うじゃない。
 希芹くんはじっとこっちを見ている。
 ゆっくり、陽炎のようにこちらに近付いてくる。
 目の前まで希芹くんが来た。目の前に希芹くんが居る。
 そして、次の瞬間、
「美矢子さんかも知れない……」
 希芹くんはそうつぶやいて、わたしに抱きついてきた。風がわた
しの頬をなぞるようにさりげなく、自然に。
「ばかっ!」
 そういうと同時に、わたしは希芹くんを思いっきりひっぱたいて
いた。
「真弓があんたなんか好きになったかと思うと悲しくなるじゃないっ!」
 わたしは駆け出していた。
 涙があふれてくる。止まらない。
 足は弓道場に向かっていた。
 女子部室に飛び込むとみんながびっくりしてこっちを見た。
「ど、どうしたの美矢ちゃん…」
 さやかの声が、突っ張っていたわたしの気を緩めた。

「ごめん。おちついた」
「いえいえ」
 わたしは、あの後、へたり込んで泣き出してしまった。そこを、
さやかが外につれていってくれて、わたしが泣き疲れる今まで、何
も聞かずに横に居てくれたのだ。
「今日は部活にならんでしょ。今日はもう帰りぃ」
「ん」
「明日から、またちゃきちゃきしてよ。美矢ちゃん」
「ん」
「カバンとってきてあげるから、ちょっと待ってて」
 かけだす、さやかの後ろ姿がまだぼんやり霞む。何も聞かない、
さやかの思いやりもうれしい。
 それでも、まだ頭の中は混乱していた。何がなんだかよくわから
ない。
 できることは、とりあえず、深呼吸して、落ち着くことだけだっ
た。



	三月

 二年。真弓と別れてもうすぐ二年になろうとしていた。
 真弓と一緒だった忘れようのない三年間。そして、真弓のいない
二年間。どちらも、今のわたしにはかけがいのない時間だったとわ
かる。

 わたしは友代と麻衣に電話をいれた。

 二年ぶりのその日はもう春の香りもほのかに薫る暖かい日だった。
 二ヵ月ぶりに揃った三人で、真弓に、真弓の思い出に会いに行く。
 ほんとは、希芹くんとも一緒に来たかった。真弓のために。
 麻衣と友代には希芹くんが女の子をとっかえひっかえしてるコト
までは話したのだが、あのことはまだ話していない。話す気もない
し、話せるはずもない。だって、それは、あまりにも真弓がかわい
そうではないか。
 あれから、希芹くんとは口もきいてない。なるべく顔も合わせな
いようにしていた。
 希芹くん自身は、あの後も特に変わらず、相変わらずだったよう
だ。
 あれから、一時、希芹くんのことはまともに考えることもできな
かった。最近はまた、冷静に昔のことも振り返ることができるよう
になってきたけど……。

 希芹くんは今日と言う日を覚えているのだろうか。
 せめて、思い出しぐらいはするだろうか……。

 霊園についたのはもう、十二時もまわろうかという頃だった。
 梅には遅いし、桜にはまだ早い。それでも春の香りは生きている
ことを実感させてくれる。

「あれ!? 希芹くん?」
 その友代の声は、わたしにまた、ある衝撃を与えたようだった。
「あ、みんな……、ひさしぶり」
 逆光になったわたしたちを、振り向いたその瞳をわたしはなつか
しく感じてしまった。しかし、まぶしくて目を細めているのか、そ
の奥まで、希芹くんの真意まで見通すことはできなかった。
 ただわかったことは、半年前の希芹くんとも、もう違うというこ
とだった。

 そのあと、みんなでお茶を飲んだ。
 四人揃うのは実は初めてだという事実は、少しだけ悲しい事実を
認識させられるが、この四人が昨日も会った友達のように話せると
いうコトは、きっと素晴らしいことだと思う。
 みんなちょっぴり大人になって、それでもやっぱり変わっていな
い。
 楽しい歓談の時間(とき)はわたしに二年の時間を忘れさせようと
しているのかも知れない。
 わたしを特に意識していないように見える希芹くんの真意は量り
ようもないけれど、あのことを忘れてしまうには、あのショックは、
わたしには大きすぎたし、時間も短すぎた。
 でも、そのことは希芹くんの表情を見る限り、もう過去のことな
のかもしれない。
 わたしはその時、あのことは記憶の引出しの中にしまっておくこ
とに決めた。

 全ては、もとに戻ったのかもしれない。
 日も落ちて、家に帰る途中、わたしはそんなコトを考えた。



	五月

 三年になり、最後の文化祭の準備も大詰めに来ていた。
 わたしのクラスは人形劇をやることになっていて、セットもかな
り大がかりなものになっていた。
 わたしは人形を作る仕事をやっていて、今では練習中に壊れたり
した人形の修理ぐらいしか仕事は無い。
 女の子は遅くても八時頃には学校を出るが、男の子たちは「泊ま
りだ〜!」とか騒いでいる。
 こういう時は、女の子でちょっと損した気分にもなる。
 わたしはこんな雰囲気はすごく好きだ。もっとも、この学校に三
年もいれば、たいていの人はお祭り好きになるような気もするが……。

 星空の元、自転車置場に向かう。
「美矢子サン」
「希芹くん、今、帰り?」
 もう、特に不自然なトコは無い。――と思う…。

 二人並んで、自転車を押しながら歩いている。
 お話の内容も大体、文化祭の準備の進み具合についてだった。
 こんな生き生きしてる希芹くんを見るのは久し振りだ。
 いや、以前が生き生きしてなかったわけでもないのだが、え〜っ
と、今は、そう、影が感じられないのだ。
 最近、女性関係のうわさをとんと聞か無くなったことと関係が有
るのかも知れない。
「希芹くん……、変わったね」
「――……。えーっと、あのときはゴメン」
 ちょっとそわそわして、照れながら希芹くんが言った。
 こんな希芹くんは初めてだった。わたしは初めて肩を並べている
ような気がした。なんとなくうれしいのはどうしてだろう。
「去年までオレ、ちょっとむちゃくちゃで、美矢子さんにも心配か
けちゃって……」
「あのさぁ……、もしかして、それ、真弓関係してる?」
「ん、まあ……」
「あのときはさぁ、あたしもちょっと無神経だったかも知れないけ
ど、でも、あたしは真弓と何が有ったか知らないから……」
 多分、希芹くんは無理をしていたのだ。何故だかわからないけど。
今の希芹くんがおそらく一人な希芹くんの本当の姿なのだ。
「あたしたち、いつも一緒だったから……。希芹くんが来るまで……」
 希芹くんにというより、自分自身に向けていった様な一言をつぶ
やいた。わたしのこの感情が他の人に完全に伝わると思えなかった
けど、初めて口にしてみて、いろんな感情が頭の中を駆け巡るのが
わかる。
 わたしは、わたしたちから離れていく真弓がいやだったのだ。希
芹くんの登場は、わたしという存在を霧のようなものにしてしまう
事件だったのだ。
「――……。今度、みんなでお茶会でもやろうか。オレも、真弓の
こともっと聞きたいしさ…」
 わたしの気持ちを知ってか知らずか、希芹くんはそう言った。
 希芹くんは話すことによって、わたしは聞くことによって、この
二年間を清算することになるのだろう。
「もっと、早く出来ればよかったね……」
そのつぶやきは希芹くんに聞こえたかどうかは、わからなかった。

 半年前、希芹くんは迷路の中にいたのだ。
『美矢子さんかも知れない……』
 あの一言は、希芹くんの精いっぱいのSOSだったのかもしれな
い。
 でも、あの時、希芹くんの行動が信じられなかったわたしが冷静
に希芹くんを導くことができたはずもない。
 もし、を言っても始まらないけれど、真弓と希芹くんとの間に何
が有ったかわかればこんなコトにはならなかったのかも知れない。
 真弓は、わたしが期待していたほど、実はわたしたちを信用して
いなかったのかもしれない。
 そこまで思考が及んだときわたしは少なからず動揺した。それは、
切れ切れだった糸が一本につながるからだということがわたしには
わかった。
 わたしは、そこで考えるのを止めた。
 一人で煮詰まってもしょうがない。わからないことの方がまだ多
いのだから。それに、真弓がわたしたちを好きだったことだけは、
疑いようもない事実なのだから。
 全ては、希芹くんの話を聞いてからだ……。
 わたしは考えをまとめて眠りに落ちていった。



	七月

 ミンミン蝉も鳴き始めたばかりのこの日、わたしたちは一日遊び
倒した。
 わたしが今度こんな風に遊び倒せるのは、受験が終わる三月終わ
りになるだろう。それを考えると、ちょっとだけ気が重い。
 友代とわたしは今年受験。麻衣は就職。希芹くんはまだ二年。
 来年はこんな風に四人揃うことは不可能かもしれない。

 長い日も落ちてしまって、少しひんやりとした風が吹くようになっ
てきた。
 噴水が目前にあるベンチに座って、一休みする。中学生だった頃
はまだ海岸線だったはずのところだ。
 希芹くんと麻衣はすぐ後ろの芝生に座った。

「真弓さ……、恋人とお墓参りに来てくれって言ったんだ……」
「はあ?」
「え!? どういうコト?」
「真弓、結局、交通事故だったけど、ホントは事故がなくても次の
夏ぐらいまでの命だったんだ……」
「ちょっと、希芹くん、それどういうコト!? 真弓は、真弓は知っ
てたの?」
 麻衣がえらい剣幕で希芹くんに言い寄った。
 わたしの方は度胆を抜かれてぐうの音も出ない。
「かなり立ち直ったつもりだったけど、やっぱりつらいな……」
 わたしたちはみんな、希芹くんの顔を凝視している。次の言葉を
待っているのだ。
「真弓、一生懸命だったでしょ。おもいきり……。真弓さあ、笑い
ながら、自分が死んでも髪切らないでって、オレに言って、結婚す
るときに真弓の思い出と一緒に髪切って、とかいう話して……。た
だの冗談だと思ってたんだ。特に気にせず……。そのずっと後で、
真弓のお母さんから、病気の話を聞いて……」
「じゃあ、真弓、自分が死ぬことがわかってて、自分が死んだ後の
話をしてたの!?」
「真弓さ、オレがそのこと聞いたって知ったら、ちょっとだけがっ
かりして……。それでも、結局オレ、真弓が泣くトコ見たことなかっ
たんだ……」

 その晩、わたしが眠りについたのは日も昇りはじめた頃だった。

 希芹くんはあまり多くは語ってくれなかったけれども、その一言
一言は、わたしにとって、すごく重要なことばかりだった。
 希芹くんは、今、話すことができる限りの話をしてくれたのだろ
う。自分に対してかなり無理をして、そして、わたしたちを信用し
て。

 真弓は余命幾許(いくばく)も無かった。そして、そのことを真弓
は知っていた。
『あたし、今なら、神様を信じてもいいな』
 希芹くんを得た真弓のあのセリフは、わたしたちがその時受け取っ
た意味よりも、もっともっと深い意味が有ったのだ。あの、にこや
かな表情の深層に強い強い意志が有ったのだ。
 なぜ、わたしはその時、気がついてやれなかったのだろう。
 いや、気がついたとして、何が真弓のためにできただろう。
 高校に入ったら、という話は真弓を苦しめていたのだろうか。
 思い出す真弓の表情(かお)は、いつもにっこりした影のない笑顔
ばかりだ。それは人生を諦めた力のない笑いでは無かった。力強く
生きる人間の心の鑑(かがみ)だったのだ。
 真弓は多分、ぎりぎりまで、わたしたちにも黙っておくつもりだっ
たのだろう。もしかすると、高校も行かないつもりだったのかも知
れない。
 話してもらえなかったことは残念な気がする。でも、おそらく真
弓が考えに考えた末に出した結論なんだと思う。希芹くんにもぎり
ぎりまで秘密のつもりだったのだろう。
 希芹くんはそれがわかったから、わたしたちにも今まで黙ってい
たのだ。
 まあ、希芹くんの場合は、やっと今、冷静に話すことが可能になっ
たとも言えるかも知れないけれど…。

 真弓が希芹くんにその話をしたのは、彼女らが出逢ってすぐ、九
月の終わり頃。希芹くんがそれを知ったのは十二月の終わり……。
 結局、どこまでも希芹くんにはかなわなかったわけだ。
 前はあれ程動揺したことにも、今は特に何とも思わなくなった。
 わたしも神様を信じてみるか……
 そう考えてみる自分にわたしはくすくすと笑った。

 わたしたちは、真弓から強く生きることを学んだのだ。



	三月

 プルルルル……
 電話がなった。わたしはいつものように電話にでた。
 受話器から聞こえたなつかしい声は希芹くんの声だった。
 この前会ったのは、まだ大学生だった。それから、丸二年ぶりだ。

 その二年ぶりの笑顔は相変わらずだった。
 真弓の話は出ないけれども忘れたわけではない。
 わたしたちが、こうして今お話していることが、真弓がいたとい
う証拠なのだ。
 東京にいろいろ仕事が有るはずの希芹くんがわざわざここに来て
る理由は聞くまでもなかった。
 彼の長い髪はもう無いのだから。


                          終

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