髪の記憶        んけどした


「ねえ、ねえ」
「えっ、なあに?」
「あなたさあ、髪、伸ばした方がいいわよ」
「……」
「きっと似合うわ」
「でも…」
「伸ばしなさいよ。ねっ!」
「――…」
「絶体よー。絶体伸ばしてねーっ。約束したわよーっ。じゃあねーっ」


「ん…。うーん」
 その日、真弓はいつもより早く目を覚ました。いつもなら、目覚
し時計が鳴って、それを無意識のうちに止めた後の、母さんの「起
きなさい」という声で、ようやく目を開けるところなのに。
 この日の朝は、それだけで、真弓に充実した一日を感じさせるに
十分だった。
 寝巻きのまま、おもいっきり背伸びをする。
 体中の細胞が新しくなったみたい。真弓はふと思った。
 本当にそうならよかったのに。
 首をちょい、とひねると、コキッと音がした。
 観音開きに鳴っている窓を開けると、同時に朝の光と、九月も中
頃、ぼちぼち秋の香りもしようかという風が入ってきた。ちょっぴ
りひんやりしていて気持ちがいい。
「んー…いい風」
 二階から見下ろす景色もどこか違って見える。
 今日は、きっと何かいい事があるに違いないわ。
 真弓はくすっと笑った。そういえば、何回同じ事を考えたことが
あるかなーと、少しばかり自分を振り返ってみたのだった。
 そんな風の中、ジョギング中らしき人影が視界に入った。前の通
りの家三軒ほど先の十字路になった所をこちらに曲がってきたのだ。
 綺麗。
 真弓は真っ先にそう思った。
 長い髪が走るリズムに合わせて、ふわふわ揺れている。すらりと
伸びた手足に、水色のランニングシャツに、黄色に紺の縁のジョギ
ングパンツが眩しい。背も高い。高校生か。
「わ…綺麗な人…」
 美人…ううん、やっぱり綺麗と言った方がぴったりくる。あのス
トレートの髪。腰まであって、さらさらで……。
 長い髪が似合う人っていいなあ。
 真弓が物心ついたときから思っている事だった。
 真弓は生まれついての天パ(天然パーマのコト。念のため)だっ
た。けっこうウェーブがきつくて、ショートカットがそれなりに似
合っていた。真弓自身も、自分で、似合ってるし、かわいくってい
いな、とか少しばかり思ってしまう程だった。
 しかし、決定的にロングヘアーが似合わないのだ。髪を伸ばそう
と考えたことも一度や二度ではない。現に一度は、けっこう伸ばし
てみたのだ。結果は気の滅入るものではあったが。
 友達が伸ばした髪を櫛ですくのを見て、自分のくせっ毛を疎まし
く思ったものだった。
 しかし、今日は違った。羨ましくもないし、疎ましくもない。そ
う、なにか納得してしまったような感じなのだ。
 長い真っ直の髪というものは、実はこの人の為に存在するのでは
ないか…。
 真弓が見惚れていると、ふと彼女が真弓の方を見上げた。
 その瞬間、真弓の時間は止まった。
 忘れない。あたしはこの瞬間を。あたしの終りの時刻まで。絶体
に――。
 彼女の微笑みは真弓をおとすには十分すぎるものだった。

 近所の人かしら? ジョギングしてたってコトはそう離れた所に
住んでるわけじゃないだろうけど…。見かけたことはないし…
「ボーッとしてないで、早く食べなさい」
 母さんの声も今イチ頭に入らない。
 それでも真弓は健気にパンにかじりついた。
 ――…。
「なに、パンにかじりついたままぼーっとしてるの そんなひま
ないでしょ!」
 庭に面したDKの大きなサッシ。そこから見える庭のブロック塀。
見慣れているはずの景色……だったのだが……、歩いているではな
いか。今朝の君が。胸から上がのぞいている。身長は百七十二〜三
センチぐらいであろうか。白いセーラーがとても似合っている。
 ふと、その長い髪が揺れて、彼女が真弓の家の方を向いた。
 目があった。
 と、同時に風が強く吹き、髪が舞い、彼女は今朝よりはいくらか
子供っぽい感じで真弓に微笑みかけた。
 カッコいい。なんてカッコいいの。
 早く学校いって、麻衣らに自慢しよーっと。

「えーっ! 真弓やっぱりレズじゃないのーっ!」
「違うわよっ!」
 人が今朝の気持ちよい出来事の何分の一かでも御裾分けしてやろ
うと思って話してやったのに、言うにコト欠いて、レズとはなんだ、
レズとは。中学生とはいえ共学だぞ、ここは。花の15才の乙女に
あらぬ噂が立ったらどうするのだ。全く。
「ただねえ、あたしはね、男が嫌いとか、女が好きとか、そーゆー
んじゃなくてェ…」
「へーェ、じゃあ、誰か好きなの?」
 麻衣が茶々をいれる。
「そーじゃなくてェ…」
 平静を装ってはいるが、実はけっこう痛い所を突かれているのだ。
が、そんなコトを顔に出すと、さらにツッコミがくるので、質問を
無視して話を続ける。
「あたしはね、あの髪が好きなの。長い髪が」
 ホント、あの髪、綺麗だったなー…。
「背が高くて、キュッと足首が締まってて…」
 麻衣をはじめ、真弓の話を聞いていた美矢子と友代の三人は絶句
していた。というより、呆れてモノが言えない、といった感じだっ
た。
「ただ、あんな綺麗な人に囲まれて暮らしたいな…っと」
 うーん。理想だなあ。
「だけど男に興味が無いわけじゃないんでしょ?」
「そりゃあ、そうよ」
 そう。全くその通りなのだ。あたしだって彼が欲しい。しかし、
問題があるのだ。
「でも…、男の人って綺麗じゃないもの!」

 HRが始まる鐘が鳴ったんで席に着いた。あれからやっぱりレズ
だの、変態だの麻衣達によってたかって言われて少々気分も下降気
味だった。
 もっとも、麻衣らにしても本気で言っているわけではない。それ
はわかっている。あれでいてなかなかかわいいとこもあるのだ。
 しかし。しかし、やっぱりである。
 あれだけ言われると、あたしって、おかしいのかなあ…とかつい
つい考えてしまう真弓だった。
 ただ綺麗なモノが好きなだけなのに…。

「オラ、オラー、席に着かんかー」
 担任の日下先生がいつもの如くドアをガラッと開けてはいってき
た。まだ若くて、しかもこの間結婚したばかりの新婚さんなんで元
気がいい。
 日下先生に続いて教室に入ってくる人影。
 あたしってなんて好運なんだろう。このときばかりは、天に、神
に、行く道の道祖神にまで感謝したい気持ちだった。
 そう。今朝の彼女ではないか。
 同い年だったのか。
 スラリとした長身に、漆黒の黒い髪。夏服らしい白いセーラーの
よく似合……
「えーっ!?」
「綺隻希芹です。前は東区の方にいました。あと半年ですけどよろ
しくお願いします」
 その声は予想された声よりもいくらか低い声であった。しかし、
それも背の高さゆえのハスキーボイスと言えなくもないであろう。
女であったならば。
 今朝の君のセーラーの下は、上とお揃いの純白のズボンだった。

 5限。今日の体育は女子は体育館でバレーボール、男子は外でサッ
カーだった。
 真弓は体操服に着替えて、さっきの希芹くんの姿を思い出しなが
ら、まだ先生の来ない体育館で、ボーっと立っていた。
「わっ!」
 びっくりした。麻衣がいきなり後ろから抱きついてきたのだ。
「でも、よかったじゃない」
 麻衣が言った。
「そうねー。希芹くんとくっつけば…」
 美矢子と友代が声をそろえて言った。
「一応、変態じゃなくなるもんねー!」
 そ、そうなのだ。ちょっとの間、理想のお姉さまと思っていた人
が男だったんでショックを受けていたのだが…。
 なーんのコトはない。モロにあたしの好みではないか。

 運動場にクラスの男子達と一緒に出て行く希芹くんの後ろ姿をち
らりと見た。長い髪を後ろで三つ編にしたそのそそることといった
ら。そして、体操服の半ズボン。朝見たばかりのキレイな脚線美に
あの細い足首。
 もう、たまんないわー!
 真弓は試合を見ながら(人数が余ったのだ)体育館の壁によりか
かって腰を下ろして、一人そんな妄想に耽っていた。
 ばごむ。
 不謹慎な事を考えていた罰が下ったのか、バレーボールがあたし
のいたいけな顔面を直撃したらしかったが、あたしの記憶はそこで
ぶっ飛んでいた。


 あれは確か、あたしが小学校一年か二年だった。東京に行った…
そう、なんとか博とかがあったときだ。
 自分の髪が他の子と違うって意識しはじめた頃だ。母さんによく
泣きついていた。

 その子は大きな真っ白いつばの広い帽子を被っていた。
 おかっぱのかわいい女の子だった。同い年位の。
 その子はブランコに座っていた。
 よくわからなかったけど、うつむいて泣いているようだった。
 あたしはその子がなんだかかわいそうで話しかけていた。
「どうしたの? 遊んでくれるお友達がいないの?」
 その子はちょっとびっくりしたように顔を上げた。(さみしそう
にしてたのでそう声をかけたのだけど、今思ってみると勝手な思い
込みだ)
「そんなにかわいいのに泣いたらもったいないじゃない。ホラ、一
緒に遊んであげるからもう泣かないで!」
「……うん」
 風でその子の帽子が飛んだ。大人物らしく、被っているというよ
りは、のせてあるという感じだった。 あたしは帽子を拾ってあげ
てその子の頭にのせてあげるとき思った。
 やわらかそうな髪。
 大きくなったら美人になるわ。この子。長い髪が似合う美人に。
「真弓ーっ、行くわよーっ」
 母さんの呼ぶ声がした。一緒に遊んであげると言っといて、二、
三分もしないうちにさよならなんてひどいような気もしたけど、そ
の子の涙も止まって元気も出たようだった。
「ありがとう」
 その子はうつむいてそう言ってくれた。
 あたしも、使命を果たしたような気がして、
「じゃあね、元気でね」
 と言って、母さんの方に駆け出した。
 が、五、六歩行ったところで引き返した。
「ねえ、ねえ」
「えっ、なあに?」
「あなたさあ、髪、伸ばした方がいいわよ」
「……」
 その子はびっくりしたようにきょとんとしていた。「きっと似合
うわ」
 あたしは強く言った。
 この子は美人になる。長い髪の似合う美人に。あたしにはその確
信があった。
「でも…」
「伸ばしなさいよ。ねっ!」
 確か、相当強い口調で言った。その理由は今となるとよくわから
ないけど、なりゆき上、お姉さんっぽい(たぶん憧れてたんだろー
なあ)態度をとっていたのと、長い髪が似合うというのに、髪を伸
ばさないというのは許し難いというような観念があったからだろう。
「――…」
「絶体よー。絶体伸ばしてねーっ。約束したわよーっ。じゃあねーっ」
 目を大きくしてびっくりしたまま、その子が小さく、こくん、こ
くんと何度か頷いたので、あたしは手を大きく振ってさよならをし
ながら駆け出した。

 あの子は今どうしているだろう?
 きっと美人になっているはずだ。それだけは確信がある。髪は伸
ばしているだろうか? もしかすると昔のあのことなんか忘れてい
るかも知れない。
 できることならその姿、色白で、スラリと伸びた体で、桜の散る
並木の中、長い髪を風にたなびかせながら歩く(できれば純白のセー
ラーがいいな)成長したあの子を見たかった。
 やっぱり心残りがあるなあ…


「ん? ん…」
 真弓が目を覚ました所は、あの独特の匂いのする保健室のベッド
の上であった。
「――湿布貼ってれば大丈夫と思うけど…」
 二つ並んだベッドを囲むように白いアコーディオンカーテンが閉
まっているので向う側は見えないが、もう一人、おそらく捻挫でも
した怪我人がいるようだった。
「うーん、頭いて…。ゲッ!」
 後頭部が心なしかズキズキするので手をあててみると、コブがで
きているではないか。そんなに大きくはないが、さすってみると確
かに盛り上がっている。おそらくボールが当った反動で壁にしこた
ま後頭部を打ちつけて軽い脳震盪でも起こしたのだろう。 また麻
衣達に笑われるなあ…
 そんなコトを考えながら真弓はむっくり起き上がって上靴をはい
た。
「――ムリしちゃダメよ」
 なんかえらく甘い声出してるなあ…
 真弓はアコーディオンカーテンを開けた。
「あら、大丈夫?」
 保健の先生の、さっきまでとは違う声色も耳に入らず真弓は立ち
すくした。
 目の前に希芹くんがあった。
 椅子にちょこんと座っていた。
 保健の先生が希芹くんの足首に湿布を貼ってネットをかけている
トコであった。
 どうもハデに転んだのか、腕と脚とあちこちすりむいて血がにじ
んでいた。
 い、色っぽい…
 真弓は驚きだかうれしさだかのあまり硬直してしまっていた。
 今朝のジョギング姿も綺麗だったけど、こう接近して見るとまた
違った感じがする。
 綺麗な人であるというのは変わらない。綺麗だし美人(ハンサムっ
てのとは違うんだよなあ、なぜか)だし。
 そう、何か、こう、妙に色っぽいのである。
 細い手首、細い足首、ほっそり長い首に、その首から一つのライ
ンで流れるようななで肩。
 体操服の短パンからのびた太腿は白くて、すべすべしていて(さ
わったわけじゃないケド)気持ちよさそう。
 こんないい体に……あちこちすりむいちゃって、なんか痛々しい……
 ! そうか!
 この妙な色気の原因がわかった。
 あちこちすりむいたすり傷。これだ。
 どうも、この綺麗な肢体についた痛々しい傷があたしの官能を刺
激するらしいのだ。
 うーん。あたしってサドっ気があったんだなあ…

 どのくらいかよくわからないけど、かなりの時間、あたしは希芹
くんを見つめ続けていた(きっと、いやらしそーな目してたんだろ
ーなあ、恥ずかしい)らしい。
 希芹くんの全身をくまなく見つめて、最後に顔をのぞき込んだと
き目が合ってしまった。
 その瞬間にあたしは我に帰って、自分のあまりの失礼さに赤面し
ただろう。あれがなければ。
 微笑んだのだ。希芹くんが。あたしと目が合った瞬間。

 キンコーン。
 いつもと同じ終業の鐘も、今日は自分の為に鳴ってくれたような
気がした真弓だった。
 6限の理科の授業中にある考えがまとまって、授業が終るのを心
待ちにしていたのだ。

 一刻でも長く希芹くんと一緒にいたい。
 まだよくわかんないけどあたしは希芹くんが好きになったみたい
だ。
 よし。帰りに誘おう。
 希芹くんはかれこれ3回も微笑みかけてくれた。少なくとも嫌わ
れてはいないし、普通、なんでもない女の子に微笑みかけたりしな
いよなあ。
 ある程度の好意は期待しても間違いないだろう。

「ねえ、ねえ、希芹くん!」
 授業が終るとすぐに荷物をカバンに詰め込んで、のんびり帰る準
備をしている希芹くんに声をかけた。「はい?」
 ――かわいい!
 高い声で返事をすると同時に上げた顔がまた妙にあどけない。
 くーっ、なんだってこう、なにからなにまであたし好みなんだろ
う。
「いっしょに帰らない?」
「えーと、キミは……」
「真弓です」
 そういえば、さっきの保健室で会ったときも、着替えないといけ
なかったので、急いでて、自己紹介もしてなかったのだ。
「じゃあ、帰ろーか」
 あっさりOKがでた。これはいよいよそうなのかも知れない。
「ショートカットの女の子って好きだし…」
 にっこりしながら希芹くんが言った。
 ラッキーっっ!
 この瞬間ばかりはこの猫っ毛にも、その遺伝子にも、そのもとの
母さんにも(そう、天パは母さんからの遺伝なのだ)おもいっきり
感謝したい気持ちだった。

「けど、なんで今頃転校なの?」
 今は中3の九月、それも二学期はじめというのでもなく、九月中
旬、16日だ。
「ん、とーちゃんが再婚したんで、そのついで。それにココだと開
猷にも近いから。義兄ちゃんがそこの3年だし」
 開猷というのは目下県下一の進学校で、この間は開校二百周年と
か、ウソかホントかわからないようなことをやっていた私立高校で
ある。
 と、そんなコトよりも、少しばかり複雑そうな家庭環境にあたし
はとまどった。
 こういうことを聞くのはイヤなのだ。
 何て言ったらいいのかわからない。
 相手の弱みを握ったみたいで本当にイヤだ。あたしは今のところ、
だからどうこうするといった気は毛頭無い。たぶんこれからも無い
だろう。しかし、あたしがいつものおしゃべりでふともらしてしまっ
たりしないとも限らない。そのことから希芹くんの立場が悪くなら
ないとも限らないではないか。
 もっとも、もしかすると、これは建前で、本当は、ある種の優越
感を感じていて、そんな自分が嫌なだけかも知れない。
「んー、兄弟っていいよなあ。真弓は? 一人っ子?」
「えっ!? う、うん。一人っ子」
 後退的な考えになりそうなトコを希芹くんが打ち切ってくれて助
かった。
『真弓』とかうれしいことも言ってくれちゃってー。 しかし、間
近で見るとまたなんて綺麗な髪なんだろう。
「前の中学とかどうしてたの? 公立? 私立?」
 本当にどうしてたのだろう? 少なくとも市内でここまで髪形自
由ってのは聞いたコトもなければ見たコトもない。
「市立だったけど、けっこうもめてねー。校長が話がわかる人だっ
たし、仕事で要るからとか適当なこと言ってごまかしたけど」
「仕事って?」
「とーちゃんがデザイナーやってんで、そのツテの写真家の人から
モデルってわけでもないけど、ここに存てくれ、とかゆー感じで何
回か撮ってた程度だけどね。はははは」
「けど、服は? 学生服はどうしてたの?」
「セーラーは単なるオレの趣味。似合うだろ? 適当に理由つけて
御託並べて押し切ってね。オレ学ラン(学生服の上のコトね)持っ
てねーもん」
『オレの趣味』ってとこはちょっとばかりひっかかるけど確かに似
合っている。女としては少しばかり口惜しいけど。まあもっともセー
ラーはもともと水兵服で男の着るもんだったわけだから……

「実を言うとね。希芹くんのコト、てっきり女の人かと思ってたの」
「だろうね。ははは」
 軽く言ってくれちゃってー。コノー。
「あたしの理想の女の人だー、とか思ったのに…」
 まあ、理想の男の人だったワケだけど…
「小学校の一年か二年のときにね、旅行中にかわいい女の子に会っ
てね、あたしは髪伸ばしても似合わないけど、その子はぜーったい
似合うと思ってねー…」
 うー思い出しちゃうなあ…。ホントかわいかったなあ…。
「――その子に髪伸ばしてねって約束したんだけど…。希芹くん見
たとき久しぶりにそれ思いだしちゃって…。美人になってるだろう
なあー…」
 その姿、この目に見たかった、今となっては、だけど。ぐすん。
「――希芹君は、どうして髪伸ばしてるの?」
 言ってみてびっくり。どうして希芹くんは髪を伸ばしてるのだろ
う? 髪を伸ばしたその姿があまりにも自然で聞くのを忘れていた。
休み時間に誰かが聞いていたような気もするけど…。
「オレの初恋の人がねー、髪伸ばした方が似合うよって言ってくれ
てねー…」
 どきっとした後で、むか。あーあ、あたし妬いてるなー。
「――今でもその娘が好きでねー…」
 がーん。軽く言うなよーっ、そんなコト! なんか、体中の力が
抜けたぞーっ。あっと言う間、告白もする前から失恋かよーっ。ひ
どいんじゃない、ちょっと。女の子が誘ってんだから少しぐらい察
してくれたっていーんじゃない?
「――と、言っても小一んときに東京で一回会っただけなんだけど
ねー。三つ子の魂なんとやらだねー。ははは」
「……」
「くせっ毛で、ショートカットが似合ってたなあ、その娘」
 しっ、静まれ心臓。あーん、足がふるえてるよーっっ。
「オレのこと女の子と間違えてたみたいだったけど…」
 ゆっくり希芹くんが振り返る。逆光になって少し朧気に。髪が風
で揺れて…
 あたしはいったいどんな顔をしているのだろう。
 希芹くんの唇がゆっくり動く。
 聞きたくない。やさしそうに微笑んでいる希芹くんの次の一言。
 聞いてしまえばあたしは希芹くんの顔が見えなくなる。涙で。な
んで涙が出てくるのかよくわかんないけど。ホラ、もう半分泣いて
る。コノーっ! そんな罪のなさそーな笑顔なんかしないでよーっ。
「――君みたいに……」
 ――…。
 もーなにニコニコしてるのよ。8年前のいたいけな少女(少年だっ
たけど)は実はイジワルだったのね。いいわ。今日は下手に出てあ
げる。でも明日からはこうはいかないんだから。
 でも、あたしニヤついてるなあ。必死でガマンしてるけど。こん
な思いさせてくれたお礼もしてやらなくっちゃ。
 あたしは、そんなコトを考えながら、希芹くんから差し出された
綺麗な手を取るのだった。

						終


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