Column 旅行記(青函連絡船最終便に乗って) 
                     
 
1988年3月東北方面に旅に出ました。
そもそもの目的は、奥羽本線(米沢〜福島)と
第3セクター化される長井線、そして廃止
間近の青函連絡船に乗る事でした。
東北ワイド周遊券を利用し3月7日急行
「八甲田」で上野を出ました。そして翌日
盛岡に到着をしてから福島まで色々迂回
しながら戻り、更には急行「津軽」に乗って、
長井線・板谷峠を往復し、その晩青森に
入りました。さすが青函航路は廃止寸前の
ため多くの客が出ておりました。

  

最終日(3/13)まで乗船したのは、
3/10  1便「摩周丸」(青0:30〜4:25函)
      8便「羊蹄丸」(函12:15〜16:10青)
      7便「羊蹄丸」(青17:05〜20:55函)
3/11  2便「摩周丸」(函0:40〜4:30青)
      3便「羊蹄丸」(青12:10〜16:05函)
3/12  102便「桧山丸」(函0:10〜4:05青)
とここまで3往復もしてしまったのです。しかもその間3/10には函館本線森駅まで足を延ばしたりしていました。でも残念だったのは、運用のアヤで、同じ船ばっかりにしか乗船出来なかった事です。
青函連絡船は先程も書きました様に非常に混んでいました。時には定員オーバーで乗船出来ない人も出て、次の便まで待たされる事態にまでなっていたのでした。更には11・12日と天候が悪く海はシケていて、大揺れとなり船酔いをしている人が多かったです。

3/12 102便で青森の戻ってから、弘前にまで向かい五能線・津軽鉄道に乗りながら帰るつもりでいました。しかし3/10に青森で合流した友人と話して、最終便に乗ろうという話になりました。青森に22:00頃戻ると、なんと!!もう明日青函トンネルの1番列車
の列と、青函連絡船最終便の列が出来始めて既に待合室から外へと続いていました。最後尾に並びまだ雪が残る青森駅は特に寒かったので待合室で暖を取ったりして一夜を過ごしたのでした。ちなみに青函トンネルと青函連絡船は、開業日と廃止日が同時だったのです。翌朝7:00に「海峡1号」の乗車改札が始まり、青函トンネルは開業となりました。ドサクサに紛れて改札口で配っていた乗車証明書をもらってしまいました(苦笑)。待つこと昨晩から15時間13:00にやっと乗船証明書(JR東日本版)と整理券(専用の乗船名簿)が配られました。

青森発最終便(7便)は八甲田丸でした。乗船すると記念品と乗船証明書(JR北海道版)をもらいいよいよ出航となりました。整理券をもらった一般乗客はグリーン席(カーペット敷き)でした。他は招待者だったみたいです。船内では、報道陣や船内発行の切符を購入したり記念写真を撮る人でごった返していました。17:00桟橋では手を振る大勢のお客さん、そしてタグボートが色々な色の水を放水し別れを惜しまれながら出航となりました。

その日天候は晴れで前日まで大荒れだった海も不思議な位に非常に静かでした。良く連絡船に乗ると、カモメが一緒に船の上を舞いながら北海道へ渡る光景を目にしますが、その日もやっぱりカモメも同行していました。また海峡の中間地点で函館発の最終便(8便)「羊蹄丸」とすれ違う際には、お互いに汽笛を鳴らし合っていました。船内では宴会状態でありましたが、私は日の暮れた船外で風に当たっていましたがやはり非常に静かでした。そろそろ函館の夜景が見えてくると、湾内には多くの船が一隻づつ汽笛を鳴らしながら迎えていました。それに対し「八甲田丸」も汽笛で応える様にしながら、函館港へ向かっていました。

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乗船名簿
ちなみにこれはグリーン船室用
一般船室は白地です。
(クリックすると大きな画像が見られます)
 
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(クリックすると大きな画像が見られます)
「海峡1号」
乗車証明書
乗船証明書
(JR東日本版)
 
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乗船証明書(JR北海道版)
(クリックすると大きな画像が見られます)
 
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船内で発行される切符
硬券で発行便名が乗るのが嬉しい
函館以北の切符も購入できます。
八甲田丸発行と書いてあります。
 
その光景は感動もので、涙を流しながら観ていました。函館駅では、ブラスバンドと多くの人々が迎え式典が行われました。式典が終わり桟橋が静まった時に機関車の汽笛が聞こえてきた。それは札幌発の「北斗星」であった。廃止になってから既に10年を経過していますが、今での鮮明に最終便の光景は残っています。非常に感動的な良い旅でした。
 
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