さくらんぼのパイ  
さくらんぼのパイ vol.2

contents

母対娘、バトルT 母対娘、バトルU 母対娘、バトルV
お砂場の法則 D やっと、タイタニック 母対娘、バトルW
お砂場の法則 E 再就職だ! @ お砂場の法則 H
お砂場の法則 F 再就職だ! A お砂場の法則 I
お砂場の法則 G さようなら、そしてありがとう
綾子さん
再就職だ! B

さくらんぼのパイもくじへ    次へ→

 母対娘、バトルT (朝のお仕事編)


母対娘のバトルといっても娘はまだ2歳なのでしょせんは2歳児のかわいい抵抗ではある。
...とはいってもこれがなかなか30を過ぎた母にとって超の字が3つくらいつく活発な娘との日々はそれはそれはたいへんなものがあるのだ。
まずは朝から。早起き鳥の莉奈はたいてい家族の中で一番に目が覚める。 

目が覚めると早速「おきてー。おきてよー!」と親の頭を持ち上げて強制的に
起こそうとする。 はいはい、と低血圧プラス寝不足でふらふらの体をよろめかせなんとか起きあがると、「ジュース」。 
そう、彼女の朝は一杯のジュースからはじまるのだ。 

そして冷蔵庫をあける。 おもむろに目についたジュースの
パックを取り出すと、下でじっと見張っている莉奈は必ずといっていいほど言う。「いらない!!」。 「えー、じゃあこれは?」と別のを取り出す。
またしても「いらない!!」今度はたいてい泣きわめき地団駄ふんで拒否する。
「もう他にはないよ。じゃあ牛乳は?」と別のに振ると、さらに泣き声を高めて
違うんだ、と抵抗する。 こういう場合は娘を無視して強制的に適当なジュースをテーブルに置いておくことにしている。 

彼女の感情の嵐が過ぎ去った頃、あきらめてたいていは飲んでくれるから。 朝のなにもかも不安定な覚醒しきっていない状態の頭になんでこうまでイライラさせる刺激を与えてくれるのか!

主婦の朝は忙しい。 ダンナを送り出した後、洗濯、掃除、洗い物さまざまな
家事を同時進行で進めなければならない。 でもこれを一度でもスムースに
終えたことなんてない。 洗い物をしていると、必ずイスを持ってきて
自分も加わろうと手を洗剤だらけにする。 まぁ、興味があるんだからしかた
ないんだけど。 掃除機をかけているとこれも必ず取り上げられて自分で
ひととおり納得のいくまでしようとする。 まぁ、手伝おうって気持ちを
大切にしなきゃねぇ。 洗濯物を乾していると、「読んで」と絵本をもってくる。
うれしいんだけど、今はちょっと...。

着替えをさせようと服を出すと「いらない!!」。 自分の好みの服でないと
着ないのだ。生意気なことに。ちょっと組み合わせが変なのにね、いつも。
さて、今度はママが支度しなきゃ、と取りかかろうとすると、「なんか食べる!」。
こういうときはたいてい本人は何を食べるのか決めているので、私はてっとり
ばやく「何食べたいの?」と聞く。 「ゼリー」あるいは「おせんべ」と
たいてい言ってくるので、どちらもうちの常備品。

でも現物を見せるなり娘は 「いらない!!」。
そんな。こっちの努力も知らないで。 
なんやかんやとやりとりしていると時計はもう11時をまわっている。
今度は「おんもいくー。公園ー!」。       
あぁぁ、朝の一仕事の後は紅茶飲みながらゆっくり新聞でも読みたいよ。
こうして私の午前の時間は娘のために費やされるのであった。
99.6.12 top▲

 お砂場の法則 D

外から見ると皆同じような母達ではあるが、学校で先輩後輩があるように
公園の中にも上下関係はある。  
母の年齢ではない。それは子どもの年齢によって決まる。

同じ時間帯に公園に訪れる母たちはたいていの場合同じ年頃の子どもを連れている。 母親達の年齢はさまざまでも、会話は初対面でもない限り
たいていタメ口で交わされる。 子どもが基点なので自然話題も共通していて
母親同士年齢の壁を超えておつき合いできるわけだ。

2歳児が中心の午前中の公園に0歳児をつれた母子がやってくると、
はじめの挨拶はお互い敬語でも時間を経るに従ってだんだんと関係が 
分かれてくるのに気が付く。 よくあるパターンとして年下の子のママが年長の子共のママに教えを受ける、というような感じの流れになりやすいようだ。

2歳児のママ「つかまり立ちなんてなつかしー。いまじゃもう、はしりまわって
         どこへでもよじのぼっちゃうし、もうたいへんなんだから。
         今の方がまだ楽よ。」
0歳児のママ「えー、そうなんですか。」

育児の経験が少しでも長いほうがより新米のママにアドバイスしたり経験を
語ったりというのはたしかにとても自然な流れで、結果アドバイスするほうが
立場が上になってしまうのかもしれない。 
でもなぜか年齢の違う子どもはしばらくするとたいてい姿を見せなくなってしまう。 やっぱり母達は同じ立場で共感できる相手を求めているのだろうか。

0歳児のママたちには先輩風ふかせていた2歳児のママたちも、たまに
幼稚園児のママ達のグループと一緒になると今度は立場が逆転して
相手をたてたり敬語をつかったり、というような感じに態度をシフトさせる。

この4月から公園の仲間たちで市民の家を借りて毎週エアロビクスを
やるようになった。 2〜3歳児の子のママ達が中心のグループに
幼稚園児のママが何人か混じっているといった構成なのだけど、
なぜかインストラクターに近い前列を占めるのはいつも幼稚園ママ達だ。

しかも幼稚園ママたちは同じ幼稚園のネットワークを駆使して徐々に
勢力を広めてきている。  最初は2、3歳児ママが優勢だったのが
最近は幼稚園ママたちにおされてきている、といった感じ。  気が付くと
フロアの半分が幼稚園ママたちになっていた。 気のせいか待ち時間の
時も幼稚園ママグループの円陣に気を使っている私たちがいたりする。

ここに小学生の子どものママが加わるとどうなるのかな。
3段階勢力が生まれたりして。 面白そうなので見てみたい気がする。

              99.6.14   top▲

 お砂場の法則 E

公園に通っていてとても助かると思うことがある。
母たちの母たちによる自発的保育グループがうまく機能していると感じるときだ。
そして何度も公園に足を運んで常連になればなるほど子供の面倒を見ると
いった面では楽ができるようになってくる。

ママたちも子供たちも互いに気心が知れているので ちょっと預けたり
預かったりといったことがスムーズにいくのだ。
 「今日は生活クラブの日だから先に子供を公園でみていて」
と言って用事を済ますこともできるし、
 「ちょっと家から子供の着替えを持ってくるわ」といって その辺の誰かに
子供を見ていてもらうことができる。

他にも、ちょっと目を離した隙に自分の子どもがなにか危険なことをしようとしていると、誰かほかのママが止めてくれたり、親が立ち話に夢中になっていて自分の子どもが勝手に他の子の飲み物を飲んだり スナックタイムのご相伴に勝手にあずかっていたとしても、にこにこと喜んで許してくれていたりする。 
子どもが2人いる場合、手の空いている別のママがそのうちの一人の子どもの面倒を見ていてくれたりもするのだ。

面倒を見合うだけではない。 毎日そばで見ているとなかなか気がつかない
自分の子どもの特徴、変化などをいちはやく教えてくれるのもやはりいつもの
ママ仲間だったりする。  

 「莉奈ちゃん、なんだか背がのびたよねー。」とか、「ちょっと顔が引き締まったんじゃないの?」なんて指摘してくれるので、こちらも
 「へー、そう?」といって改めて子どもの成長を感じたりできるのだ。
世間では今の時代は地域のつながりが薄くなった、昔のように皆で子どもを育てあうといった習慣がなくなった、といわれているのだけど、
代わりに公園文化はちゃんと生きていて もちつもたれつの関係が保たれているといっていいと思う。 

時代はかわっても、きっと人々のすること望むことがそう大きく違ってしまったわけではないのだろう。 
誰だってひとりじゃ子育てなんてできないもの。 「ちょっとおねがい」って言える仲間と一緒に子どもたちを育て合っているんだものね。   

               
99.7.2   top▲

 お砂場の法則 F

公園ママたちのあいだでうわさの広まるのは速い。 
そのスピードたるやマッハのごとしだ。  いちど言葉を発してしまうと30分後には間違いなく公園中のママ達に伝わっていることになる。 そして仲良しママネットワークを駆使して1、2週間以内には引っ越してしまった元公園ママとか、たまたまその日に来ていなかった別のレギュラーのママにも伝わるのだ。

昨年、あるママとダンナの出張のことを話しているとき、
「2週間もいないのはたいへんだけど、うちなんかひょっとしたら3ヶ月フィリピンに出張するかもしれないのよ」とポロッと言ったことがあった。 

あくまでも可能性としてあるということでまだ本決まりではなかったのだけど、その後子どもの後を追いかけて他の遊具のところに行くと、別のママから 「ダンナさん、フィリピン行くんだって?」と聞かれてしまった。 「およっ!?」と私は思わずひるんだ。 だってしゃべってからまだ5分と経っていないんだよ〜。  
伝わるのが速すぎるって。

うわさの中でも超ウルトラ級に速く飛び交う種類のうわさもある。
ベスト3をあげると、
3位「○○ちゃんのところが家を買った、or 引っ越しする」
2位「○○くんが怪我をした、or 病気になった」 
そして1位はなんといっても
「○○くんのママに2人目ができた」 であろう。 

このところいつもの公園仲間のうちで2人目ラッシュということもあって、しょっちゅう聞くのだ。
だから誰かが「ねぇ知ってる?」とか「実はね」と話しを切り出してくると、条件反射的に 「お、ふたりめか?」と思ってしまったりする。
そして妊娠と並んで「引越し」とか「家を買った」というのも最近とてもよく聞くうわさだ。 政府が決めた2年間の住宅習得特別減税の恩恵もあってのことなんでしょうが。 そんなだからこのところ送別会が続いているのだ。

ママ同士のおしゃべりは時には貴重な情報源になるし、ささいな疑問を解決する上でとても役に立つこともあるのだけど、うわさはその性質上形を変えて伝わっていくことがままあるので、不当に傷ついたりする人も出てくることがあって内容によっては注意が必要だ。 

先日も 「AちゃんにいじめられるのがいやでY君は公園に来なくなってしまったんだって」という、まわりまわった形のうわさがAちゃんのママの耳に入り、ひどく動揺していたのを知っている。 
結局原因はAちゃんではないことがわかりたいしたことにはならなかったのだけど。 うちも娘がとても強いのでちょっと他人事とは思えなかったのだ。

子育てに専念している間は子どもを中心に行動範囲や生活パターンも決まりきったものになってくるし、これといって話題にするような事件などでもないかぎりどうしても話題といったら子どもか誰かのうわさになってしまいがちなのである。
そう、母たちは話題に飢えているのである。

あるとき家でも同じように昼間公園で聞いたことを話している自分に気づいた。
ダンナも今では公園のレギュラーメンバーの名前をかなりのところ覚えてしまっている。 あぁ、こういったワイドショー的体質って女の性なのかねぇ、なんてぼんやり思いながら夕方の公園に寄ってみると、犬の愛好家仲間たちが集まって話しに夢中になっていた。 

「ねぇねぇ、ココアちゃん(犬の名前)のところ今建て替えしてるんだって?」なんて会話が聞こえてきた。 なんだ、こっちでも同じじゃーないの。

99.8.14  top▲

 お砂場の法則 G

以前このシリーズで公園内における自分の位置付けを「人類皆兄弟派」と書いたのだけれど、最近としてはニュートラルな立場にそうぬくぬくとひたってもいられなくなってきた。 
仲良しミニグループの中のS君グループとAちゃんグループのはざまに立たされることがしばしば起きているからだ。

Aちゃんグループは女の子が中心で、買い物や新しく出来たトレンディ・スポットとかお店とかをめぐるのが好きなグループ。 公園の後にお互いの家を訪問して親交を深めるのも得意とするみたいだ。 

それと対するS君グループは男の子がメインで主に外遊び大好きワンパクチームといったところか。 このグループは元気のいい子どもの親であるという性質上、どこにいても子どもを叱る罵声が飛び交い、皆声が大きいのが特徴である。 

やはりそれぞれのグループを代表する母たちはそれなりに主導力を持っているので良くも悪くも目立ち、なにかと引き合いに出される。 そして本人達を離れたところで話題にされることも多いのである。 

私の子どもは女の子だ。 それに私のキャラクターからいうとS君グループとはなじまないはずなのだけど、なにせ超活発でおてんばで男まさりの娘をもつ身。
遊び相手もほとんど男の子を選んで毎回全身泥だらけになる娘のこと、必然的に私の話し相手もS君グループの母たちが多くなるというものだ。

そんなある日代表格のS君ママがボソっと
 
「あのMちゃんにはすぐに泣かれちゃう。 うちのSがちょっとなにかしただけ  でギャーギャー泣いちゃうから はっきりいって近寄りがたいわー」
と私に言ってきた。 今までずっと ”誰とでもそれなりに仲良く” の道を歩んできた私にとって、初めて「S君と同グループに属している」と認識させられた発言なのであった。 

グチの同意を求められるということは「きっとこの人は共感してくれるはず」という自信があってのこと。 私はとまどいつつも一応その場ではうなずき「うちの子もよく女の子泣かすからわかるよ。 他にもFちゃんとかYちゃんとかにも謝ってばっかりよー」てな具合に対象を何人かに広げておいて、特定の誰かに片寄るのを避ける発言をしてしまった。 

確かにS君やわが娘をはじめこのグループの子ども達は元気余って他の子どもを泣かせてしまうことが多いので、子を叱ったり泣かせた子に謝らなければならない親のストレスというものはわが事のようによく理解できるのではあるが。

別のある日、私とB君ママとS君ママとが一緒にいたときS君ママが

「うちのS、最近アッカンベーって言うの! どうやらAちゃんが発信源みたいなんだけど。 テレビとかで覚えちゃうんならしょうがないけど、Aちゃんママがこのあいだ弟のH君にも ”ほらアッカンベーって言ってごらん” て言ってるの聞いちゃったもんね。 親がわざわざ言わせるかっていうのー! おかげでうちのSも真似するからかんべんしてよって感じだよ。」
と言ってきた。 その場にいた私たちのそれぞれの反応。 

「親が言わせるのはよくないよねー」というのがB君ママ。 

「アッカンベーならまだかわいい。うちの娘はたまに ”おばちゃん” って私にいうから正直頭にくるよー」というのが私。 

あぁ〜、やっぱり同じ仲間の特定の誰かをどうしても攻撃できない。 だってAちゃんママからはよくいろいろ誘ってもらっているし、けっこう親切なところもあるのだから。 
「仲良し」としていつも行動を共にするのは楽しいことも多いけど、感じ方も同じ、愚痴や悪口のたぐいも一致だなんてやっぱりちょっと窮屈だ。

ひとそれぞれなのだから皆好きにやっていればいいじゃない。 
わざわざグループの分化を際立たせることもあるまいに。 それにあまり誰かのマイナス面を話題にしないほうがいいと思うのだ。 
なんだか不信感が芽生えてしまいそうだし。 というか、まあ自分が言われないためでもあるのだけどね。
99.8.30  
top▲

 母対娘、バトルU (トイレトレーニング編)

幼児を持つ親ならば必ず直面するのが「おむつはずし」。
既に子育てのひとつのキーワードとしてしっかり根付いてしまったこの
おむつはずしの時期は「2歳の夏から」というのが一般的になっているようだ。 
我が家もご多分にもれず、2歳4ヶ月になった今年の夏からおむつはずしめざして母子のバトルを展開させることとなった。

定番の「おまる」はなんだかいちいち洗うのが面倒くさそうなので、
おまるの上の部分だけ利用して大人用の便座に付けて使うことにした。
最初のうちは娘も珍しかったのか、必要もないのにやたらとトイレに行きたがり
一日のうち何度も何度も便座に座りたがるようになった。 そしてそのうち何回かはオシッコに成功するようになった。

「この調子ならひょっとしてすぐにはずせるかもしれない。」と順調な滑り出しに
母としては素直に喜んでいた。 ...が、それもすぐに幻想であったということに気付く。娘はまもなくなにかにつけてトイレに行くのを嫌がるようになってしまったのだ。

「無理強いはいけない。」「決してあせらないで」なんて育児の先輩方の言葉が頭の中をびゅんびゅんと飛び交い始める。 
そう、あせって急がしたり叱りつけては逆効果なのだ。 ここは楽しく遊び感覚でトイレに行ってもらうようにしなければ! そう、なんか変なのだけど母の立場としては「トイレに行ってもらう」というのはとっても強い願いがこめられているのだ。 

そこで作戦
その@ 「シールペタペタ大作戦」

ほとんど定番となっているようだが、やはり娘もごくごく普通にシール貼りの楽しさを味わうために「トイレ行く! シール貼る」と言って行ってくれるようになった。  しかしほどなくしてこの作戦も効力をなくす。 シールは好きでもやっぱりトイレは好きではなかったようだ。

また作戦
そのA 「おしっこおばけ大作戦」

ここでちょっと脅しをかけてみることにしてみた。 想像上のおばけである
「おしっこおばけ」が「おしっこしないと食べちゃうぞーーー」と低い声でうなりながら子どもを探しにやってくると設定。 
娘もおしっこしないとなにやら恐ろしげな化け物に襲われてしまうようだと気味悪がって、2時間おきくらいにやってくる「おしっこおばけ」に純粋に恐れをなしてトイレに行くようになってくれた。 
が、しばらくすると、「あ、おばけだー」とむしろおばけが来るのを面白がるようになってしまい、あえなくこの作戦も短い命を終えた。

今度は作戦
そのB 「ダンス・ダンス・ダンス大作戦」

娘は体を動かすのが大好きで手をつなげば自然と体がダンスモードに入り、
ルンルンと楽しそうに動き始める。 
そこでこの性質を利用して「ラララーン ロロローン」と歌いながら手を握り、そのまま踊りながらトイレの中に誘い込むという作戦にでた。 楽しい気分のまま便器に腰掛け、運がよければジャーっと目的を果たしてくれる。でも本当に運がよければの話しなのでちょっと長続きしなかった。

まだまだ作戦は続く。 
そのC 「ママ大好き!大作戦」

ポイントは娘をぎゅっと抱きしめ愛情を確認し合いながら。 ママ「りなちゃん、お母さんのことすき?」 娘「うん、すき。」 ママ「お母さんもりなちゃんが大好き。 じゃあ大好きなお母さんのいうこと聞いてくれる?」 娘「うん。」 
ママ「体に悪いからトイレいこうね」 娘「うん」 ということでこのままトイレへ
直行。  もよおしている間はずっと手を握って、ママはここにいるから、としっかり側についている。  しかし、まもなく「お母さんの言うこと聞いてくれる?」が始まると、「ダメーー!」と言ってまったく通用しなくなってしまった。

そして現在の作戦 
そのD 「ぬいぐるみ大作戦」

親友のようにかわいがっている大好きなぬいぐるみのくま「シャオロンちゃん」を使ってトイレを渋る娘に(声色を変えて)話しかける。 
 
シャオロン 「あー。りなちゃんだ。もうちゃんとトイレ行ったのかな?」  
娘 「まだいってないの」 
シャオロン 「じゃあチッチしておいでよ。 パンツにジャーしちゃったらおかしいよ」  
などとやり取りをすると娘も「わかったから。ちょっとここでまっててね。」などと言いトイレへ行くようになってくれた。
それにしても、なんでこんなにエネルギーいるのかな? ほとんどいたちごっこのばかし合い。 オムツはずしへの道のりはまだまだ続きそうだ。
99.10.1  
top▲

 やっと、タイタニック

出産が重なって見逃し、「ビデオが出たらぜひ」などと思いつつも忙しさにかまけて先送りにしていたあの超大作「タイタニック」、やっとやっと観ることができたゾ。 さすが世界中の男女を夢中にさせた作品。
 内容も映像も俳優も文句なしの一級品。 何度も映画館に通う熱狂的ファンが大勢いたというのもなっとくできる。 本当にすごい映画だ。 

ひとそれぞれ好きな場面があると思うけど、私の場合はなんといってもあのシーン、カルパチア号の船上で係りの人がローズに名前を聞いたとき 
「ドーソン、 ローズ・ドーソン」と答えたところ。 
ジャックとの思い出を胸にひとりで生きていこうとするローズの深い決意が感じられてジーンときてしまった。

それとジャックとの約束を果たすために助けを呼ぼうと海の中で必死で笛をふいているシーンも。 一生懸命生き延びようとするあの強さに感動。
あと、やっぱりジャック役のレオナルド・デュカプリオも最高に素敵!! 
彼の魅力はなんといってもあの目よ。 「ギルバート・グレイプ」の頃から実は注目していた俳優なのだけど、タイタニックでも期待を全く裏切らない名演技をしてくれて超惚れ直し。 モデルになったローズを写生している目なんてもう、なんてセクシーなの!って感じね。 

主役の2人のほかに光っていた人達はたくさんいたけど、私はやっぱりキャシー・ベイツが大好き。 役の名前は忘れちゃったけど(あの成金でローズのお母さんが嫌っていた太ったおばちゃんヨ)ホントいい味だしてたもんねー。 
演技派女優としては最高に素敵。 いづれにしても主役級の人だけじゃあなくて脇役の人物の個性もちゃんと丁寧に表現されていたので、あの2人が引立ったのはいうまでもないことでしょう。 

あの作品全体を通して貫かれているのが、ジャックとローズの古典的ともいえるロマンチック・ラブだとしたら、多くのファンが惹きつけられたのは2人の悲恋によるところが大きいのかな?  
「始まったばかりの恋」「身分違いで障害だらけの恋」というだけでは今の時代観客の心を動かすことなんて そうそうできないのだろうけど
「船の沈没」といったシチュエーションがそこに加われば「せまりくる死」
「運命に引き裂かれる2人」といった非常な展開に人々は涙してしまうのだろうか。

それに実際にあった事件という事実にも。 もし独身だったなら私も2人の恋愛と最後のローズの夢の中の2人の(大階段での)再会のシーンにオイオイと涙してしまっただろうけど、ロマンチック・ラブの行く末を知り尽くしてしまった今としては やはり別の部分に惹かれるのだ。 

今の私には特にローズの娘からの卒業と女として自立の道を選び取ったところに共感してしまう。 そして年老いたローズの「女は海のように深い秘密をもっているものよ」というセリフがなんだかいつまでも忘れられない。
そのときそのときで印象に残るシーンが違っていくのだろうか。 この映画、時間が経ったら絶対また観てみたいな!  99.8.30 
top▲ 
 

 再就職だ! @ (30過ぎたらダメなの?)

絶対に一生専業主婦だけで終わってしまうことはない、
とは最初から思っていたことだけれど、いつから仕事を再開するかというのは子どもを産んでからずっとずっと気になることではあった。 
しかしこの不況の時代、新卒の学生でさえ希望の職に就くことがむずかしいというのに、「高齢、子持ち、たいしたキャリアなし」の3重苦を抱えた主婦の再就職ともなると並大抵の大変さではないということは100も承知の現実。

もちろん以前の職業を選べば比較的容易にカムバックすることができるのだけど、いろいろ考えた末、方向転換に踏み切ろうとしているわけだ。
そう、年齢的にも今が職業選択の最後のチャンスなのかもしれない。
たいへんだろうな、と予想はしていたけれど、やはり想像の3倍くらいは本当に
厳しいのが再就職市場というもの。

自分の身を省みずにいくつの企業に早速アプローチしてみた。
1社は書類審査でコケ、別の1社は請求した資料を送ってくれないし、
他の1社は問い合わせのe−mailにさえ返事をくれない。 やはり私のような
ハンディキャップだらけの女は市場価値がないのかもしれない、といきなり
戦意をそがれてしまうことが続いたのだった。 
でもとりあえずは定番のハローワークへ行ってみよう。と、地元の職安へ足を
向けてみた。  

でもなんじゃここは! 入るなり、入り口まで人があふれている!  
平日の昼間、まさに老若男女が職を求めてひしめいているといった光景がいきなり飛び込んできたのだった。 
うわさには聞いていたが、これほどまでとは...
腰を掛ける椅子もあいていないし、ファイルを手にするのにも一苦労。 移動するにも人間サーフィンやってるみたいにして進む。  

少しすると遠くのほうから男のドスのきいた怒鳴り声が聞こえてきた。  目を向けると年配の男性ともみあう職員の姿が目に入った。  よくは聞き取れないのだけど、どうやら「ふざけるな。なめるな。」と叫ぶ男性に  「こんなことじゃ仕事見つからないでしょ」と職員が諭しているようだ。 私はかなりビビッてしまったのだけど、周りは結構冷静だ。 ひょっとしてこんな光景は日常茶飯事ってことなの?? まさか。

でも皆が自分のことで精一杯で他人に関心ないって空気は明らか。
それにしてもかなり殺伐としている。 夏だというのに心は冷え冷えして
今後の職探しの道のりの厳しさを憂えてしまった私なのであった。99.10.1
top▲ 

再就職だ! A (主婦ってキャリアじゃない?)

一度専業主婦という生き方を選んでしまうと、そこから抜け出すにはえらくエネルギーが必要だ。 
確かに、自分で自ら望んだことではある。 子どもが出来て通勤のことや帰宅の時間のことを考えると、やはり専業子育て主婦というのが一番子どもにとっても望ましい道であるとその時は思ったのだ。 

それに生まれて初めて体験する未知なる子育てというものにも長年来の思い入れと期待というものがあった。  しかしふたを開けてみて理解したことは、得るものがあるということは同時に失うものもあるという厳しい現実だった。

子育てや家事にかける時間をたっぷりと得たと同時に、当然の事ながら仕事のキャリアは中断されることになる。  そしてこの社会からの一時的なリタイアは多くの場合世間では全くのブランクとしてみなされる。 家計を切り盛りし、子どもの世話をし、料理や洗濯をし、訪問客や保険の外交員などと応対し、送られてくる郵便物の管理をし、地域の一員としての役目もこなす。 

こういった一連の主婦としての仕事は社会では職業とはみなされず、経理や栄養管理や保育や広報といった経験にはカウントされることはない。
今までこうして精一杯がんばってきたことがゼロ、あるいは子どもがいるということでマイナスの評価としてしか跳ね返ってこないのであったら、やはり結婚をひきのばしたり子どもを産むことをためらったりする女性が増えて当然というのも納得できたりする。 

子どもがいるということがブランクの上にさらに付け足される重い荷物だとしたら、子どもを持つ主婦は家にひっこんでいろ、といっているようにも感じられてしまう。 ひがみだろうか。 

かつてのキャリア選択は間違っていたのではないか、せめてもう少し若かったら、子どもがいなかったら、結婚していなかったら、という思いに全く囚われないわけではない。 年齢や勤務地や勤務条件などが今の自分に手が届かないものだということがわかるたびに、そういった後ろ向きな後悔の念が湧き上がってくることは正直言ってある。 わかっちゃいるけど、というやつだ。

でも、見方を変えると今までの私があってこそ今の自分があるともいえる。
悩みながら、自己嫌悪に苛まれながらよたよたと子どもを育てている自分。 専業主婦として地域にどっぷり根を張って精一杯がんばっている自分。 
会社は業績しか評価してくれないけど、私にはありのままの自分を認めて付き合ってくれる家族や地域の仲間たちがいる。 
たとえ社会で認めてくれなくても自分は自分を認めてあげたい。 そう思う。  99.10.28 
top▲

   さようなら、そしてありがとう綾子さん

作家の三浦綾子さんが亡くなった。 享年77歳。 
若い頃大病をして13年間寝たきりの生活をし、その後も病に蝕まれた体で精力的に筆をとり、時には夫に口述筆記を頼んでの作家活動だった。

三浦さんの文学作品は一貫してキリストの愛と救いがテーマになっていて、世代を超えて多くの人々の心を捕らえてきた。
私もその中のひとりで、10代の終わりから今まで彼女の著書を通してずいぶんと励まされ、教えられてきた。 

20歳になる直前に読んだ『塩狩峠』では、主人公の信夫の身を呈して友を救おうとした一途な生き方に心をうたれ、「一粒の麦が死なないなら ただ一粒のまま地に残る」 「友のために命を捨てること、これより大きな愛はない」 といった聖書の句が作品の登場人物を通して心に刻まれた。

20代の終わり、ひどく打ちのめされた日々を送っていた頃読んだ『天北原野』では、主人公の貴乃の激しい運命にさらされながらもそれを受け入れ、しっかり生活していく生き方にどれだけ励まされ救われたかわからない。

誰しも人は自分の知らないところで人を傷つけ悩ませている、ということを自覚させられたのも『氷点』を読んだからだ。
「ひとは愛されるにふさわしいから愛されるのではない」
「どんなに極悪と呼ばれる人であっても、障害があったり寝たきりで何の役にもたたないような人でも、存在するというそれだけのことに意味があるのだ」
といった神の愛の原点や人としての尊厳の大切さを教えられたのも、
三浦さんの著作から受け取ったメッセージからだった。

三浦さんがこれだけたくさんの豊かな言葉を残すことができたのは、病の床にあった13年間という一見無駄な時間、世の中からぽっかり切り離されたような時間があったからだと思う。  

うつ伏せでじっと耐えていた時間、外とのつながりが書物と窓から見える空だけだったとしても、計り知れないほど深く意味のある人生の猶予期間をすごしていたのかもしれない。 病床でいろんなことを思い、考え、決まりきった毎日を送る。 そんな日々の積み重ねが後の仕事に生きてきたのだとしたら、なんと神様の計らいは深く広いものか。

キリスト者にとって死ぬということは決して無になることを意味するのではなく、自分のためにあらかじめ用意された場所に召されることを意味する。
三浦さんも最後に「わたしはまだ、死ぬという大切な仕事がある」と病床から語ったそうだ。 そして今最後の仕事も全うされた。
さようなら、綾子さん。天国でお幸せに。そして最後までありがとう。
                                    99.10.31 
top▲

   母対娘、バトルV (おでかけ編@)

スーパーやデパートに買い物にいくのは楽しみではあるけれど、小さい子を持つ親にとってはそれは同時にストレスの源にもなったりする。
我が娘もお出かけのたびに親に多大なるストレスを与えることにかけては天才的といっていい。 とにかくたいへんなことこの上ないのだ。

娘を連れてゆっくりと新しい服などを品定めするなど夢のまた夢。
ちょっと服を選んだりしていると娘はすきをみて親の手から離れ、迷路のようにうねうねと入り組んだ服売り場を探検に出かけてしまうのだ。 背が低いため一度迷路に迷い込んだら探し出すのにどれだけ時間とエネルギーを費やさねばならないか、過去の経験から身にしみてしっているので最初から服売り場は
素通りすることにしているのだ。

服をみれないのはしょうがないとして、たいへんなのは食料品を充分品定めできないということだ。
勝手知った近所の小さなスーパーでは、娘は店内に入るやいなや脱兎のごとく試食コーナーへとまずは向かう。 そこでつまようじを器用に使ってもくもくと口を動かすのがまず始めに目にする光景だ。 こういう時はなるべく私は他人の振りをするようにする。  

次に向かうのが当然のことながらお菓子のコーナー。  またこういうところって実にうまく子どもの目線に合わせて商品を並べていたりするので、娘も目を輝かせて真剣になって選ぶ。 この間、私は急いで目的のものを籠に入れる。 早く済ませないと、お菓子を見定めた後の娘の行動が予測できないからあせる。 
以前お気に入りのおかしをにぎりしめて、鮮魚売り場のラップをかけられた魚のトレーを上から指でつついていたことがあったから余計な買い物を増やさないためにも早くレジに並ぶのだ。

いつだったか中くらいの規模のスーパーへ買い物に行った時、ふと娘の姿が見えなくなってしまったことがある。 売り場中を探し回ってついに15分後、2階からやってきたエレベーターの中からひょいと飛び出してきたことがあった。
お店の人達にも捜索を手伝ってもらっていた矢先のこと、びっくりするやらあきれるやら。 どうやら人についてエレベーターに乗りこんで2階のおもちゃ売り場で勝手に遊んでいたらしい。 

他にも別の大きなスーパーで店内放送して探してもらったこともある。 
たまたま居合わせた知人も探し回ってくれ、約20分後ひょうひょうと歩き回っていた娘を探し当てたときは心底ほっとしたものだった。  

探している間は「誘拐されていたらどうしよう」なんて落ち着かない。 それに人々の注目を浴びながら恥も外聞もなく大声で「りーなー」と娘の名前を叫びながら小走りではしりまわるのだ。そんな人の気も知らないで娘は発見されてしまったことが面白くないらしく、見つかるとたいていまた脱走しようとする。

娘を車に乗せるのもまた一苦労。 駐車場ではしっかり手をつないで引きずるように歩いていく。 自由をなにより愛する娘のこと、手をつながれて自分の行動を束縛されるのをひどく嫌うのだ。 時には道に寝転んで抵抗する。
「危ないっていってるでしょ!!! なんでお母さんの言うことが聞けないの!」と結局はその辺でよく見かけるパターンに落ち着く。

昔、小さな子供を連れた母親で子どもをガミガミ怒鳴りちらしながら歩いている人を見かけるたびに 「どうしてあんな小さな子供をきつく叱るんだろう」って不機嫌そうな母親を半ばさげすむように見ていたことがあった。 

ついでに、
「せっかく子供が授かったのにもっと幸せそうにできないのかな」なんて実情も知らずに思いあがった思いを抱いたこともあった。  
まさかこの自分がそっくり同じ道を行くことになるなんて...!

そういえば、子供が出来てから眉間にくっきり縦皺が目立つようになった。 
娘を怒鳴るたび、白髪も一本ずつ増えていっているような気もする。 
子供が際限なく元気なのは、親のエネルギーを吸い取って生きているからなのかもしれない。

理想としているモンテッソーリのいう 「大声で叱らないで子供の側でそっとささやくように」注意する、なんて聖母マリア様みたいな芸当、どうしても私にはむりだぁ。 野生のサルを調教するのっていったいどうやっているんだろう? 
ノウハウを教えてもらえないかな。 今日も明日もあさっても娘との戦いは続く。あぁ、今日も人々の視線が痛い。 99.11.23 
top▲



   母対娘、バトルW (おでかけ編A)

うちの子は電車とバスが大好きである。
出かけるときは ”超” 活発な娘のこと、できる限り親の労力を減らすためにシートベルトで体を固定できる車を利用するようにはしている。

電車やらバスやらといった公共の乗り物に乗るとき、どれだけ大変かといったら、「会社の仕事でミスってみんなから白い目で見られて部長からいやみを言われてさらに数時間残業して帰った夜」 くらい身も心もくたくたになる、とたとえてもいいんではないかと思う。卑近な例として。

ほんの一部ではあるけれど、これはある日のお出かけの時のこと。
どうしても出かけなければならない用事があって、1時間強かかる実家に娘を預けることになった。 
バスに乗るために約10分かけてバス停までいかなければならないのだが、途中歩道と道路を隔てる縁せきを時間をかけて渡り、落ちている犬のふんに興味を示し、道の隅にあるはっぱを拾いあげ、とろとろ歩いていると遠くからバスの姿が見えた。 
バス停で待ちたくないばかりに母の私は娘を横抱きにかかえ、猛ダッシュでバスにすべりこむ。 

バスは思いの他満員。 「すわりたいなー。すわりたいなー。」と無邪気な娘。
「1駅だけだからね。がまんして。」と私。 すると「だっこー」と娘。 仕方なしによろよろと抱き上げると見かねて初老のおばさまが席をゆずってくれた。 

皆の注目を浴びながらもありがたく娘を座らせる。 でもこういうときに席を替わってくれるのは決まって子育て経験ありそうな女性だけなんだな。
バスを降りると次は電車。 駅の階段はもちろん「だっこ」。 切符売り場では
「自分で」といって切符を買いたがり、自動改札機に切符を入れに母を残して走っていくのも彼女の習慣。 

電車の中では席を確保するとさっそく靴を脱ぎ、窓の外をながめる。 それにあきると、椅子に寝そべったり「おかし」をねだったりし始める。  
この電車は約30分。 もうちょっとがまんしていてほしい。 やっぱり絵本でも持ってくるんだったと後悔する。 

20分経過すると娘の我慢もほぼ限界。 しかたがないので抱っこして立ち上がり、一緒に窓の景色を楽しむことにした。 でもこういうときに限って娘は母の胸をまさぐりだすのだ。 「おっぱいさわっちゃおーっと」といって襟元から手を入れられた時にはさすがにあせった。 母は周りの注目を浴びて赤面するしかなかった。 次もまだ乗り換えが待っている。

運良く次の30分に1本の急行をつかまえると、車内にゆとりがあるせいか娘はとたん元気になり母の手を離れて走り出す。 車内を運動場と勘違いしているかのように何往復も。 「やめなさい! ここは電車の中でしょ。静かにねっ!」
怒れば怒るほど娘は調子づく。 怒られることがわかっていながら、奇声を上げ激しさを増していく。 体を押さえつけてもよろこんでこのゲームを楽しむ娘。
怒り心頭の私はもはやのど元まであのセリフが出てきている...「いいかげんにしないと、あのおじさんにおこられるよっ!!」

...でもやっぱり言うのはやめにしておいた。 
理由は意地でもそれだけは言いたくないから! こういうとき、周りの年上の大人達が遠慮しないで 「電車の中でさわいじゃだめだよ」と言ってくれたらすごく救われるのに。 みんな内心イライラしているのに、子どもの親に気を使って言えないのが現代の日本人。

親が言っても効き目がないとき、他人からの叱責は子どもを落ち着かせるのにとても効果があるのだ。 やっぱ子どもは社会で育てなきゃねぇ。
どうにかこうにか目的地までたどりつくと、その足で私は用事を済ませに行った。 

夕方娘を受け取り帰りの電車に乗りこむと、お姫様はすやすやと深い眠りの中。 1日の疲れがどっと両腕にのしかかる。 
子連れ外出はホント楽じゃない。99.12.20 top▲

   お砂場の法則 H

 砂場周辺の人間模様は、いってみれば日本社会の縮図と言っても誇張ではないと思う。
主にアメリカを中心とした西洋人と日本人とを比較するとき、西洋人が個人主義であるとすると、日本人は職場や地域社会など特定の場の中に自分を見いだす、所属意識が強い国民としてとらえられている。

場の調和を保つため個人の主張は控え、一体感を求める。 人は皆それぞれ違いがあるのだが、共有する場の中であまり違いを強調しすぎると、「皆同じ仲間」という囲いの中から追い出されるはめになるわけだ。

我を強く持ち出すこと、強すぎる個性、というものはなかなか日本の風土になじまないのかもしれない。 ”村”といった単位でまとまっていた昔に較べれば、まだ現代はずいぶん変わってきているのかもしれないけれど、まだまだいたるところにはびこるこの”村”意識は、公園の中ででも見ることができるのだ。

たとえば外から見ればなごやかな母親たちの談笑の場面。
あたりさわりのない話をしていても、その流れがふと自分のよく知っていることに行き当たることがある。 でも多くの場合、ここでその知識をそのまま披露するようなことはしない。 

「どこかで聞いたことがあるんだけど」 と前置きするとか、

「〜〜らしいよ」 みたくオブラートにくるんで柔らかいあたりでもって投げかけたりする。 

当然皆の注目は発言者に行くから、その後さまざまな質問を受けることを発言者は覚悟しなければいけない。
答える際も、「〜〜なんですって」 「〜〜なんだよね。信じられないけど」 
「私もよく知らないんだけど、〜〜っていうよ」などと わざわざまどろっこしい言いまわしを工夫しながら予防線を張ることになる。 
「自分の知識を自慢して」と反感を買ったりしないための無意識の行動であるのだが。

聞き手の反応もだいたいが 「えー、そうなんだ。じゃぁ〜〜ってことになるよね」 といった具合に皆で共調しあえるような一般論におさまる。
それを「私が思うにはね、〜〜、〜〜。」とまじめに意見してしまったり、思わず本音できついことを言ってしまったりすると、なぜかその後の会話のノリが悪くなってしまい、尻すぼみに終わってしまう。 
そういった個人的見解を述べようとする人は、お砂場の空気を知る人の中にはほとんどいない、といっていいと思う。

一番大切なのは、その場の和を保ち、なごやかな雰囲気を維持しつづけること。 そうなると、話題も子どものことを中心にあたりさわりのないものになり、個人色が強く出すぎない、誰が発言しても取替え可能な話しを来る日も来る日もくり返しすることになる。  こういったことになじめない人は、やがて公園から遠のくことになるようだ。  

母たちががんばって公園カルチャーについていこうと努力するのは、子どもの「体力作り、友達作り」を考えてのことなのだ。
自分ひとりならどうにでもできる。でも子どものことを考えると、「めんどうくさい」とか「つまらない」といった親のわがままで公園に行くのをやめることは、なかなかできないのである。

それに一度レギュラーメンバーとしてお砂場の同窓生に組み込まれてしまうと、行くのを休むにしても天気が悪いとか、病気だとかの理由がいちいち必要な気分にさせられてしまうから、けっこうしんどいと感じる時もある。

子どものために、黒衣に徹するのが親になるってことなのか。 
でもそれだけじゃぁやっぱりストレスたまるよね。 みんな子ども抜きに自分が楽しめる世界もっているのかな。 どうなんだろう。 一度そういった話題で盛り上がってみたいんだけどな。 99.12.31 top▲

   お砂場の法則 I

 子どもも2歳を過ぎると、今までにくらべてダイレクトメールやらポストの折り込みちらしやらがぐんと増えてくる。 どれも皆お子さまをターゲットにした教育産業発行のものである。 
少子化ということで数少なくなってきた子どもたちであるが、お教室を中心とした早期教育、英才教育業界は教育熱心な親たちを取りこもうと、少なくなったパイの奪い合いにしのぎを削っているのだ。

さすがは敵も熟知したもの。 「子どもの才能を伸ばしてやりたい」親心をたくみに刺激し、あらゆる手練手管を駆使して体験入学の会場へと親子をいざなう。

「無料体験教室」と銘打ったくもの巣に引き寄せられてやってきた親子達は、
どこもここもたいてい大勢でにぎわっている。
きっとマスコミの手にかかると、

「早期教育に熱心な今時の親子事情」だの、

「2歳でABC、3歳でHow are you?」
などという見出しの特集記事にしたてあげたりして、世間の批判をあおったりするのであろう。

しかし、実情はマスコミがとらえる姿からはずれているっていうこともある。
少なくともここお砂場周辺の人達にとっては。
ダイレクトメールなどで無料体験教室の案内が届いた翌日の公園は、さっそくママ仲間同士ツアーを組む話で盛り上がる。 体験教室ツアー。 
そう、母たちはイベントに飢えているのである。

朝夫を送り出した後布団を干し、洗濯をし、子どもを公園に連れて行き、夕方に買い物に出かける、といった年中無休のワンパターン行動にいろどりを与えてくれるこの無料イベントは、母たちにとってこの上ないレジャーでもあるのだ。

会場に向かう手段にはたいていAちゃんのママとKちゃんのママが大型の車を提供してくれ、皆で乗りこむのが恒例となっている。
音楽教室、英会話教室、工作教室、幼児教室、と実にメニューは多彩だ。  特に春、秋には体験ツアー目白押しといったところで、皆でつるんで出かける様子ははたから見たら実に楽しげに見えるに違いない。
体験ツアーの後に一緒に寄るマクドナルドな昼食会も楽しみのひとつである。

こんなに熱心に見てまわったところで、実際教室に入会するかというとほとんどがノーである。 こういった暇つぶしであり興味本位の体験ツアー団体にしょっちゅう来られては、教室運営者達もたまったものではないというものだ。   

先生の指示に従い、ルールにしたがって動く、といった習い事になじんでいない公園ギャング集団は、「体験教室あらし」と恐れられていたりして。
それでも結果いくつか回っているうちに、ひと組、ふた組、と親子がひっかかっていき後日入会の手続きを済ませることになった。

もとはといえば少しは内容に興味があってのぞきに行った体験教室。 
自分の子どもが「はまっている」のを見ると、「せっかくあんなに楽しそうにやっているんだから。それにM君も入るっていっているし。」といって仲良し同士入会してしまうのもおかしくはない。

体験の生徒数から見ればたいした「獲得率」ではなかったかもしれないが、
一部でもこうして入ってくれたのなら企業側としてももうけものなのかもしれない。
実はこういったこともちゃんと計算済みだったのかもしれないけど。
うちの場合? いえいえ、まだまだ。 でも3歳過ぎたら体操教室でも、なんて考えてはいますけど。  2000.2.5 top▲

   再就職だ!B (突如きまった就職)

2000年春の再就職を目指して秋くらいからあれこれと準備してきたのだが、実は突如として再就職先が決まってしまった!
それもミレニアムの混乱押し迫る年末ぎりぎりに。 
就職活動始めのころは、あまりに厳しい感触から絶対にまだまだ先だな...決まるとしても春の募集くらいかな、決まるにしてもきっと何社も何社も落とされるんだろうな、となんとなく決めつけていたのだが、
実際決まる時は早い早い。実にあっけなく落ち着き先が決まってしまったのだった。

12月の半ばにインターネットを通じてあるインターネット関連企業にダメモトでe-mailを送ったところ、早速会ってみたいとの先方からの連絡。   今までe-mailを出してもほとんど反応がなかったので今回もやっぱ「子持ち」で「高齢」ということで敬遠されちゃうかなと思っていたら、すぐに反応してくれたので最初は信じられない気持ちだった。 そこでさっそく出向いて見ると、比較的新しい広いオフィスに社員が約2名。 普段はこの他にアルバイトの学生が何人か来ているのだそうだ。  型どおりの面接がすすむ。 なんとなく感触はいい。 話はどんどん採用後のことにまで及んできている。 「ひょっとしてひょっとすると、私は雇ってもらえるのかも、、、、」 という予感が確実になってきたころ、「いくら欲しいですか?」。 え、そんな! 給料って自分で決められるものなの?? 初めての経験に新卒の学生のように戸惑う私であった。

その後、うそのようにトントンとスムースにことがはこび、暮れも暮れの12月28日に社長と最終面接をし、晴れて社員として採用されることになったのだった。あれほど覚悟を決めていただけに、ずいぶんあっけない採用結果に実感がわかないというのが正直な気分であった。 
それから出勤日までのわずかの間、急いで新しい生活のための準備を整えなければならない。 市役所に提出する就労証明書、ベビーシッター会社への登録、必要な会社への提出書類の整理、そしてなんといっても新しい服を買う必要があった。 カジュアル一辺倒だった今までの服装じゃぁちょっと。。。。
なんやかやと初期投資が必要なんだ、就職するって。
準備に追われながらも、期待と不安が入り混じった気持ちでいっぱいの私はミレニアムカウントダウンをいつになくハイな気分で迎えることとなった。
2000.2.5 top▲



さくらんぼのパイもくじへ  vol.1へ   vol.3へ