2009ウイグル旅行編ウルムチでの再会 〜Special Night!    忘れ得ぬ1日



記念写真も撮ったしこれで本当に夢のスペシャルライブ終了。
「厚かましく押し掛けたのに快く応えてくれて心から感謝しています」
改めてお礼の言葉を述べた私にアブ氏から出たのは、「友達なんだから当然だよ」という言葉だった。
「・・・・!!」
Fさんの通訳を聞いて私はアブ氏のオットコマエさにまた感激してしまった。
更には「またおいで」とも。リップサービスと分かっていてもそんなこと言われて嬉しくないはずがない。
おいおい、そんな嬉しいこと言ってくれちゃぁこのバカが本気にしてホントにまた来ちゃうよ〜!

当然なんて言っていたが、アブ氏ご本人にとってもこの展開を考えてはいなかったのではないだろうか。
初めは「せっかくわざわざ日本から来たというんだから、あんまり記憶にないけど会ってあげようか」程度で。
もしドタール聴かせてくれるつもりで来たのだったら最初から楽器持参するか、もしくはこの部屋に用意しておくはず。
それが楽器を取りに帰ってまで1時間くらいも演奏してくれる気に変化したのであれば、
この思い込みの激しさもハチャメチャな行動も無駄なものではなかったと言えるかもしれない。
Fさんという強力な助っ人を得られたという運の良さが一番だったのは確かだけど。
機転がきき物怖じせず私の質問以外にも独自にいろいろ尋ねたりしてくれるFさんの活発さには本当に助けられた…。

全てが終わって部屋を出るという時、感極まって涙ウルウルになったのは私ではなくFさんの方だった。
私はこんな時まで不思議な冷静さの方が勝っていた。

来た時と同じく裏口から建物を出た。今日は金曜なので多分仕事は休みだったんだろうな。
外に出ると、ほぼ満月に近い月が煌煌と輝いていた。
カシュガルで名残りを惜しんで1人エイティガールまで行った夜からまだ1日しか経っていないのも変な感覚。
「どこまで行く?」「バザールまで…」。頷く
アブ氏
また路地から大通りを渡ってレストランの前のバス停へと向かった。ついに夢の時間は終わりが来た。
再び寂しさが迫ってきた。あれだけのことしてもらってもう十分なはずだけどお別れは辛い。

ああバス停が、……あれれ!?
アブ氏はバス停を通り過ぎて歩いていく。
すっかりお別れモードになっていたから少し面食らいつつ付いていく私。
アブ氏はまた鼻歌を歌いだした。ふ〜んふふ〜〜ん♪と…。
鼻歌を面白がっているとアブ氏が「気分がいい時にはこうやって歌いながら歩くんだ」と言った。
またまた嬉しいこと言ってくれるやないの!
私達は質問をしたり鼻歌に聞き耳立てたりしながら、寒い夜道をアブ氏を挟んで歩いた。
延々と街の中心部の大バザールに向かって一本道を歩く私達3人。
私は時々ちょっと斜め後ろに下がって、ドタールのソフトケースを肩に引っ掛けたアブ氏の後ろ姿を見ていた。
気のせいかもしれないけど、何度か通りすがりの人が「あれ…」という顔をしてこちらを見たように思う。
そりゃアブ氏がドタールのケースを肩にかけて歩いてたら彼だと気付く人もいるよねぇ。
Fさんもそれには気付いていたようだった。ミーハーだけどちょっと鼻高々な気分。

かなり長い道のりで、途中で「疲れてない?」と聞いてくれた。やはり優しい方だ。
いえいえ疲れるだなんて、なんぼでも歩いていたいですよ。。。
アブ氏は「僕は歩くのが好きなんだ」と言っていた。
バスかタクシーに乗せる方がスマートなんだろうけど、私は長い距離を散歩で送ってくれるアブ氏の
素朴であたたかくてやっぱりちょっぴり不器用な人柄を感じられてほのぼのとした。

次第に賑やかなエリアに近づいてきた。30分くらいは歩いた気がする。
それにしても結局、初日に探し回った『歌舞団』は出発前ネットで調べていた場所ではなく、
団結路と平行して走る延安路という通りだった。あんなに必死で探したのに。まぁ結果オーライ。
あの三角形の建物は帰国後調べたら『新疆芸術劇院』という所で、今の場所に移転したのは2年前だったらしい。
その中に歌舞団をはじめ様々な音楽系・民族舞踊系の団体が入っているみたい。
(あの日は正面から見なかったけど、画像検索したら見つけた。変わった建物やね)

人通りが多くなってきて、「まだ着かないで!」と願うも
とうとうバザールのすぐ手前の大通りまで来てしまった。
しかし時計を見れば10時半を回っている…バザールに行ってももう店じまいの時間だろう。
後で考えたら新疆時間では8時半だからまだ店も開いてたかもしれないのに、
ついつい私達は北京時間で「もう10時半」と思ってしまって買い物は諦めモードになっていた。
どうするの?と聞かれ、「もう遅くなったし、やっぱりホテルに帰ります」と答えると
「じゃあタクシーで送るよ」と言ってくれたけどさすがにそこまでして頂くのは申し訳なさすぎる。
ごめんなさいアブ氏、30分以上もかけて一緒に来てくれたのに無駄足させてしまったなぁ。
だけどアブ氏は「そうか、分かった」と、大通りでタクシーを拾うのを手伝ってくれた。

しばらくして空車のタクシーが見つかった。
本当に本当に夢のような忘れ得ぬひとときを、ありがとうございました!!!
車がビュンビュン行き交う大通りの歩道で、何度も「ラフマット(ありがとう)」と繰り返した。
走り出すタクシー。さようならアブ氏…!
後ろを振り向くと、もうアブ氏自身もタクシーを拾って乗り込もうとしていた。

タクシーの中でFさんと何を話していたか覚えていない。きっと「アブ氏ええ人すぎっ」とか言ってたはず。
孔雀ホテルに戻り、その近くの刀削麺屋で晩ご飯。私はほとんど口に入らなかった。
部屋に戻るとすぐに撮った動画をモニターでチェック。

演奏しているアブ氏を見て、つい1〜2時間前の出来事なのに「本当にこんな事が起こったのか?」という気分。
私の声で間抜けな質問してるのもキッチリ入ってはいるんだけど…。
まさか明日になったら全て幻で動画も写真も消えてしまっているのではないかと不安になった。
そんな恐ろしい不安を打ち消すように、Fさんの部屋まで行ってもう一度2人で動画を見た。

ずっと不思議な冷静さを保ってはいたが、やはりこの長い1日を色々思い出しているとなかなか寝付けない。

私達だけの為の贅沢すぎる生演奏と生歌に感激したのはもちろんのこと、
それと同じくらいに私はアブ氏の温かく心の広いお人柄に触れられたことが最高に幸せだった。

年末のコンサートにウルムチまで来られたらいいのになぁ。。。これでまた妄想繰り広げてしまうやん(笑)

明日の朝、Fさんは私より1日早くウルムチを発つことになっている。
私は1人でトルファン日帰り旅行に行く。元々『予備日』にしていたし今日が旅のクライマックスだから
トルファンでは軽く町を歩いてくるつもりだ。懐かしの特産干しぶどうも買いたいな。


<後日談>
ここまで、長い文章を読んで下さってありがとうございます。
ご存知の方も多いかと思いますが、この年(2009年)の7月5日にウルムチでデモがきっかけとなった大きな事件が起きました。
そのとき以来ウイグルではインターネット(当然メールも)や国際電話を遮断されてしまい、
今この文を書いている同年12月29日現在でもウイグルのサイトは消えてたり接続不可だったりで全然見られません。
アブ氏がコンサートの日をメールしてきてくれたりする事はまずありえないと思っていましたが
ネットのウイグル音楽サイトで新しいCDの情報は得られるだろうと思っていたので非常に残念です。
もう発売しているのか、もしかしたらCDもコンサートも延期させられているかも…?
同年9月にまたFさんと広西チワン族自治区を旅した際に、唯一のチャンスと思って電話をしてみました。
Fさんに教わった中国語で「大丈夫ですか?」と聞くと、アブ氏らしく一言「ああ」とだけ答えました。
状況を色々知りたかったけど、意図せずとも相手に迷惑がかかってしまうと困るので無事なことを確認するだけでガマンしました。
今、アブ氏はどんな日々を過ごしているのだろう…。

<更に後日談>
次の年の2010年にはやっと国際電話をかけられるようになり、ウイグル語が話せる日本人の方にお願いして電話していただきました。
そしてその年の秋、三度カシュガルでアブ氏との再会が叶いました。
結局企画していたコンサートやCD発売は実現していなかったようだったが、お元気そうでめちゃめちゃ安心しました。