ドタール奏者との出会い    メドレー演奏



交代で弾いていたがまたアブ氏が演奏を始めた。
周りの人が、私にアブ氏の目の前の椅子に座りなよと場所を空けてくれた。ありがとう。
そして私は急いで動画を撮りだした。
アブ氏はドタールの長いネックを上に下にと指を滑らせてウイグルのメロディを奏でる。
途中、2回転調させてのメドレー式の演奏。
私はその貴重な演奏を撮り逃すまいと、じっと液晶モニター越しに演奏を見つめていた。

しかし、メドレーも最後の盛り上がりに差し掛かった頃になってハタと気が付いた。
私は今、偶然にもこんな素晴らしい演奏をすぐ目の前で聴けるという
普通ではありえないような贅沢な状況にあるというのに、ずっと液晶越しにしか見ていないではないか!!

今までも時々そんな事があった。
写真を撮る事に夢中になるばっかりに、ファインダーを隔てた“被写体”として捉えてしまって、
後になってみると「この目で見た」という感覚が希薄だったことに気が付く…。
私は『写真を撮る為に旅をしている』わけではなく、旅してイイなと思った時にシャッターを押すだけなはずが、
いつの間にか本末転倒になって、画面に収めることばかりが目的になってしまっていた事に…。
以前、知り合った子に旅の写真をいろいろ見てもらった時、その子が発した言葉にハッとしたことがあった。
「すごいですね!こんなたくさんの国の風景を全てその目で実際に見てきたんですもんね!」という言葉に。
自分では当たり前の事なので深く意識していなかったけど、あぁそうなんだ、私はこの足で現地の土を踏み、
この目でさまざまな国の景色や人々の姿を見てきて、得難い経験をいっぱいしてきたんだ、と改めて気付かされた。
だけど、そうやって時々ファインダーの中の四角い世界だけしか見ずに「見た!」と勘違いな満足をして
帰国してから「本当に見て、感じてきたのか?」と心の奥で複雑な思いをすることもあるのが事実なのだ。
ファインダーを通して見える世界というものもあるのは確かだけど、私の旅はそういう類ではない。

今回もまた、もう少しでそんな勘違いな「見た!」になってしまうところだったが、
途中で気が付くことができたので、動画を撮っているカメラをそっと膝の上辺りに置いて角度を調整して固定し、
『生アブ氏演奏』をじっくりこの目と耳に焼き付けることができた。

普通に手元を見ながら演奏していたアブ氏は、私がカメラを膝に置いてしばらくすると、私の目を見て演奏し始めた!

そんな私の姿を見て何かを感じたのかどうかは分からない。まぁただの偶然なんだろう。
たとえ偶然だったとしても、やっぱりちゃんと『目で見て感じる』ことが何より大事なんだと私は思った。
初めから撮影が目的で演奏してもらうというような場合は別として、
せっかく真ん前にいてカメラ越しに見続けられるのって、相手にとっても失礼だもんね…。

アブ氏は演奏と共に、ものすごく単純で当たり前だけどとっても大切なことを私に思い出させてくれた。
そして私は、演奏姿が格好良すぎるアブ氏にじっと見られて緊張と動揺で最後の方はカメラが何度かブレてしまったのだった(笑)