最後の朝     祈り



少しずつ列が進み、自分の番もだんだん近づいてきた。
狭い部屋の中は順番を待つ大勢の人々と祈祷に使うお香でとても濃密な空間だ。

遠い土地からはるばると五体投地で何日もかけてやってくる巡礼者もいる。
おでこに傷がいくほど何百回何千回と五体投地を繰り返す人たちがいる。
チベットの人々は何故ここまで祈りを生活の中心としているのだろう。
厳しい環境の中で暮らしているからより宗教を求めるようになったのだろうか?
それとも、空に近いところだから神仏が自然と身近に感じる事ができるのだろうか?
正直なところ、私は特別に信仰を持っているわけでもないからその辺はよくわからない。
神秘的だなぁとか漠然と感じる事はあっても、その時そう感じるだけで終わってしまうし。
チベットに興味を持ったのだって、この独特の神秘的な『雰囲気』に惹かれただけで、
そういう意味ではイスラム圏のエキゾチックな国々に興味を持ったのと変わらない。
でも何か、目に見えない宗教というものに心から帰依できる人たちに対する憧れや尊敬の気持ちがあり、
そして「信じること」から生まれるそれぞれの文化(たいてい文化って宗教から発生してると思う)の
持つパワーに私は惹かれてこれまでいろんな土地を旅してきたのかなと思う。
なので、本当は信心深い人たちに混じって、チベット仏教徒でもない自分が
興味本位でご祈祷の列に並んだりしてもええんかなぁとちょっぴり後ろめたさも感じていた。
ヨーロッパでまともな十字の切り方すら知らないのにミサに参列した時も同じように感じた。
お寺や教会を参拝して仏像やキリスト像を拝むくらいならそこまで考えないけれど…。