チェファル、トラーパニ   フィナーレ

いろいろあったけど、最後にキレイな夕焼けと花火が見られて良かったわーと思いながら
宿に帰りシャワーあびて一息ついていると、今度は突然、近くの教会の鐘が激しく鳴り出した。
と、今度は音楽隊がマーチを奏でながらこちらへやってくる音がする。何?何??
窓を開けると、聖人のお神輿を引いた行列が歩いてきた。何かのお祭りらしい。行ってみよう!
カメラ持って行列に加わった。お神輿は音楽隊と共に町を練り歩き、最後にやってきたのが
カワイイ電飾でライトアップされた教会の広場だった。広場中がすごい人。
マイクを持った牧師が祈りの言葉を捧げ、人々がそれに合わせて「アーメン」とか言う。
今日は地元の祭だったのか・・・。昼間の不気味な静けさとのギャップが激しすぎてあまりにも劇的で
アタシはかなり興奮していた。最後の日にこんなことがあるなんて・・・。
感激しながらその場に浸っていると、牧師が「グラツィエ、サンフランシスコ・ディ・パオラ〜」と言った。
パオラ?パオラって・・・。
あの、夜中に4時間待ちしたのも「パオラ」という駅だった。この聖人も「パオラ」なの?
牧師は何度も「サンフランシスコ・ディ・パオラ」と繰り返す。
不思議な偶然、不思議な巡り合わせ、祭の高揚した空気・・・なにか物語の中にいるような錯覚に陥った。
こんなことってあるんやねぇ、だから旅はやめられないのよね。
聖人の持つ杖には銀色のお魚がついていた。シチリアらしいなと微笑ましかった。
夢見心地でシチリア最後の夜は更けていく。いよいよ旅はチュニジアへ!!

パオラの聖フランシスコについて

聖フランシスコは1416年イタリアのパオラ市で生まれた。フランシスコという名前は両親が長く子供ができないのを悲しみアシジの聖フランシスコに取次ぎを願ったからである。パオラの聖フランシスコは断食、労働、不眠、禁欲などで自らの体を鍛えあげ、これを魂の道具として祈りと償いによって、正義と平和のために生涯をささげた。 フランシスコは小さい時から信心深い生活を行い、13歳でフランシスコ修道院に入ったが、自らの道は別にあることを悟り修道院を出た。その後隠遁して苦行生活を送っていた。19歳の時、数人の青年が彼のもとに集まってきて共同生活をはじめるようになった。しだいにその人数が増えてきて、1454年、コセンツァの司教はより大きな修道院を作ることを許可した。1473年、フランシスコの修道院は教皇シクスト4世によって会憲を認可され、「アシジの聖フランシスコの小修士会」と名づけたが、後に同会の修士たちの要望で「最も小さい者の会」と変更された。この会は、ルイ11世、カルル8世、ルイ12世などの歴代の国王から尊敬される修道会となった。死期の迫ったことを悟ったフランシスコは弟子たちに互いに愛し合うことをさとし、1507年、93歳で亡くなった。