「気をつけろよ」
「気をつけるって……何にさ」
「何だろうな…?……空気とか?」
「気のつけようが無い気もするよ…?」

自分のアドバイスについて質問されて、それにかちりと応えられない響時の姿に腹は立たない。
むしろ答えられなくても当然ではないかと思える……当事者の僕も何がどうなったのか良く解らなかったし…。
大事なのは、僕の事を心配してくれているというその部分だ。

「何にも無ければ良かったのかな…?」
「ん?」
「いや、独り言。気にしないで」
「…そうか、ま、いいや。じゃ、また明日な、時雨」
「うん」

納得している様には見えなかったけど、そういって響時は僕に背を向ける。
夕日の沈んだ空の方向ヘ向かって、響時は僕の家の前から去ってゆく。

よく考えよう、よく考えて話すべき事を話そう。
何も聞かずに帰ってくれた彼の心遣いに僕は応えなければならない、だから今から行くのは自分の机だ。
それを決めて、僕は振り返った。



"私が奏条君に触れた事"それが多分あれらの出来事のきっかけになっていたのだと思う。

午後に出来事について、よくよく思い出して私なりに考えた結果はそういう事だった。
原因とかは良く解らないけど、そういう風にしか思えない。
やっぱり、彼はあの時の子なんじゃないかと思う。
ただ確証はまるで無いし、本人も何がどうなっているのか良くわからないらしい。

自分の部屋でただ一人溜息をつきながら、私は天井を見上げた。

結局詳しい話を何一つできなかったのがちょっと悔やまれる。
帰りがてらにもう少し探ってみるつもりだったのに、帰り道も朔美ちゃんと陣後さんと一緒に帰る事になってしまったのは誤算だった。
陣後さんと仲良くなれそうなのは喜ぶべき事なんだけど、奏条君と話しづらくなるのはちょっと困る。

彼とは、話したい事があるのだ。
昔言えなかった事も含めて、あの場所で起きた出来事について。



朝の教室にいつも通りの時間に入って、周囲を見回す。
まだ奏条君は登校してきていないらしい。

色々話したい事はあるけれど、どう切り出したらいいのか考えて結局どうするか決めかねていただけにちょっと安心する。
とはいえ、何も解決していない事に変わりは無い。

「はぁ……」
「霊曜さん、おはよう」

思わず溜息を着いた瞬間だったので、自分でも判るくらいに体が硬直して軽く跳ねる。
”それは挨拶だ”、と頭の中でさっきの言葉の意味を定義する。
”でもいつもと同じ教室で、でもいつもとは違う挨拶”だと追加で定義する。

何が違うのかというと、普段ならそれほど話す機会が無い人からの挨拶という点だ。

「あ……おはよう。陣後さん」

向き直ってどうにか搾り出したのはそういう言葉だった。
私はそんなだったというのに、彼女の方には別段変わった様子は無い。
なんかズルイ気がする、何がズルイかはよくわからないが。

「驚かせてごめんなさいね、体の方は大丈夫なの?」
「うん、あれから特に変わった事も無く……病院には行かなくても良いかなって思うくらい」
「一応検査だけでも受けておいた方が良いとは思うけど…」

かなり心配してくれている様子の陣後さんの姿に、苦笑いしかできない私だった。

「大丈夫、具合が悪くなったら早退なり何なりするよ」
「うん、無理はしちゃ駄目よ……あと、できればで良いのだけれど、スケッチについてちょっと聞いておきたいんだけど」
「あ、うん、答えられる範囲でなら、いかようにでも」

緊張を解そうかと思って、本の中で見かけた言葉を軽く言ってみたが、陣後さんは暫く考え込んでいるようだった。

「……意外とくだけた物言いするのね、ちょっと驚いたわ」

”お互い様です”という言葉を飲み込んで、自分のほほが緩むのが解ってしまう瞬間がそこにあった。



「じゃあ、高校に入ってからの知り合いなの?」
「そうね、意外だった?」
「あ、うん。凄く仲が良さそうだったから、昔からの友達なのかと思って」

昼休みの美術室、陣後さんと2人してお弁当を食べながら、それとなく奏条君の事について聴いてみたら、こういう話になっている。

ちなみに、奏条君は始業5分前くらいに登校してきて、軽く言葉を交わす機会はあったけど、話したのはお互いの体調とか挨拶ぐらいだった。

そういう訳で、現状打開に向けて目標の周囲からその身辺から探っているのだが……、
陣後さんと奏条君は中学校くらいからの知り合いなのかと思っていたら、そうでもないらしい。

「ああ……そうねー、仲が良いのは私じゃなくて響時の方ね。私はオマケで仲良くなっただけだし」
「え?」
「あ!、ああ、いやいや、そうじゃなくてね、私と響時が仲が良いんじゃなくて、響時と時雨君が仲が良いって話」
「そうじゃなくて……刀簗君の事なんだけど、随分と……長いの?知り合ってから」

暫く陣後さんが他所の方向を見ながら黙ってしまった。
下の名前を呼び捨てとか……、かなり仲が良いんじゃないかと思ったのだが、もしかしたら全然的外れだったのかもしれない。
今度こそ付き合いが長いという事もありえるし。

「……えーと、『刀簗君』とも高校に入ってからの知り合い」
「…仲が悪い……わけじゃないよねえ?」
「悪くはないわね……」

陣後さんは相変わらず他所を向いたままだった。
良く見ると、心なしか顔が紅潮している気もする。

「付き合ってる……とか?」
「いっ!、言い出したのは向こうから!」
「あ、うん」

何というか……驚いた、あとこの人からこういう表情が出るのかとも思った。
いつも見ている硬質な表情も嘘ではないのだと思うけど、こういう顔もできる人なのだと判れば敬遠する人も少なくなると思う。
でも、これはあまり広めたりとかはしない方が良い気がした、色々とこじれさせてしまうかもしれないし。
そう思っている私の前でようやく彼女はこっちを見て話し始めた。

「だから、まぁ……時雨君とは響時を通じてよく話すようにはなったけど、そんなに深く知ってる訳ではないわ。でも悪い人じゃないのは確かよ」
「そうなんだ」

そこで一瞬間が開いた。
聞きたかった事は聞けそうも無く内心ちょっとがっかりな私は油断していたのかもしれない。
不意打ちに反応できなかった。

「ああいうタイプ好きなの?」
「えっ、いやそうじゃなくて、知り合いかもしれなかったから、昔の事とか聞きたかっただけ」
「え?どういう事?」

失敗と言うか、そのままだったら訳のわからない話をどうやってわかるように説明する必要が出た事に対して『やっちゃったなー』と思う。
そう考えてる間にも説明の順序は考え続けていた。



『黒い影』が教室の窓越しに見えた。

霊曜さんに何をどう聞いたら良いのかと思案して、でもどうするか決められなくて、
何気なく顔を外へ向けたらそういう物が見えたので驚いた…のだが、見たことがある風景だとも-思って何が何だか良く解らなくなる。

脳裏に浮かんだイメージは既視感ではなく、明確にどこなのかが解る背景に黒い影があった。
一面の林とトンネルの様にそれを貫ぬく一本道、あの御社の周辺の映像だ。
そこに、今見えている影がある。

「何で…?」
「どうした時雨?」

思わず呟いた言葉に近くにいた響時から返事があった。

「あ、ちょっと影がさ…」
「影?」

言ってから変な説明だと自分でも思う。
ただ響時はその説明に多少不審そうな表情を浮かべたが、僕の見ていた方向を見て”ああ”と一言呟いた。

「確かに影だな……夏なのにあんな黒尽くめの格好してて暑くないのかあの人」
「どうかなあ……」

響時のいう通り、僕が影だと思っていたのは黒い服を着た人らしい。
遠目なので肌が露出していない黒い服を着ている事くらいしか解らないのだが、どうにも普通のデザインの服ではない様に思えた。

だからこそ、イメージの中の黒い影と重なるのはおかしな事ではないのかもしれないが……何故そうなるのかが解らない。
知らない物同士の関係がたまたま繋がるなんていう事がありえるのだろうか?

「しかし目立つよなあ、あの格好。誰か警察とかに通報してたりして」
「ああ、確かにそうだね。でも立ってるだけなら大丈夫……じゃないね」

不審者な格好で不審な行動を取っていれば逮捕されても文句が言えない世の中だ。
ちょっと心配した僕だったが、黒衣の人が歩き出したのはその直後だった。

「どっか行くみたいだな」
「そうだね」
「デザイナーか何かなのかな、あの人」

極めて真面目な表情で響時がそう言うので、”そう考えた理由があるのかな?”となんとなく思う。

「なんでそう思ったの?」
「勘」

”理屈っぽい顔してそういう事を言わないで欲しいなー”と内心一人ごちてしまう僕だった。



”そういう事なら、帰りに境城公園の入口近くで待っててくれる?”

陣後さんになんとか昔の事を説明した結果、彼女が言ったのはそういう台詞だった。
そういう訳で、その後に思わず頷いてしまったので、私は今夏空の公園の中、木陰で人を待っている。

「どうなるんだろ」

思わず呟いてしまったが、私にできるのは待つ事だけだからどうなる訳もない。

だから私は蝉が命を振り絞る様に鳴くのをじっと聞き続けていた。
待つ事にはもう慣れている。
それは大変な事だけど、難しい技術は必要としないのだし。

「お待たせ」

声に応えて横を見ると、陣後さんがこちらへ向かって近寄ってくる所だった。

「ごめんなさい、ちょっと手間取って」
「いいよ、そんなに待ってないし」
「そう言ってもらうえると助かるけど……えーと、向こうの方に座れる場所があるからそこに行きましょう」
「あ、うん」

陣後さんが指差す方向は、公園の奥の方だ。
境城公園は結構な広さがある公園で、それでも待ち合わせ場所に陣後さんが指定してきた理由は地図上の入口が一つしかないという点にあると思う。
もちろん入口として門が設置されている場所以外からも出入りはできるので正確には入口は複数あるから、出入りにはそんなに不便は無い。

そういう場所ではあったけど、私はそんなに来る場所じゃなかったので公園の奥の方というのは余り縁の無い場所だった。
陣後さんの後ろについて歩きながら、こんな場所があったっけ?等と考える。

記憶に無い場所ではないはずなのに、よく覚えていない訳で、それを考えるとやっぱり昨日の奏条君の反応はおかしな事としか思えない。
でも、それを証明する物は何も無い。

「居た」
「え!?」

言ってから思わず自分の口を塞ぐ。
呟くようにではなく、はっきりと陣後さんが何か言うのが聞こえて変な声が出てしまったのだが…、陣後さんは全くこちらは気にしていない様だった。
彼女の視線が一方向に向いているのに気付いたので、その方向に私も目を向けてみると、
その方向には木陰のベンチがあり、そこに学生服姿で座っている男の子の姿が見えた、
こっちに向かって片手を揚げているその姿は……どうも刀簗君らしい。

「刀簗君を……呼んだの?」
「ええ、時雨君の事を聞くならこれ以上適任な人間も居ないと思って。……本人には時雨君の事について色々聞きたいとだけは話してあるし、それで了承も取ってるから色々聞いて大丈夫よ」

また難しい状況だと、内心でちょっと困ってみた。
困りながらも何を聞こうか考えていた事を思い出してみる。

彼の昔の事……あの事が起きたのが12、3年前の頃だから、その頃の話を聞ければいい。
……まずはその頃からの知り合いかどうかとかから聞こう。

そう考えている内に、刀簗君と私達の距離は話が出来る辺りになっていた。
出迎えるようにベンチを立った刀簗君は、軽く伸びをしている。
ただ……立っただけで、こっちへ近づいては来ない。
話す場所はベンチの近くにしないとここまで来た意味が無いからそれは問題無いのだけど、教室で出会う時のやや冷徹なイメージが重なってちょっと不安になった。
冷徹な人ではないのは昨日話してみて良く解っているのだけど、邪険にされたら聞きたいことも聞けない。
だけど、そんな私の心配を軽く吹き飛ばすように、軽い口調で彼は話し出した。

「早いねー、2人とも」
「余計な寄り道してないんだからこんな物よ、ちょっと遅いくらいだと思うけど」
「知り合いで話すだけなんだから、そんなに時間に気を使わなくても良い気がするんだけど……まぁいいや、はいコレ」

傍らに置いていたビニール袋が差し出されたので反射的に受け取ってしまった。
中を覗いてみると、お茶とかのペットボトルが数本入っている。

「霊曜さんの好みとか解らなかったから適当に買ってきたんだ、好きなの一本選んで」
「え、あ、ありがとう」

無難にお茶のペットボトルを頂いて袋を返すと、刀簗君はそれの中から健康飲料系の物を取り出して陣後さんに渡した。

「ありがと」
「いえいえ、後でお代頂けるともっと嬉しいです」
「仕方無いわね…」

陣後さんはそう言いながら手に提げた学生鞄を一度下ろすとそれを開けて中に手を入れる。
しかしその動きはすぐに中断した、刀簗君が”ちょっと待って”と止めたからである。

「あ、うそうそ、冗談だって。奢り奢り」
「じゃあ改めてありがと」

なんでもないやり取りなのかもしれないが、改めて考えると衝撃的な光景かもしれない。
教室では真面目な顔ぐらいしか見た事が無い二人がこういう感じに話しているのは、なんか変な感じとしか言いようが無い。

「じゃま、座って座って。あと早速だけど聞きたい事って何なの?」
「奏条君の事よ、知ってる限り全部」
「全部たって、そんな大した事は知らない気がするけど…」

促されるままに私と陣後さんがベンチに座り、すこし離れた所に刀簗君が立つ。
夕暮れ前の公園で、私達の話は始まった。



オニさんに何やら用事があるからと呼び出された響時と別れて、僕は家路をゆっくりと歩いていた。
暑いのでさっさと帰った方が良いのかもしれないけど、考え事に集中したかったのでわざとそうする事にしたのだ。
(僕は歩きながら考えると色々うまく繋がる事が多い、お風呂に入っている時と机に向かっている時がそれに続く)

霊曜さんの事を考えたい気分だったので丁度良かった事は良かったのだけど、
同い年の女の子の事を不純な気持ち無しで考えるっていう経験はそんなに無いから、
そういう事の経験がありそうな響時に相談できないのはちょっと不便なのかもと思う。

一方が上手く行くともう片方が上手く行かないっていうのは、人生の縮図とかそういう物なのかもしれない。
……本当にそうなのかは全然判らないのだけど、なんとなくそうなんじゃないかと思えた。

周囲に響いていた蝉の声が一際高くなって、僕は服の胸元を軽くつまむと前後に揺さぶって空気の流れを作る。
暑苦しさはあまり変わらない気がしたけど、何もしないよりはマシだ。

それはそうと、霊曜さんとは今日は殆ど話せなかった。
朝ギリギリに来た僕が悪かったんだろうけど、昨日から今日までの具合とか、そういう世間話ぐらいの事しか話していない。

……余り考えたくないんだけど、なんとなく避けられてる気もする。
僕としては特に怒らせるような事はしてないつもりだけに、何が悪いのかは気がかりだった、昨日の事もあるし。

顔を上げると、空の端から徐々に雲が広がっていた、晴れているのにどこか危うい空だった。

思い当たる事があれば、まだマシだったかもしれないなと思う。
原因が解らないというのは考える方向を絞れないという事で、
それはもっと言えば様々な可能性についての考察が必要という事だし、
ついでに言うならそういうのは不毛な割に何が何だか解らない結論しか出させてくれない。

僕よりもっと頭の良い人だったら、そういう事を考えてもより簡単で役に立つ結論を導き出せるのかもしれない。
そう考えると、僕は色々と損をしている様にも思えて気分がめげてくる。

只1人、太陽から吸い取った熱を放ち続けるアスファルトを踏みしめて歩く。
僕がやるべき事は、彼女と話す事なのか、話す前に何が悪かったのか考える事なのか、
それとも昨日の出来事について考えるべきなのか……優先順位はどれにも付けられない。

「はぁ…」
「時雨君!」

名前を呼ばれたのは思わず溜息を吐いた瞬間だった。
周囲を見まわして状況を確認してみると、もう家まで数十メートルとかという場所に立っていた。
若い男性が箒を片手にこっちに軽く手を振っている、見知った顔がにこやかに微笑んでいた。

「護(まもる)さん……こんにちは」

その若い男性の名前は月臣護(つくおみ まもる)さんという。
僕にとっては”大屋さん”に当たる人だが、年はそんなに離れてないはずだ。

振られた手に返す形で頭を軽く下げると、向こうも会釈しつつこっちに近付いてきた。

「随分と景気の悪そうな顔してるけど、何かあった?」
「……そんな風に見えます?」
「見える、いつもの君はもっと柔らかい顔してる」

そう言って護さんは悪戯っぽく笑った。

僕達の傍らに立つマンションに護さんとその奥さんは住んでいる。

住んでいるだけじゃなくて、そこは護さん達の持ち物でもあるらしい。
マンション全体が自分達の持ち物であるせいか夫婦別々の部屋で生活しているとも聞いた事がある、
夫婦仲が悪いのかと言えばそんな事は無いみたいなのだが。

蛇足だが、僕の家はここの近くにある庭付き一戸建てだ。
築5年ぐらいの割と新しい家で元々は護さん達が住む為に買った家だったそうなのだが、色々あって僕の親が借りる事になったらしい。
以前護さんにその事について聞いた時は、“一戸建てに住むには俺達はまだ若過ぎるし、家も2人で住むには広過ぎるから”と言っていたし、
実際に4人家族で住んでみても広いと思うから、護さん達の判断は間違っていなかったのだろう。

しかし、マンションにしろ一戸建てにしろ、お金持ちなのは間違いない、あんまりそんな風には見えない人だけど。

「君がそんな浮かない顔をする理由……興味あるなぁ」
「あー、そんな大した事じゃないかもしれませんよ」
「事の大小は関係ないよ、普段とは違う君を作る理由があるってのが重要な所だから。……良ければ聞かせてくれないかな、相談に乗れるかもしれないし、勿論秘密も守るよ」

ちょっとだけ迷って、僕は話す事に決めた。
なんとなくだけど、話したくなったのである。

「何ていうか……知り合いの女の子に失礼な事でも言ったみたいで」
「“みたい”って……どういう意味?」
「僕にも良く解らないんです。普通に話をしただけなんですけど……それ以降なんか避けられてるみたいな気がして」
「ああ……そういう事ね」

考え込む様な素振りを見せる護さんの姿に、僕もちょっと緊張する。
何を言われるのか、笑い飛ばされて終わりとかって事にはならないだろうけど、自分のした事に対する結果を待つのはどきどきする。

「何が悪かったのかはともかく、いつそういう事を言ったのかは思い当たる節があるの?」
「あ、はい」
「やっぱりか」

僕の答えに、護さんは破顔一笑する。

「じゃあ、やるべき事は一つだよ。その時自分が何を言ったのか一言一句思い出せるだけ思い出すしかない」
「それはもう始めてるんですけど、どうにも……」
「思い当たらない、と……だったら、君に落ち度は無いんじゃないかな。むしろ向こうが思い悩んでるだけって可能性もあるよ」
「向こうの問題、ですか」

そういう風には考えてもみなかった。
確かにそれなら全く問題は無い……でも、そんな風には思えない。

「そうは考えられない?……というか、君の言葉が誰かを傷つけるとは俺には思えないから……何か奇行を働いたり……しないよね、時雨君は。うーん……」

護さんから出た”奇行”という言葉がひっかかった。
やっぱり僕と彼女の間にあった不思議な出来事が原因なんだろうか?

「……どうかした?」

無言で考えていたせいか、いつの間にか護さんに心配されていた。
……いや、相談に乗ってもらってるのは会った時からだから、ずっと心配はされてるみたいだけど。

「本当にどうしたの?」
「あ、いえ。奇行っていうのとはちょっと違うと思うんですけど、不思議な事はあったんで、それで気味悪がられてるのかな、って」
「不思議な事?」
「あ、はい。僕と彼女が触れ合ったら、白昼夢みたいな感じになったり、震えが止まったり……なんかそういう言い方しかできないんですけど」

言ってから自分でも胡散臭い話だと思う。言わない方が良かったのかもしれない。
でもこれが原因なら、多分誰に話してもどうにもならない事ではある、そう思って僕は半分開き直れた気分になった。

「触れ合ったら白昼夢……ねぇ」
「ええ、変な話ですよね」
「んん……そういう事に関しては……信じるしかないかもなぁ」
「え?」

なんだかすっ飛んだ事を言われている気がして、大丈夫なのかと思ってしまう。

「信じるのは、その子と、君の間にある縁をさ。縁があるなら、例え何がどうなろうとも又会えるし、そうじゃなければそうはならない」
「縁…」

現実感の無い話だとは思う。
だけど、説明がつかない事が現にあって、それが繋がりになりつつある。

護さんの言う”縁”という言葉は、その繋がりを形にできるほぼ唯一の言葉に思えた。

「そう……ですね。そうします」
「そうか……うん、あんまり具体的じゃないけど、アドバイスっぽい事が言えて良かったよ」
「え?」

アドバイス”っぽい”……と言われても、ちょっと困る。

「他の誰にも説明できなくても、君達にはわかる絆もあるよ」

その言葉は、妙に心の奥まで響いた。
酷く投げやりな様で、でも凄く心配されているような、そんな印象がある言葉だと思った。
ただ、どういう意味なのかが明確には掴めない。

「どういう……意味ですか?」
「言葉通りに受け取ってくれれば良いよ。深い意味とかは考えなくても良いし、こういう意味なのかなって君が思ったらそれで正解だと思う……先輩からの忠告は得てしてそんなもんだよ」
「は、はい」

うまくはぐらかされたような気もするけど、不思議と騙された様な気はしなかった。
本当に、その言葉の意味が判る時がくればいいと思う。

「……あ、そうだ。今から家に帰るんだよね?」
「あ、ええ」

ちょっと考え込む様な素振りの後に護さんが言い出した言葉が、今までの会話とあまりに繋がってなかったのでちょっと慌てた。
護さん的にはさっきの話はもう終わってしまったらしい。

「この前、君のお母さんから煮物頂いて、その時一緒に借りた鍋をお返しにあがろうと思ってたんだけど、できたら君が持って帰ってくれないかな。…荷物になる様なら遠慮するけど」
「ああ、良いですよ」
「よーし、じゃあちょっと待ってて。持ってくるよ」

そう言うと、僕が返事をする間も無く護さんは箒を持ったままで自分の部屋へ歩み去る。
暫く待っていると、今度は箒の変わりに鍋を持って護さんが出てきた。
鍋は、見覚えがある焦げ跡付きの鍋だ。

「ちょっと重くなるかもしれないけど、中にお茶菓子が入ってるから、ご家族でどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「良いって良いって、煮物美味しかったですってお母さんに言っといてくれるかな」
「解りました、伝えときます」
「あと、これ」

そう言うと、護さんは紙幣を一枚差し出して来た。
僕も良く目にする、現行で流通してる中では一番安い奴だ。

「これは?」
「労働の対価。働いた者には報酬が合って然るべき」
「そんな大層な事じゃないですよ」
「いーからいーから、貰っときなさいって」

「いや、でも…」
「んー。……じゃあ、もう一つ買い物頼まれてくれないかな?、ちょっとここを離れ難い事情があってねー、どうしようか考えてたんだよ。それもやって貰うから御駄賃を受け取るって事でどう?」

正直な話、お金を貰うと言うのは悪い気はしない、ただ対価も無くそれを受け取ると言う事に抵抗感があっただけだ。
こう言う話なら、悪く無いと思う。

「じゃあ、ありがたく頂きます。それで、何を買ってくれば良いんですか?」
「うん、ちょっと待ってて、買い物メモと代金持ってくるから……」
「あ、はい」

結構な量らしいが、逆に買い物を頼まれる側としては面白い事になりそうでわくわくする。
さっきまで色々と考えていた事を差し引いても、楽しい予感には胸踊る僕なのだった。


「最初にはっきり言っとくと、子供の頃の事は良く覚えてないらしい」
「そうなんだ……」

出会い、趣味から思い出まで…刀簗君が奏条君について知っている事を聞かせてもらったのだが、
結局私が一番知りたかった過去の事についてはそういう結果らしい。
ちょっと残念だった。

「ただねー、本人は覚えてないんだけど、なんか変な事はあったらしいよ。病院からいきなり連絡来て親がすっ飛んで行った、とか」
「あったらしいって……」

隣で黙っていた陣後さんが、それこそ溜息を吐きながらそう言う。
刀簗君はそれに驚いた様に”違う違う”と手を振った。

「本人はその辺りの事を良く覚えてないからそういう言い方になるんだってば。
 なんか良く解らんけど気が付いたら病院のベッドで、親が心配そうに見てたから子供心に驚いたらしい」
「病院に行くまでの事は覚えてないって事?」

陣後さんの返事は、今度は軽く聞き返すような口調だった。
私の気持ちを代弁してくれている様でちょっと嬉しい。

「ああ、なんでも通りがかった人が連れて来たんだってさ、ただ何か……その人も良く解らん人らしい」
「どういう事なのよ、変な人って意味?」
「いや、そうじゃなくて正体不明らしい。なんか、病院の関係者ではあるんだけど、すっごい忙しい人らしくてさ、
 時雨を見つけた時も治療が終わるまで立ち会う事はできなかったんだって、代わりに病院の治療費とかその辺の事は全部持ってくれてたそうだ。
 そのあと何回か親が連絡は入れたらしいんだが、最後まで直に会う事はなかったらしいな」
「……あしながおじさんね、まるで」
「本人は手紙はおろか感謝の言葉さえ伝えた事がないらしいけどな」

その『あしながおじさん』があの黒衣の人ならば、そこで彼とあの子が繋がる。
だったら、その人について聞けば良いのだろうか?

「……でも、本人は覚えてないんだからその人については聞き様が無いね…」

思わずそこだけ声に出してしまった。

「別に本人に聞かなくても良いんじゃない?、時雨君の親御さんに聞いてみればその人との連絡先も解るかもしれないし」
「確かに」

思わぬ声が2つある。
軽い驚きと共に2人の顔を見返した私を何事かと見つめる様な視線が迎えてくれた。

「どうかした?、遥……じゃなくて霊曜さん」
「え、あ、別に遥でも良いけど、その、奏条君のご両親に話を聞くって言っても……ご迷惑じゃないかな、それ以前に私にはつても無いし」
「つてならあるじゃない、ここに」

私の言い分に陣後さんは軽く応えて目の前に立っている眼鏡をかけた長身を指差した。

「あるとかないとかって……無生物じゃないんだけど俺」
「無生物だろうと生物だろうとあるものはあるのよ。表現はちょっと乱暴だけど間違いでは無いはずよ」
「そうですけども……あー、いや、いいよ。問題はそんな事じゃないし。
 時雨の両親とは結構会ったり話したりしてるし、悪く思われてはいないはずだから、それくらいの事なら聞けると思うよ」

口調や話す内容はともかく、殆ど変化しない表情のままで刀簗君は私を見ながらそう言った。
その言葉をそのまま取るなら、彼が話を聞いてきてくれるという事になる。
しかし、それは…。

「そこまでして貰うのは…悪いと思う」

刀簗君にそこまでして貰うだけの理由が私には無い。
だからそれは頼めない、これは私の個人的な興味とか心残りとか、少なくとも複数の人に面倒を掛けてまで調べるべき事じゃないから。
けれども、そう思う気持ちを形にするよりも早く、それを遮る声が夏の夕暮れに舞った。

「悪いとか、ではないの、遥さん。これはね、私達にも関係している事なのよ。少なくとも時雨君は私達の友達で、彼も昨日の事を気に掛けて悩んでるみたいなの。
 私達はそれを何とかしてあげたいと思っている、だからこれは私達からのお願いでもあるのよ。協力させてもらえないかしら」
「そうそう、俺は半分興味本位だけど、悪い様にはしないから」
「そういう、事なら……」

お願いしてみてもいいのかもしれない。
本当はただ私の我侭なのかもしれないけど、この人達は多分そういう事もわかった上で協力してくれるのだろう。
申し出を言葉通りに受け取る事はしないけど、拒否する理由はもう思いつかない。

「協力を、お願いします」

頷く動きが2人に生まれて、そして私は今からどうするかを考え始めていた。

蝉の声が不意に止む。
時刻はもう夕暮れも良い所になろうとしていた。


「ただいま」
「おかえり」

護さんから頼まれた買い物と買った物の受け渡しを終えて、家に戻ってきた僕を出迎えたのは響時だった。
偶にこういう事はあったので、そんなに驚く事ではない……変な事ではあるんだけど。

「どうかしたの?」
「聞きたい事があったんで、待たしてもらってた」
「電話じゃ聞き難い事なんだ?」
「うん」

話しながら僕は靴を脱ぎ、玄関から上がって部屋に向かって歩き出した。
響時も僕の後をついて来て、僕達は歩きながらも話していた。

「えーとさ、昔の話になるんだけど…」
「昔って言うとどのくらい?」
「お前が良く思い出せないっていうくらい昔」
「……100年くらい前、とかじゃないよね?」

流石に違うとは思うけど一応確認してみる。

「違う、少なくともお前が生まれてから今までの範囲で考えてくれ」
「じゃあ……10年くらい前?」
「そうだ」

険の無い声と殆ど変わらない表情で話す響時に僕はちょっと笑みを零してしまう。
偶にだけど、確認の意味で聞いた事に怒り出す人もいるから、そう言うときは困るのだ。
響時はそういう事は無いけど、顔だけ見てればそういう事をしてもおかしくない気はする。

そこまで考えてから僕は思考を、響時の言う事の意味に再度集中させた。

「……前にも言ったと思うけど、その辺りの事って殆ど覚えてないよ?」
「解ってるよ。お前が覚えてない事は良いんだ」
「そなの?……どうぞ」

自分の部屋の扉を開いて僕が先に入る。
昨日の夜に使ったクッションの位置を直して片方に座った。
もう片方に無言で響時が腰を下ろして、僕達は自然と向かい合う形になる。

「えーとな、聞きたいのはお前が病院で気が付いた時に、お前を助けてくれた人の事なんだ」
「えーと……あー、宝林財団さんの事ね」

昔、どういうわけだか知らないけど病院で目が覚めた事がある。
病院で目が覚めることになった理由が僕には全く解らなくて、起きたら母さんが凄く心配そうにこっちを見ていた事だけは良く覚えている。

だから病院に運ばれた理由は僕にも全く解らない。
でも僕を病院に運んでくれた人は確かにいて、その人が言うには僕は道端で倒れてたらしい。
『宝林財団さん』と呼んでいるのはその人の事だ。

「宝林財団の人なのか?」
「うん、言ってなかったっけ?」
「聞いてなかったな、それは」

響時が眉間にしわを寄せている所を見るに、驚いているらしい。
そりゃ驚きもするよなーと他人事の様に思う。
宝林財団はテレビに関連企業のCMがバンバン流れてるような国際的にも有名な財団で、『宝林財団さん』はそこの職員らしい。

国際的組織に多少なりとも関わりがあるっていうのは自分でも凄い事だと思う。
そうも思うけど、関わりがあるって言っても僕が宝林財団に無理を聞いて貰える様な立場かと言ったらそうじゃないし、
そもそも関わりって言ってもかなり薄い関わり方だから、実の所をいうと関係は有って無いに等しい。
だから実の所を言えばこの話は宝林財団さんの名前を出した時点でおしまいの話だと思う。
それ以外に面白い所はあまり無いんじゃないだろうか?
前に響時に話した際にその辺の事を話さなかったのは、確かその辺りの判断があったからだと思う。

「で、いきなり聞くけど、宝林さんと連絡は取れるのか?」
「え?……うん、多分大丈夫。母さんに聞けばわかるはず」

今でも毎年一度は連絡をくれる人なので、母さんなら連絡先くらいは聞いているはずだ。
……年一で連絡をくれるのに、僕は一度も話したことが無いんだけど。

「じゃあ、その人に確認したい事があるんだ、だから…」
「わかった、連絡先聞いてくる!」

最後まで聞く前に僕は部屋を飛び出していた。
普段頼み事をしない響時が、形はどうあれ僕を頼ってくれているというのは嬉しい事なのだった。



「やっぱり一人で行かせないほうが良かったのかなあ…」
「え、刀簗君なら全然大丈夫なんじゃないの?」

私の隣で嘆息した陣後さんがあまりに的外れな事を言った気がしたので思わず聞き返してしまった。
しかし…、

「響時だから心配なのよ、外見がキッチリしてる様に見えるけど、あれくらい直感とか閃きとかだけで生きてる人間を私は他に知らないわ」
「そうなの……?でも閃きとかって重要なんじゃ……」
「閃きに肝心の技術がついて来なかったりするのよ、変な所で忘れっぽいし、そのくせどうでも良い事は良く覚えてるし…ズレてるのよ」
「そ、そうなの」
「そうなの」

…との事で、的外れではなかったらしい。

心底嘆くようでいて、でも本当に心配している様な響きの言葉だった。
『どうにかできれば良いのに』という台詞が言外に聞こえるが、陣後さんがそれをいう事は無い様に思える。
多分、刀簗君がそうじゃなくなったら、彼は彼でなくなってしまう様に思えるからだ。
私にはそう思えたけど、陣後さんはもっと複雑なのではないだろうか。

「……時雨君もいるから、大丈夫だと思うんだけどね。彼はしっかりしてるから」
「そう……なんだ」

なんとなくだけど、印象だけでは刀簗君と奏条君の立場が逆な気がする。

奏条君と言えば教室で考え事でもしてるのかぼんやりしているという印象があるし、
刀簗君は常に周囲に注意を払っていて隙が無い様な気がする。

でも陣後さんから見たらそうじゃないという事は……2人とも私の知らない一面を持っているという事なんだろうか?

「……遥……さん?」
「え、あ、はい!?」
「驚かせて悪いんだけど、何か意外そうな顔してたわね」
「あ、うん。意外っていうか、刀簗君と奏条君の印象が私が思ってたのと逆だったから」
「逆か……確かにそうね。私も最初はそんな風に思ってた。時雨君はぼんやりしてる印象が強かったから、どっちかというと頼りない印象だったし」
「あ、私もそう思ってた」

言ってから『結構酷い事を言っているな』と気付いて思わず口を押さえてしまったが、
陣後さんも同じ様な事を考えていたのか、私の方を見ながら彼女にしては曖昧な笑みを浮かべていた。

「なんていうか、時雨君には隙が無いのよね。常にフラットな感じで物事全てを受け止めている気がする。受けた上でどう反応するかも適切で早いしね。
 響時と2人で漫才みたいなやりとりしてる時に最初気付いて、その場で本人に聞いてみたら特に意識してないって言ってたから驚いたわ、
 まるで、何かが取り付いてやらせてるのかと思ったもの。あの2人って……」

『何かがとりついて』という言葉に強く引っかかる。
昨日私達が触れ合った時、背筋に寒気を感じて、その後は平衡感覚というか体の感覚全てが狂った様な感じになっていた。
変な音が聞こえて、周りが真っ白に見えて……暫く経っても体の震えだけが止まらなかったから、自分はどうなるのかと思ってた。

震えが止まった瞬間に、何かが…良く判らないけど何かが繋がった気がした。

『良く判らない物との繋がり』と『何かに取り付かれた様な人』。
関連があるのは見えない何かがそこにあるという事で、その見えないモノこそが私と奏条君の間にある繋がりに関係している気がする。

「殆どオカルトじゃない……」
「オカルトって……何が?」
「え!?、な、何?」

突然聞こえた陣後さんの声にまずは驚いて、
その後、自分が思わず呟いた言葉について質問されたらしいなと思い至った。
その考えは正解だったらしく、陣後さんは怪訝そうな表情で言う。

「何って……遥さんが言ったんじゃない、『オカルト』って」
「う、うん。えーとね、なんか見えない関係とかって幽霊とかそういう風にも考えられるでしょう、そういう現実味が無い発想しかできないから、そういう表現になるのかな……って」
「ああ、そういう意味ね……。でも、関係性っていうのはもともと見えないから、例えとしては合ってる気もするわね。……うん、面白いわ…」
「……そう?」

陣後さんはテスト成績が常に学年トップという印象があったため、頭が良い人だと思ってはいたのだけど、
『頭の良い人の考える事は良く解らない事もある』という誰かの言葉が、私には初めて実感という形で理解できた。