1ヶ月程前になる。
田舎であるにも関わらず操業している近所の美術館から、
今度この近辺の芸術家達の作品展を開くから、 それに美術部の作品も出展してみないかという話が舞い込んできた。
とは言うものの、うちの学校の美術部は私以外には部員がおらず、話を聞いた私も、
「出すとしても一点しか出せないですし、やっぱりお断りしましょう」
と言ったのだが、先生はそれに闘志を掻き立てられたのか、
「絶対出す!、いや出そう!、一般の生徒も非常召集だ!」
という具合に、ものすごい勢いで準備を始めてしまったのだった。
先生がそうなのだから、美術部の私が手伝わないというのもなんだか良くない気がするし、
先生の様子に私もちょっとやる気になって来たので一緒になって急遽準備を始めたのだった。
さて先程の写真はというと
「遙はともかく、他の連中はただ写生に行かせたら途方に暮れるだろうからな、あらかじめ写真でサンプルを用意しとこう。
写真を見て場所を決めた上で各人その場所に行って描けば時間を短縮できるし、良い物もできるだろ?」
との事で、 本当は先生が全部用意すると言っていたのだが、そういう事なら私も手伝わなければと言うことで撮ったものだった。
写真を撮るのは写真好きの母に多少手解きしてもらった事があったし、風景は偶に一人で写生やら散歩やらに出掛けることが多かったから探すのは楽だったけど、
準備を私と先生の二人だけでやるのはなかなか大変で、それで1ヶ月もかかってしまったのだが。
「あの、どんな人が来るんですか?」
「んーと……お前のクラスからは3人だな、刀簗(かたやな)と陣後(じんのうしろ)にあと…えーと、名前が珍しいってのは思い出せるんだが…ええと…」
「奏條君の事ですか?」
「そう、それだ、奏條時雨(そうじょうしぐれ)。あの3人はなかなかセンスが良いからちょっと楽かもな、後は……」
奏條君の名前を聞いて、私はなるほどなと思った。
やや珍しい名前の割には目立った所がない彼だったが、彼が美術の時間に作っている物はどれも丁寧に仕上げられていて好感が持てたからだ。
作る本人そのままに目立った所はなかったけれど……何故か気にかかっていた。
「なあ、聞いてるか?……遥」
「え!?…あ、はい」
「で、聞いてたのか?」
「ちょっと……聞き逃しました…」
私の言葉に先生は半眼から目を線のレベルまで落として腕組みをすると、そのまま言った。
「……まあいいよ。それよりもうすぐ昼休み終わるぞ、さっさと教室に戻った方がいい」
「すみません、失礼します」
響時が言う『オニさん』というのは、うちのクラスの委員長である陣後恵子(じんのうしろ けいこ)さんの事だ。
彼女と響時の関係は起伏に富んでいて、穏やかかと思えば激しく、ふざけている様でとても真剣だ。
オニさん曰く、『最大のライバルであり、共に歩む人』。
響時曰く、『目標であり、原点』。
当人達が言う通り、二人がかなり特殊な関係であるのは間違いない。
別の一言で済んでしまうのかもしれないのだけれど、当人達が異口同音に言うには『何か違う』らしい。
「つまり、オニさんと一緒に南雲先生の恥ずかしい所を目撃した、と」
「そうだな」
「……何やってたの?」
「その質問を出すとはなかなかのワルだなオマエ」
「違うよ、先生じゃなくて響時達の方」
「あー、そっちな。えーと……トレーニング?」
「またデート?、相変わらず仲良いね」
「デートって言えるのかは微妙な所だと思うけどな」
「そうなんだ」
響時が微妙に顔をしかめた。
世俗的な悩みには無縁そうに見えるけど、そうでも無いのはここ2年で良くわかる様になった。
「まあ…お前には話しても良いかな」
「何を?」
「こないだの事さ。オニさんと『ふぃふするな』に居たんだよ。で、南雲先生が偶々そこにいてな、DDRやってたんだ。
3曲目だったかなー、最初のステップをキチッと決めようとしたんだろうな、 同時踏みやるために軽く飛んだら、ステージがすべりやすくなってたらしくって、すってーんって、こう」
響時はそこで滑って転ぶ真似をした。
『ふぃふするな』というのは響時達がよく行くゲームセンターの名前だ。
田舎のゲームセンターであるにも関わらず、筐体の手入れも良く、雰囲気も客入りもなかなかのものである。
DDRというのは”Dance Drive Returns”というアーケードゲームの略称で、
専用の大型筐体が特徴的なこのゲームの操作方法は「ステージ」と呼ばれる専用のステップに設置されたセンサーパネルの内、
画面で支持されたパネルをリズムに乗って文字通り踊るように踏んでいくというこれまた特殊な物だった。
ただそれが若い層に受けて今では定番ともいえる人気ゲームになっている。
「それを二人で見てたの?」
「うん。クールダウン中にちょっとよそ見したらそういう事が起きたから、二人して見なかったフリしようかと相談してたんだが、 速攻気付かれてな。
先生は先生で、俺達を見るなり澄ました顔で近寄ってきて『さっきのは、絶対に内緒にしてくれ』って言い出すしなー」
「……約束破るのは…」
「別に俺明確にうんって言ってないもんよ、『軽々しく話したりはしません』とは答えたけど」
「詭弁も良い所だよ、それ」
「そんだけお前を信頼してると取ってくれよ、口堅いだろお前?」
「確かに先生の為にも人には言わないだろうけどさ」
「じゃあそれで良いだろ」
「うん……」
なんか釈然とはしないけど、ここでそれについて議論しても仕方ないとも思うので、これ以上は追求しない事にした。
それはそうと、いつもどこかなげやりにすら感じられるゆるい調子で美術の授業をすすめる先生と、
常に冷静な響時達2人の普段の様子からは、想像される光景は当事者よりも傍から見ていた方が面白そうではある。
想像するだけでもそうなんだから、実際はどんなだったのだろうか……。
……しかし、それが原因なら僕まで先生に呼ばれるのはおかしいんだけど。
「そういう事だから、お前には関係ない気がするんだけどなぁ」
「僕もそう思うけど……他に心辺りも無いんだよね?」
「無いな……まぁいいや、行くか」
「え?……行くって、どこに?」
放課後の話だと聞いた直後なのに、早過ぎるんじゃないかと思って僕は驚く。
……が、響時はいつもの顔よりも少しだけ目を細めて、ちょっと驚いている。
その顔のままで、響時は口を開いた。
「教室に決まってるだろ」
「あ、ああ。教室ね……」
「しっかりしろよ、奏條時雨(そうじょう しぐれ)君」
さっき下の名前を呼ばれた時とは違う、揶揄するような響きで響時は僕の名前を呼んだ。
ぼんやりしがちな僕を注意するその呼び方は、出会ったばかりの頃は文字通りの注意だったのだが、最近ではそれで僕をからかっているのが良く解る様になった。
しかし、ただでさえ本格的な夏を目の前にして暑くなってきているのに、この晴天ではぼんやりするのも仕方ない気がする。
屋上でお弁当を食べた後、そのまま漠然と最近心に引っ掛かっている事に付いて考えていた訳だが、
流石に今日の天気は考え事には向いてなかったなと僕は反省した。
「…どうした?」
「ごめん、今行く」
考え事をしていてまた注意されたが、今度は驚いたりはしない。
しかし、これからの季節、考え事をする場所には気をつけようと心に決めて、僕は教室へと歩き出した。
高い位置で結んだ髪は背中の中程まで伸びて、それが持ち主の歩みに合わせて左右に揺れる。
彼女が“オニさん”だ。
背筋を伸ばし、綺麗にのりが効いている制服に身を包んで規則正しく靴音を響かせる彼女の後を付いて、僕と響時は美術室へと歩く。
彼女は美術室の前まで来ると足を止めて、併せた様に響時も足を止めた。
だから僕も立ち止まる。
そのまま、響時は動かない。
「響時、どうしたの?」
前を見つめたままで動こうとしない響時に、事情を聞いてみる。
「いや、ちょっとな」
「何か驚く事でもあった?」
質問は先を行くオニさんからだ。
こっちをまるで見ていなかったけど、ちゃんと聞こえていたらしい。
「ああ、突然よそ見する人が居たんで何事かと思って」
「誰の事?………もしかして、私?、だったらあなたの方がどうかしてるわよ」
「……何で?」
「ここは美術室の前よ、中に入るから入り口の方を向くのがおかしな事なの?」
確かにオニさんの横には美術室がある。
「………成程」
教室の中には、既にまばらに人がいた。
その間を縫って適当に開いている席に僕達は腰を下ろす。
僕達を含めて全部で8人の生徒がいた。
学年、性別はまちまちだったが、僕が顔を知らないのはその内3人だった。
男子生徒が1人に女子生徒が2人、
その内の2人、そこそこ長い髪を頭の高い位置で横に2つゴムで止めたいわゆる“ツインテール”状態の髪型の女子生徒と、
5分刈りくらいの坊主頭をした男子生徒は何か話しているみたいなので知り合い同士らしい。
彼らを遠めに見ていると、見知った顔の一人が近寄ってきた。
「おーす、美術室へようこそ!」
響時よりも頭1つ分高い背をした彼は、別に運動部でもないのに日焼けしている。
体格を反映した様な大声でさっきの台詞を発した彼はいつにも増して楽しそうだ。
「……元気そうだな、男前」
「ああ、俺は常に元気一杯腹一杯!、そしていなせな男前!!、あらゆる意味でバッチリだーッ!!!」
「そうだな」
『男前』と呼ばれた彼は勢い良く親指を立ててポーズを決めると、かなり嬉しそうな顔で響時の肩を叩き始めた。
叩かれている響時の方は真顔のままだ。
「なーに本当の事言ってるんだ、か〜た〜や〜な〜」
彼の名前は高木亮(たかぎりょう)という、クラスこそ違うけど響時と同じくこの学校に入学して以来のつきあいだ。
初対面の時からこの調子が変わらないという、かなり気さくな人だ。
「おおっ、良く見れば委員長もいるじゃないの、奇遇だねえ」
「……私はあなたのクラスの委員長じゃないって、この前も言ったわよね?」
「いいじゃん、細かい事は。それより、何やってんの?」
オニさんの結構冷淡な言葉にもまるで動じていない、このマイペースさは見習うべきだと思う。
「……私達は南雲先生に呼ばれて来たの」
「なんだってえ!?、俺と同じじゃないかっ!」
「3秒で気付け」
突っ込みはオニさんからではなく、響時から出た。
こういう時も仲が良い。
「3秒はは妥当な時間なのか?」
「それ以上時間掛ける奴は芸人として失格だ」
「芸人として失格なのか!?」
高木君は凄く驚いた顔をしながらそう言った、芸人を目指しているとは聞いていないけど、向いてる気はする。
「多分な。それはそうとオマエ芸人じゃないだろ?」
「ああ、そう言えばそうだった。しかし将来的にそうなる可能性は無くもない」
「どの程度だ?」
「ん〜?、スイカの種が芽を出す確率よりは高い気がする」
「そうか……まぁ妥当な判断だな」
何かの本で読んだけど、スイカは土壌の病気にかなり敏感らしいので、
芽を出させるには種がどうこうと言うよりは蒔く場所の方が問題らしい、たぶんどうでもいい事だから黙っておくけれど。
僕が黙った事が影響したのかどうかはわからないけど、そこで一度会話が途切れた。
そしてそれに合わせるように美術室内にある美術準備室の扉が開く、 姿を現したのは南雲先生だった。
指折りこっちの人数を数える先生の後ろに、先生より頭一つ小さい人影がある。
顔は見えなかったが、足音のテンポになんとなく覚えがあった。
「よし、全員そろってるな」
「はい先生!」
高木君が威勢良く返事をし、先生がそれに応える。
「絶好調みたいだな、男前」
「やだなぁそれほどでもないっすよ」
最後の一言に対しては何も言わずに一つ頷くと、先生は教卓へ向かって歩き出す。
そして僕は、さっき先生の影にいた足音が、誰の物だったのかを知った。
何故か気になる女の子だった。
霊曜遥(れいようはるか)という名前の珍しさもあるけれど、それ以外の何かが気になっている女の子。
「なんでここにいるんだろう?」と考え始めた矢先に、 霊曜さんは僕達の前方に空いていた席の1つに座り、南雲先生は僕達を集めた理由を説明し始めていた。
響時からのツッコミなのかからかいなのか判断に迷う一言を、先生は苦笑いしつつ返した。
とりあえず、というのは確かに良くないのかもしれないけれど、僕も内心でとりあえず道具を選ぼうとひとりごちて、席を立った。
座席に戻る陣後さんを見送りつつ、戻ってきた写真を確認する。
別に戻って来なくても問題は無い代物なのだが、皆がどの写真を選んだのかというのは興味があった。
写真裏に書いておいた通し番号と、写真を撮るとき地図に書き込んでおいた番号を照らし合わせて、どこが選ばれたのかざっと見てみる。
写真は大雑把に学校の北と南で取っていて、北が私で南が先生の受け持ちだった。
さっき返却された写真は大半が南で撮った物だったので、その中で無い物を探す。
「どの辺が売れてるんだ?」
「あ、えーと……森の近く、ですね」
私の手元を覗き込みながら聞いてきた南雲先生に確認作業を続けながら返事をすると、先生は満足そうに首を縦に振った。
「なかなか良い感じの風景が一杯あったからなぁ」
「南の方の写真はまだ戻ってきてないんですけど…」
「ああ、それなら今私が引き取ってきたよ。えーとな……」
先生はそう言うと、パラパラと何枚か捲って首をまた縦に振った。
「想定通りの所が売れてる」
そう言って、にやにやという形容しかできない笑みを浮かべている。
とても楽しそうだ。去年の冬に落ち葉を集めてこっそり焼き芋をやっていた時もこんな顔をしていたのを思い出す。
「じゃあ、遥は北側の写真を選んだ連中を案内してやってくれ、私は南に行くから」
「え、そこまで今日中にやるんですか?」
急な話だったので驚きつつ、今日の予定をそらで確認する。
「駄目……だったら無理にとは言わないんだが……その、早い方が良いしな…」
ちょっとトーンが落ちた先生の顔を見て、逆に今日やろうという気になった。
今日中に行った方が良いのは間違いないのだ、なら今日行く方が良い。
「私は大丈夫ですよ」
「よし!、流石は私の一番弟子!」
私の両肩を叩くように置かれた手の暖かさを感じながら、いつ弟子になったんだっけ、と考える自分に気付いて思わず頬が緩んでいく。
先生の相手はいつも楽しい事ばかりだ。
響時の疑問に前を歩いていた霊曜さんが振り返って答えた。
驚いているんだかいないんだか良く判らない表情で”へー”と言う響時と対照的に、
いつもよりも大きく目を見開いて驚きを表したオニさんは、彼女へ次の質問を放つ。
「じゃあ、こっちの写真は霊曜さんが撮ったって事?」
「そうですよ」
「全部……そうなのよね?」
「そうです」
「全部で何枚くらい撮ったの?」
「え?、えーと、皆が見た物に加えて10数枚って所ですけど」
「それだけしか撮ってないの?」
ちょっと声が大きくなった。
「あ、す、すみません」
「ひでぇなぁ」
「違う!、私は責めてるんじゃなくて、驚いたから…」
ぼそりと呟いた響時の声にちょっとあわてた様な声が跳ね返った。
「驚いたって……何に?」
「あの写真、どれもピンボケとかにじみとか、画面が暗くなったりとか全然してなかったじゃない」
「……言われてみればそんな気もするな」
響時はそう言うなり上着のポケットから写真を取り出して眺め始めた。
僕も自分が選んだ写真を良く見てみる。
確かに変な影とかのない綺麗な風景写真だ。
「写真撮るのって結構難しいじゃない、手ブレ補正とか付いてるデジカメとかって高いし…カメラも先生に?」
「あ、自前です。私のはお母さんに貰った物なんですけど…手ブレ補正とかは……付いてたかな…?」
考え込んでいる。
手振れ補正がどうだこうだと言われ始めたのは最近の事だから、古めの物なら付いてない気がする。
「あ、デジカメじゃないですね、思い出してみたら現像に持って行ったのはフィルムだったし」
「じゃ普通のカメラなんだろうな……結構なお手前で」
響時が華道の先生みたいな感想を漏らして何やら考え込み始めたらしい。
霊曜さんとオニさんはそのまま写真の話を続けていた。
僕はもう一度、自分の写真に目を向ける。
緑ばかりの木々に囲まれた中で、その中心部分に1つだけ色づく木が立っている写真だ。
……木の種類は、多分金木犀(きんもくせい)だと思う。
回りは林だか森だか解らないが沢山の木に囲まれた場所の中で、その木だけ離れて立っているらしい、微かに写っている地面の部分でそれが解った。
変な感じがする写真だと思った。
風景が、ではない。
この風景を見た時、体の中で何かがざわめくような妙な感覚がする、それがだ。
既視感みたいな漠然とした印象ではなくて、何か…良く言い表せないがひどくもどかしい感じがする。
凄く気になる風景だけに今日中に見に行けるのはありがたい事だと思った。
「あ、ええと一回集まってもらって良いですか」
全員が選んだ地点までだいたい同じくらいの距離になったので、ここからは個別に移動してもらった方が良いと判断し、私はそう宣言する。
近くの陣後さん達には集まってもらうまでも無い気がしたけど、ちょっと離れた所を歩いていた2人に対しては必要だった。
「場所はだいたいここの近くですけど、ここからは各自写真の場所を目指した方が良いと思うので、もう一回地図を確認して下さい」
私は自分の地図を取り出し、それをみんなに見える様に広げて見せた。
「……地図に書いてある番号って写真裏の番号と対応してるって事で良いの?」
「はい」
「そっか……うん、おっけおっけ」
刀簗君は真顔で何事か頷くと陣後さんに「近くだから途中まで一緒行く?」と聞いている。
陣後さんは「そうね」と一言言って歩き出した。
「私は……向こうね」
「うん、朔美ちゃんの所は多分そこの道をちょっと行ってみればすぐ判ると思うよ」
さっきまで離れていた二人の内、一人は良く知っている。
徳永朔美(とくなが さくみ)、家が近くでよく遊んでいた中だ。
私には兄弟も姉妹もいないけど、お姉ちゃんがいたら多分この人に似ていたと思う。
「長野君、場所わかる?」
「ああ、うん……大丈夫。途中までは一緒みたいだね」
『ナガノ』と呼ばれたその人は、朔美ちゃんとは知り合いらしい。
話し方から察するに朔美ちゃんとは同級生みたいだけど、
穏やかで優しい顔つき人なのに表情に影を感じる人で酷く疲れている様にも見えて、朔美ちゃんよりも年上に見えた。
「場所を確認した後はここへ戻ってくれば良いの?」
「あ、いえ。そのまま帰って大丈夫」
「そうなんだ、じゃあまたね」
「うん」
歩き出した朔美ちゃんとナガノさんを見送って、残ったのは私と奏条君だけになった。
奏条君は地図を見入って何やら考え込んでいる。
「場所、わかり辛い?」
「え?、いや、そんな事は無いんだけど、ちょっと気になった事があって」
「気になったっていうと…」
「うーん、ちょっと説明しづらいんだけど…」
彼とはクラスこそ一緒だけど、あまり話す事も無い。
でも、あまり遠い感じがしない人だ。
物静かな刀簗君と話しながら笑っている姿が妙に印象に残っているせいかもしれない。
無言で先を進んでゆく霊曜さんの後について歩いてゆく。
相手が結構な早足なのと、僕が道順を確認しながらという条件が合わさって、油断すると霊曜さんを見失いかねない。
呼び止めれば良いのかもしれないが、わざわざ案内してくれてるんだし、油断しなければ問題ない訳ではあるのでその気にならなかった。
周囲は既に鬱蒼とした森の中になりつつある。
といっても足元は規則的に平たい石が置かれるぐらいには整備された歩道なので、歩く事に不自由はない。
木漏れ日が斜めに差し込んで来る道を歩いていると、やっぱり変な感覚に襲われる。
光る何かを目指して歩く映像が不意に浮かんだ。
目の前の風景に似ているけど、ちょっと違う気がする。
「あ」
自分でも間が抜けていると思える声が出た。
先の方でこちらを振り返って止まっている霊曜さんが見えたからだが、彼女の表情はややこわばっている様に見える。
ぼんやりしているとでも思われたのかもしれない。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「あ、ううん。こっちこそ歩くの早過ぎたみたいで」
「あ、それは良いよ、気にしなくても。僕がちょっとゆっくり歩き過ぎただけだし」
そう言って、僕は霊曜さんを促して歩き出した。
普段だったらというか、ついていくことに集中すれば遅れる訳が無いと思う。
歩幅の差とか、身体能力の差とか考えればそんな事になるはずがないのだ、
教室での動きとかを見る限り霊曜さんはそんなに運動神経が良い方じゃないみたいだし。
「あ、あのね、奏条君」
「え、何?」
「この辺りの風景にも、覚えがある?」
「え?、ああ、うん。覚えがあるっていうかなんか知ってる様な感じがする」
「そうなんだ」
そう言うと、霊曜さんはまた黙ってしまった。
さっきまでとは違い、僕達は横に並んで歩いている、霊曜さんが先に行かない理由は道が一本道だからだと思う。
先導しなくても進む方向は一つしかない。
…が、しばらくして僕は足を止めた。
止めた足元に小枝が落ちていたらしく、枝が割れるやや大きめの音がした。
そして目の前には分かれ道がある。
「どっち…」
「…に行くと思う?」
聞こうとした僕の言葉に霊曜さんの声が添えられて戻ってくる。
機嫌を損ねたのかなと思って見返した彼女の表情にはそういう暗さは無かった、真剣というかただ真顔で僕を見ている。
「え、えーと……」
何と答えれば良いのかどうか考えて、聞かれたままに正しいと思う道を答えるのが一番無難だろうと判断する。
どっちに行くべきだろうか、と改めて考えた時、また映像が脳裏を過ぎった。
「こっち…かな?」
指差した方向を見て、彼女は一度首を縦に振ってから歩き出した。
合っていたらしいけど、それをわざわざ僕に聞く理由は見えない。
ただ面白がっている様には見えないけど、そうでないなら何故なのかは、どうにも良く判らない。
やっぱり、さっき真顔に見えたあの表情は怒りだったのかもしれない、そう思うとちょっと気が滅入るのだった。
途中、何度か道を尋ねてみたが、奏条君は正しく『そこ』への道を選んだ。
事前に地図は見せたし、元から知っている可能性もある。
でもそれだと、「知らない」と言っている意味が判らない。
可能性は3つある。
1つは並外れた勘で当てているというもの。
……でも何か、そういう偶然みたいな事で片付けてしまうにはちょっと気味が悪い、当たり過ぎている気がする。
そうでないとしたら残りのどちらかだ。
どちらなのだろう?
知っていることを知らないと言っているのか、知らないはずの事を知っているのか。
なんとなくだが、私達が目指している場所で答えが明かされるのではないかと思う。
それこそ夢みたいな出来事だろうと思うが、全ての事情を知っている人がそれについて説明してくれるのだ、
それこそ当たり前の様に、……あそこでだったら、そういう夢みたいな事でも起きそうな気がするし。
「霊曜さん」
「はい」
名前を呼ばれて歩きながら振り返ると、奏条君がちょっと決まり悪そうな顔で聞いてきた。
「もうすぐ……だったりする?」
「ええ」
「やっぱりかぁ……」
彼もなんとなく気味が悪いと思っているのかもしれない。
辺りが木立でちょっと薄暗いのも気味の悪さを浮き上がらせていた、行って帰ってくるだけなのだから、さっさと用事を済ませてしまった方が良いだろう、日も暮れるし。
そう考えながら前方に目を向けると、一際光っている場所が目に入ってくる。
同時に黒い人影が見えた。
「え……!?」
『黒い影』に重なるイメージの人の記憶が脳裏を過ぎって消える、目を凝らしてもそこには何も無かった。
「どうかした?」
「え、ううん……見間違いで驚いただけ」
暗い所から急に明るい場所を見たせいで妙な見え方をしただけなのだろう。
ここは人なんて全然来ない場所らしいから、まず見間違いだと思う。
それよりも良い機会だから奏条君に説明しておく事にする。
「あの光ってる場所が目的地ね」
「ああ、うん。……なんか明るい所だね」
「開けてるせいでそう見えるの。光源になるような物は何も無いし」
自分でそう言って、一方で確かにそうだったのかと思う。
あの日、確かに私はそこで光を見た。
『あの子』が倒れたのはその後だ。
もしも彼が『あの子』なのなら……それを忘れているはずはないと思う。
やっぱり、違うんだろうか。
隣を歩く彼の様子を窺ってみたけど、普段からそれほど変わりの無い表情からはその辺りはわからなかった。
あきらめて視線を前方へ戻すと、そこには社が見え始めていた。