2001/9/19 アメリカの自由

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  今、アメリカでは、暗殺の禁止を見直そうとしている。 もちろん、テロリストに無差別テロを起こす「権利」は無い。 しかし、自由の国アメリカ、法治国家アメリカが、法によらず、自らの、一部の判断のみで人を裁くことを、法として認めようとしている。 アメリカ国家が、明確な証拠が無く、危険だというだけで特定の個人を殺した場合は、それはテロとどう違うのか? 自由を重んじる国が、自らの由って立つ場所を、自ら突き崩そうとしている。 テロにテロで向かってどうなるのか? 自由を重んじる国が、イスラム教徒だからというだけで、同じ国民を迫害している。 アメリカの自由とは、なんだろうか。非常にあやうい気がしてならない。

  アメリカが世界で、どんな不当な行動をしているか、いったいどれだけのアメリカ人が知っているのだろうか。 クェートは、アメリカの中東石油政策で生まれた、傀儡政権である。 イスラエルは、アメリカに住む裕福なユダヤ人の望みで、アメリカがある日いきなり誕生させた国家である。 もちろん、その地は、パレスチナ人が先祖代々受け継いできた土地であり、聖地であった。 お互いの、主張がぶつかった結果で、どちらか一方が悪いわけでは無いのかもしれない。 しかし、アメリカは、中東和平に、どのような姿勢で臨んだのか? アフリカのある国で、治安維持の名のもとに、アメリカ軍が武装していない村をヘリで攻撃している映像を見たことがある。 逃げ惑う人ばかりで、交戦する者も無い。

  我々日本に対してはどうだ?不公正な要求をしてきてはいないか? 貿易黒字と言われた頃、アメリカ国内に輸出するものは無かった。 アメリカは、ほとんどの生産拠点を海外に移し、その数値は日米間の貿易の計算に入らなかったという話を聞いたことがある。 当時、日本の企業は、割り当て量に従って、使えないLSIを買って、捨てていた。これがまともな経済活動だろうか。 板ガラスについて、閉鎖的な市場だと責めてきた時、滑稽なことが起きたことをご存知か? アメリカの板ガラスメーカーが国に訴えた。「余計に売れなくなるからやめてくれ」
  NECのスーパーコンピュータが、ダンピングの疑いがかけられた時、暫定措置として破格の税率が課せられた。 疑いが晴れたときには、タイム・ツー・マーケットを逸しており、商売にならず、無駄な費用を使っただけであった。 これも、滑稽なことに、アメリカ国内ではこのスーパーコンピュータを調達したくとも、あまりの値段に調達することが出来ず、 この問題を解いて欲しいと日本に持ち込み、NECはそれを計算してあげたそうだ。 日米間には、少なくとも国家間には、平等は無いと感じる。

  アメリカの自由とは、「自らの価値観のみに従い、自らの利益に由ってのみ行動する自由」なのかもしれない。 あるアメリカ人が、「我々がなぜ嫌われているのか、なぜテロにあったのか、そうしたこともよく考えないといけない」と言っていた。 ほんの少し、救われた気がした。