2001/9/19 自由

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  自由ってなんだろう。今日は、いろいろあって、自由という言葉を久しぶりに考えさせられた。 「自由=勝手」ではないというのは、よくある話だ。よく「権利」と結びつけて話をされることがある。 そして「権利」は、「義務」と裏腹であると。

  昔から、悩んでいた「自由」の意味に対して、学生の頃に、とある人の説明を読む機会がありました。 「自由とは、自らの考えに由って、行動できることである。自分の行動を、自分の責任にする自由。 自分の行動を、他人のせいにしない自由」この言葉は、今でも私に一番しっくりする言葉です。 人を殺した場合、その人の遺族や、友人の悲しみや、そうしたものに対して自分は責任をとることは出来ない。 だから、人を殺す自由というのは存在しないのだ。

  私は、自らが正しいと思うやり方で、行動する自由を持っています。 それを、自分の責任だとして、責任をとったり、時に非難を浴びたり、後ろ指を差されたりする自由をもっています。 誰かに言われたからとか、誰かのせいでと言わない自由を持っています。 時に、自分と他人の自由がぶつかることがある。 譲ることもあれば、自分を主張することもある。 人の言うことに従う自由もあれば、従わない自由もある。 しかしどの場合でも、自分が正しいと思う、少なくともより良いと思う行動を、自分で選ぶ自由を持っています。 人の意見によって、考えを変える自由もあります。それも、あくまでも自分の責任においてです。

  自分の自由と他人の自由が、どうしても、相入れない場合もある。 そうした場合、法による解決というものが、入ってくる。 しかし、法に従うかどうかすら、それに変わるペナルティを払う自由すら持っていると信じています。

  「平等」や「権利」というものは、ごく限られた条件の中には存在し、建前では守るべきものだとされている。 しかし、時として「平等」や「権利」は失われてしまうものです。国家間、民族をまたがる人と人。 不運な事故は、不平等に起こり、まともな生活を送る権利を奪う。 しかし、本人の意思があれば、その中でも「自由」は失われないものだと思います。

  「自由」を持ち続けるのは、実は、非常に難しいことかもしれない。 「自由」とは、深く考えることと、勇気を必要とするものです。 「自らの」という部分を、自分だけの考えでとか、他人の意見を聞かないことと、取り違えてはいけない。 「自由」とは「自分で考えたから許される」という伝家の宝刀でもない。 もう一度「自由」の意味を考えて、自分の行動を見直していきたい。