東禅寺事件
安政五年(1858)
8月 日英通商条約調印
安政六年(1859)
6月 イギリス初代公使オールコックが東禅寺に駐在(日本初のイギリス公使館)
文久元年(1861)
5月23日 水戸城下を脱出
5月24日 玉造から船に乗船、海路江戸へ向かう
(桜田門外の変以降、江戸〜水戸間の水戸藩士陸路移動は厳重に監視されていたため)
5月27日 夜、品川から上陸、南品川の旅宿虎屋、北品川の旅宿新竹島に分宿
(両旅宿主人は共に那珂湊出身、そのため両館共前々から水戸藩士の活動拠点となっていた)
オールコック一行が神奈川に到着
5月28日 オールコック一行が東禅寺に入る

有賀半弥ら水戸烈士は、南品川の虎屋に集結
20時頃、虎屋を出て高輪泉岳寺に集合
22時頃、三手に別れて東禅寺を襲撃(戦闘は2時間ほどで終了)

<東禅寺側警備>
郡山藩 総計約200名
2名死亡・10数名負傷
西尾藩
幕府講武所から派遣された別手組

イギリス公使オールコック無傷、長崎駐在領事モリソン負傷、他館員2名負傷

<水戸烈士側>
有賀半弥 現場で戦死(32才)
小堀寅吉 現場で戦死(19才)
古川主馬之介 現場で戦死(23才)
榊鉞三郎 現場で重傷を負い捕縛され、水戸赤沼牢で同年12月斬罪(22才)
前木新八郎 斬込み後現場を脱出、森半蔵と常陸国に潜伏、捕吏が迫れるを聞き、同年8月26日森と共に自刃(38才)
森半蔵 斬込み後現場を脱出、前木新八郎と常陸国に潜伏、捕吏が迫れるを聞き、同年8月26日前木と共に自刃(36才)
石井金四郎 斬込み後現場を脱出、中村・山崎・岡見と品川旅宿虎屋に戻るが捕吏に囲まれ自刃、死に切れず捕まるが翌日5月29日死亡(31才)
中村貞介 斬込み後現場を脱出、石井・山崎・岡見と品川旅宿虎屋に戻るが捕吏に囲まれ自刃(29才)
山崎信之介 斬込み後現場を脱出、石井・中村・岡見と品川旅宿虎屋に戻るが捕吏に囲まれ自刃(20才)
岡見留次郎 斬込み後現場を脱出、品川旅宿虎屋に戻り捕吏に囲まれるが再び脱出、京都へ潜伏、のち大和義挙天誅組の乱に参加、各所転戦ののち津藩兵に捕われ、元治元年(1864)2月16日京都六角獄で斬罪(23才)
池田忠厚 斬込み後現場を脱出、江戸に潜伏するが捕われ伝馬町獄へ、文久二年(1862)8月14日獄死(24才)
千葉昌平 斬込み後現場を脱出、潜伏するが上野国で捕われ江戸伝馬町獄へ、同年12月25日斬罪(30才)
中村乙次郎 斬込み後現場を脱出、宇都宮へ向かったが、郡山で水戸藩の捕吏に捕われ獄へ、獄死
高畠房次郎 斬込み後現場を脱出、三田の薩摩藩邸に匿われ、のち文久二年(1862)1月15日坂下門外の変に参加、現場で戦死(35才)
黒沢五郎 斬込み後現場を脱出、三田の薩摩藩邸に匿われ、のち文久二年(1862)1月15日坂下門外の変に参加、現場で戦死(30才)
堀江芳之助 斬込みには加わらず、事件後京へ逃れるが捕われ、水戸の獄へ移され、維新の特赦で放免、明治四年(1871)2月15日死去(62才)
下野隼次郎 斬込みには加わらず、桜田義挙、東禅寺事件、坂下義挙に関係し、元治元年(1864)筑波義挙の折には大発勢として松平頼徳の下で活躍し、幕軍に投降、のち岩槻藩預けとなり、慶応元年(1865)4月4日斬罪(43才)

有賀半弥らが懐中していた斬奸趣意書
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