坂下門外の変
文久二年(1862)
1月12日 大橋訥庵(宇都宮藩)が幕吏により逮捕され、小梅の思誠塾は家宅捜索を受ける
(王政復古を目指す公武合体反対論者)
和宮降嫁を画策し、公武合体を推し進めている安藤信睦を暗殺の要撃としていた
1月13日 大橋訥庵(宇都宮藩)の養子、寿次も幕吏に逮捕される
1月15日 <上元の佳節>
在府の諸大名は総登城、将軍に謁見する日

午前8時 安藤信睦(老中)の行列は西の丸下の屋敷を出発
桔梗門外から坂下門外に向かう途上の行列に斬り込んだ

桜田門外の変以降、行列の警備は極めて厳重になっていた(増員・精鋭の者揃い)
安藤信睦は斬りつけられながらも門内に逃げ込み命拾いした

<斬込んだ烈士側>


平山兵介 現場で戦死(22才)
小田彦三郎 現場で戦死(30才)
黒沢五郎 現場で戦死(30才)東禅寺事件参加者
高畠房次郎 現場で戦死(35才)東禅寺事件参加者
川辺次左衛門 現場に到着するが同志と合流できず、時間をつぶしている間に襲撃が終わってしまう。間に合わなかった事を悔やみ、長州藩邸の桂小五郎を訪ね、斬奸趣意書を渡した後自刃(31才)



河野顕三 現場で戦死(25才)
河本杜太郎 現場で戦死(23才)

川辺次左衛門が長州藩邸で桂小五郎に提出した斬奸趣意書

※義挙決行日は当初、文久元年(1861)12月15日だった。が、要員が集まらず、12月28日、1月15日と延期となった。 そうこうしているうちに、大橋訥庵が逮捕されたため、平山らはこれ以上の延期は不可能と悟り少人数での斬込みを実行した。
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