名古屋城(別名・金鯱城)
―― 金鯱きらめく尾張徳川家の大城郭 ――
名古屋城の前身は大永初期に今川氏により築かれた那古野城で、天文元年(1532)織田信長の父、信秀が攻め取って信長の居城としたが、信長が清洲城に移ってからは那古野城は廃城となった。この地を新たに取り立てたのは徳川家康である。 家康は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、九男の義直を尾張に封じたが、清洲城が居城としてふさわしくなく、徳川政権を盤石にするため、新たに織田信長の生誕地と伝えられる那古野城跡に大城郭を構築することにした。
家康は、慶長15年(1610)、豊臣恩顧の加藤清正・福島正則・前田利光ら北国・四国の諸大名二十家をに普請(土木工事)を命じ、各大名ごとに持ち場が割り当てられて、動員された工事の労働者は二十万人を超えた。同年末には石垣や堀はほとんどが完成。 天守閣の作事(建築工事)は、築城家の小堀遠州政一を総奉行に、建築家の中井大和守正清・岡部又右衛門ら当代随一のメンバーによって、延床面積において最大を誇った五重六階の層塔型天守天守として、慶長17年頃に竣工した。 本丸の西北に御深井丸、西南に西の丸、東南に二の丸が置かれた。 (名古屋城案内図へ) 本丸の南と東には櫓門と高麗門で固められた桝形が設けられ、本丸の全周は多聞櫓で囲まれた堅固極まりない構えであった。 本丸と二の丸を囲む壮大な三の丸および城下町が形成されたのは慶長19年であった。
五重六階の大天守には、最上層に燦然と輝く雌雄の金鯱(高さ約2.6m、重さ約1,200Kg)、金の使用量(築城当時:慶長大判1,940枚、現在:雌雄18Kの約88Kg)が上げられ、尾張名古屋のシンボルとなった。元和元年(1615)に完成した本丸御殿は将軍上洛の際の宿泊施設に当てられ、同三〜六年に出来上がった二の丸御殿が藩主の住いとなった。
こうして完成した名古屋城は明治維新を迎えるまで尾張徳川家の居城として偉容を誇った。昭和20年(1945)5月の空襲で、惜しくも大小の天守、本丸御殿をはじめ建物のほとんどを焼失した。 幸いにも焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門・旧二之丸東二之門・二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられています。 ![]() さすがに徳川家康が東海地方の鎮護、大坂方への備えに造らせただけはあり、立派です。 西北隅櫓はお堀の周りを散歩しながら眺めるべきでしょうか。 内堀は最初から空掘りだそうで、水抜きしている訳ではないそうです。その空掘りの中に放し飼いの鹿が行き場のない生活になんとなく侘しさが。 くれぐれも入城開始時間(9:00)より早く行かないように、門番兼警備員の厳しい、恐い一言が待っていますよ。 また、名古屋城では全国に先駆けて、お城をガイドするボランティア活動があり、土日祝日は大勢の方に喜ばれているそうです。ガイド料はもちろん無料だそうです。 (名古屋城案内図へ) |
| 名古屋城 平成10年8月14日時点 | |
| ◇交通 | 正門へは 市バス・名古屋駅より名古屋城正門前下車 東門へは 地下鉄・名城線「市役所」下車(230円)、市バス・市役所下車 |
| ◇開城時間 | 午前9時〜午後4時30分 |
| ◇休園日 | 12月29日〜12月31日、翌1月1日 |
| ◇入場料 | 大人:500円、小人(中学生以下):100円 |
| ◇お問合せ |
・名古屋城管理事務所 TEL:(052)231-1700 ・名古屋市観光推進室 TEL:(052)972-2425 ・名古屋市名古屋駅観光案内所 TEL:(052)541-4301 |