天正8年(1580)、織田信雄(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸城(度会郡玉城町)からこの地に移し、松ヶ島城と称し、五層の天守がそびえていたという。 その後、信雄の家臣津川義冬、滝川雄利を経て、同12年、豊臣秀吉の武将蒲生氏郷が十二万石の大名として入城した。 ところが、氏郷は四五百森に着目して築城し、新城下松坂城に移り、本城下の町人や社寺はすべて強制移住させられて、松ヶ島は瞬時にしてもとの一漁村に変容した。 ![]() 東側からの天守山と城跡説明板
古図や検地帳には天守跡・堀之内・丸之内・城の内。南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせる。 ここに残る指定地は、俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守の跡と考えられる。 細い道を歩いてゆくとビニールハウスの向こうにこんもりとした丘が、右手に見えます。 なぜか、石碑と説明板が東、西にバラバラに建っています。 |
| 松ヶ島城跡 平成22年5月1日時点 | |
| ◇所在地 | ・三重県松阪市松ヶ島町字城ノ腰 |
| ◇交通 |
・近鉄山田線 松ヶ崎駅から徒歩約15分(約1.7km) ・松阪駅北方を走る国道23号線(南勢バイパス)の「松ヶ島町」信号を東に入り、 約500mほど進んだ突き当たり(県道699号線)手前の左側道路脇に 車を止めて、突き当たりにある城址碑への案内板のある路地を 400m程道なりに進むとビニールハウスの右前に天守山があり |
| ◇駐車場 | ・特になし、県道699号線手前の左側道路脇を利用 |
| ◇問い合わせ | ・松阪市教育委員会事務局 文化課 TEL:0598-53-4393 |
| 参考文献 | ・現地の松坂市教育委員会の説明板 |