松坂城跡
―― 高石垣が巡る伊勢統治の拠点の城 ――
城は、北を流れる坂内川、南を愛宕川を外堀とし、中央部に位置する標高35mの独立丘陵を利用し築かれた。 氏郷は、この丘陵を南北に分割し、北を城域とし、北を大手、南を搦手とした。 中心部に天守・御殿が位置する本丸上段を置き、東に本丸、二の丸を南東に、西に稀代丸、隠居丸を南に配し、周囲の平坦部に出丸・三の丸を配され、三の丸の外郭には深田堀・水堀をめぐらせていた。
二の丸跡と上段、下段に分かれた本丸跡の高石垣は三重に重なり、要所に櫓を配し、複雑な桝形虎口を連続させ、折れを多用する等強固な防衛を誇っている。 本丸上段には三層の天守閣と敵見櫓、金の間櫓が築かれ、下段には月見櫓と太鼓櫓がそびえ立っていた。 天守は、付櫓さらに敵見櫓と接続し、多聞櫓で金の間櫓までが連続する構造であったが、正保元年(1644)頃の台風で天守閣は倒壊したと伝えられている。 城跡への登城道は表門跡と裏門跡の2ヶ所だが、表門跡から眺める本丸跡の高石垣は見ごたえがある。
文緑4年(1595)古田重勝が近江日野から三万四千石で入封し、松坂城主となった。 元和5年(1619)、重勝の跡を継いだ重治は、石見浜田へ転封となった。 この古田氏二代の間に松坂の城下町が形成された。 古田氏転封以後、徳川家康の八男頼宣が和歌山藩主となると、南伊勢18万石は紀州藩領となって、松坂城には城代が置かれた。 二の丸には寛政6年(1794)に紀州徳川家御殿、三の丸に城代役所が設けられたが、これらの建造物も明治時代になって取り壊された。
建物の遺構としては、搦手口の側に御城番屋敷(同心長屋)と城門が市内来迎寺に移築され残っている。 松阪公園のすぐ近くの御城番屋敷は、江戸末期に旧紀州藩士が松坂城警護のために移り住んだ屋敷で、全国でも珍しい組長屋が建ち並ぶ。 隠居丸跡には江戸時代最大の国学者である本居宣長の旧宅が移築され、国の特別史跡に指定されている。 宣長が医者として、また国学者として72年の生涯を過ごしたところで、53歳の時、二階を書斎に改造して「鈴屋(すずのや)」と名付けた。 歴史民俗資料館は明治44年に建てられた図書館を改装したもので、建物だけでも歴史を感じさせる。
松坂城の高石垣群は本当に見事でした。あちこちに「石垣の端に立たないように」との注意書がありましたが、しっかりと端に立って下を覗き込みました。 また城の裏大手には紀州より御城番の為に移住してきた藩士の為の長屋屋敷が現存し、今でも人が住んでいる部屋もあり、うち1軒は内部見学が可能でした。 |
| 松阪市立歴史民俗資料館 平成18年8月12日時点 | |
| ◇開館時間 |
・ 4月〜9月 :午前9時〜午後4時30分 ・10月〜翌年3月:午前9時〜午後4時 |
| ◇休館日 |
・月曜日(ただし月曜日が国民の祝日、または振替休日の場合は火曜日) ・祝日の翌日 ・年末年始(12/29〜1/3) ※展示替えで臨時休館することがあります |
| ◇入館料 | ・一般100円、6歳以上18歳以下50円 |
| ◇交通機関 |
■公共交通機関の場合 ・近鉄山田線松阪駅、JR紀勢線松阪駅から徒歩約15分 ・JR、近鉄松阪駅から三交バスで「市民病院前」下車徒歩2分 ■車の場合 ・伊勢道松阪IC ⇒ 県道59号線 (駐車場)市民病院向かいに市営駐車場がある |
| ◇問い合せ |
・松阪市立歴史民俗資料館 三重県松阪市殿町1539番地 TEL:0598−23−2381 ※ 松阪市のホームページ |
| 参考文献 | ・現地の説明板 ・歴史群像シリーズ・よみがえる日本の城16(学習研究社刊) |