岐阜城(別名・稲葉山城)

―― 信長の天下布武への第一歩となった城 ――

太鼓櫓跡からの岐阜城天守
 岐阜城の築城年については、鎌倉時代初期の建仁元年(1201)に幕府政所執事の二階堂行政が金華山(稲葉山)に築城したとの説があるが、戦国時代の永正6年(1509)に美濃守護代の斎藤氏による築城説が有力となっている。

 天文7年(1538)に斎藤氏を継ぎ、利政と改名した長井規秀が入り、同11年に守護職の土岐頼芸を逐って美濃一国を奪った。 利政は“戦国の梟雄”と呼ばれた斎藤道三である。
 道三は大桑から町人を移住させ、城下町づくりを進めたが、弘治2年(1556)に長男義竜と戦って敗死した。
天守からの長良川と市街
 永禄10年(1567)に織田信長が義竜の子の竜興を逐って美濃の攻略を成し遂げ、尾張小牧山城から本拠を移し、地名を井ノ口から岐阜に改めた。
 信長は城を改築し、山頂の城の建物に金箔瓦を使用したが、その模様について宣教師のフロイスは、地上の天国と記録している。

 安土桃山時代の天正3年(1575)に信長は嫡男の信忠に城を譲った。
 同10年の本能寺の変で信長・信忠親子が横死し、以後、三男の織田信孝、池田元助・輝政、豊臣秀勝、信長の孫の織田秀信と城主は変わったが、関ヶ原の合戦で秀信が敗れ、慶長6年(1601)廃城となった。

岐阜公園前から山上の天守
 現在の岐阜城天守は、金華山山頂の天守が、関ヶ原合戦後に加納城天守として移築されたという伝承があり、昭和31年(1956)に「加納城御三階図」をもとに岐阜城再建期成同盟(市民の寄付)により復興された。
 復興後40余年が経過し、岐阜市が平成9年(1997)の大改装を行い、同年10月4日から公開を開始した。

 金華山山頂(標高329m)までロープウェイで一跳び。でも、そこから天守閣までは自分の足で少し登る必要あり。
 天守閣を見物後は、近くの店で眼下を見ながらの冷たい生ビールは最高。(金華山岐阜城散策コース図へ



 岐阜城                     平成10年8月14日時点  
◇交通JR岐阜駅、名鉄新岐阜駅から
   市内バス「岐阜公園前」下車(約20分、200円)、
   ロープーウェイで金華山山頂へ(往復 大人1,050円)
◇開城時間 3/16〜10/15 午前9時〜午後5時30分
10/16〜 3/15 午前9時〜午後4時30分(入場は各30分前まで)
◇休場日年中無休
◇入場料大人:200円、小人:100円 (資料館を含む)
◇お問合せ 岐阜市観光協会
     TEL:(058)263-7291

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