白石城(別名・益岡城)

―― 伊達領南端を押さえた片倉家の堅城 ――

南東方面(本丸御殿跡)からの三階櫓
南東方面(本丸御殿跡)からの三階櫓
 
南方面(未申櫓跡)からの三階櫓
南方面(未申櫓跡)からの三階櫓
 
 白石の地は厚樫山地と蔵王連峰、阿武隈山系に四方を囲まれた盆地で、陸羽街道と七ヶ宿街道の交わる交通の要衝であった。

 城の始まりは寛治年間(1087〜94)、後三年の役の源義家に従って奥州清原氏を討った刈田経元によって刈田、伊具の郡をもらったとき白石に居館を造ったのが始まりというが明確ではない。

 戦国期、白石は伊達氏領であったが、天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥州仕置きで、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えた。氏郷は家臣蒲生源左衛門郷成を、白石城を築城させ、城主とした。

 慶長3年(1588)上杉領となるや上杉氏家臣甘粕備後守清長は白石城の再構築を行い、居城した。
東方面からの大手二階門と三階櫓
東方面からの大手二階門と三階櫓
 
三階櫓からの大手二階門
三階櫓からの大手二階門
 

 慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領になり、伊達氏きっての重臣片倉小十郎景綱を白石城に置き、仙台領南端の押えとした。
 以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった。

 白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で丘陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。

 本丸は高さ9メートル余の石垣の上に土塁を囲み天守代用の三階櫓のほか、巽櫓・未申櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。
三重櫓内部(二階)
三重櫓内部(二階)
 
 
西方面(沼の丸)からの三階櫓
西方面(沼の丸)からの三階櫓
 
 
 二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用するなど中世と近世城郭を併用した縄張りであった。

[天和2年ごろの 白石城の城郭図 (55kB)へ]

 元和の「一国一城令」以降も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、片倉家は独立した大名ではないが、伊達家の陪臣として白石城主として三万二千石を世襲して、明治維新にいたった。

 明治維新には奥羽越三十一列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵武省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。
 象徴的存在であった三階櫓(大櫓)は明治7年(1875)に取り壊されたが、平成7年(1995)、木造で往時の姿に復元された。
北方面(大手二階門前)からの三階櫓
北方面(大手二階門前)からの三階櫓
裏御門跡からの未申櫓跡方面の土塁
裏御門跡からの未申櫓跡方面の土塁

 本丸にこじんまりとした天守は、風情があります。
 昔見たNHK大河ドラマ伊達政宗の重臣片倉小十郎景綱役の西郷輝彦のことを思い出します。(なぜか人と役者が混乱しています。)

 時間があれば、白石城歴史探訪ミュージアムでの200インチ立体ハイビジョンと臨場感あふれるサラウンドシステムを通しての大坂夏の陣秘話「鬼小十郎帰るに及ばず」や片倉家中・旧小関家武家屋敷を訪れると良いでしょう。

 桜の季節だけなのでしょうか二の丸跡にある売店でのここだけのさくらソフトクリームはおいしかったですよ。
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  白石城天守閣                                  平成12年4月30日時点  
◇所在地・宮城県白石市益岡町1-16
◇交通・JR東北本線 白石駅から、徒歩10分
・JR東北新幹線 白石蔵王駅 から、タクシー約5分、690円
◇開館時間・4月〜10月:9時〜17時
・11月〜3月:9時〜16時
◇休館日・12月28日〜12月31日
◇入館料・大人:300円、小人:150円
◇問い合わせ ・〒989-0251 宮城県白石市益岡町1-16
   白石城管理事務所   TEL:0224-24-3030

参考文献 ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板
・復元イラストと古絵図で見る 「日本の名城」 (監修/全国城郭管理者協議会 碧水社発行)

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