鴫山城跡(別名:南山、田島城)

―― 「詰の山城」を持ち、麓に「内郭」にあたる城主居館のある城 ――

巨石を組み合わせた石垣を残す大門跡
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巨石を組み合わせた
石垣を残す大門跡
内城と外郭を分ける大門前の空堀
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内城と外郭を分ける
大門前の空堀
 鴫山城は、愛宕山の頂上から北斜面と麓にかけて構築された根小屋式の山城である。
 築城の時期は、南北朝から室町期にまず長沼氏の山城として築かれ、ついで戦国末期までに長沼氏の手で根小屋に一定の構築がなされた。
 しかし、基本的には蒲生・上杉の両氏、特に上杉氏により大規模な築営が行われて完成をみたと推定される。

 城の構えは、山頂から山腹にかけて籠城を目的として構えられた当初の鴫山城で「詰の城」にあたる山城、麓にかけての「内城」あるいは「内郭」にあたる城主居館(本丸に相当)、麓の「根小屋」あるいは「外郭」にあたる侍屋敷の三つの部分によって構成されている。

 全体的に遺構の保存は良好であり、戦国期から近世城郭完成期への過渡的な山城形態を示すきわめて貴重な史跡である。
山頂部本丸最高所に建つ愛宕神社
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山頂部本丸最高所に建つ
愛宕神社
田島合同庁舎の斜め向いにある旧南会津郡役所の建物
田島合同庁舎の斜め向いにある
旧南会津郡役所の建物

( 鴫山城 鳥瞰図 へ (68kB) )

 愛宕山の頂上から来た斜面と麓のかけて構築された根小屋式の山城で、現在も良好に保存され、所々に説明板があり、遺構の内容がよくわかります。

 私は、合同庁舎左脇の西外壁塁から愛宕山山頂への登山口から城廻りをしましたが、城址中央の大手口から侍屋敷跡をとおり、良く整備された大門跡と空掘を見ながら、山頂へはいくのも見どころです。
根小屋(侍屋敷跡)
 鴫山城北側惣構えの中に、城の大門に通ずる大手道の両側に、領主の側近につとめる主要な武士達の屋敷が段丘状に並んで、設けられていた。
 内城(本丸)の前面に広がる削平地群。
 根小屋や寝小屋とも書き、内城を直接防御する家臣団屋敷であった。
 初期には在郷の給人侍が交替で城の守備についていたところから寝小屋と称したとも言われる。
 一部分の発掘調査によると、中央の谷間の削平、埋立てにより造成され、三層の遺構面が見られ、漸次拡大されたことがわかる。
 礎石、中世陶器鉄製品等の遺物が発見され、侍屋敷跡であったことが確認された。
 
大門跡右の土塁からの大手道と侍屋敷跡 根小屋内からの大手道と大門跡・御平庭(南方面)
クリックで拡大図(89kB)にいきます。 根小屋の地名の残る侍屋敷跡
大門跡右の土塁からの
大手道と侍屋敷跡
根小屋内からの大手道と
大門跡・御平庭(南方面)
大手道右側根小屋の
地名の残る侍屋敷跡

空堀
 内城と外郭を分ける水を湛えない堀です。
 東西の空堀は大門の虎口で南北に喰違いをみせ、歪をつくる。
 東壁塁より西に延びて横矢掛りを伴い、内城を囲込み南の山根に至る。
 堀の深さ4m、幅14m程で長柄槍を想定した構造となっている。
 
大門跡前の土橋からの空堀(西方面)
大門跡前の土橋からの空堀(西方面)(45kB)
西側大門跡石垣の上からの空堀(東側) 空堀の下段土塁上からの大門跡前土橋
西側大門跡石垣の上からの空堀(東側)(22kB)
 
空堀の下段土塁上からの
大門跡前土橋

大門跡
 大門は、城の正門入り口で追手門とも言い、二階建ての楼門がそびえていたことが古い絵図に見られる。
 大門前面の空壕を渡るのに、現在は築土されているが、木橋を組み合わせた門の石垣が往時の堅固な大門をしのばせてくれる。
 
大門跡の左側(東側)石垣 大門跡の右側(西側)石垣と側の土塁
大門跡の左側(東側)石垣大門跡の右側(西側)石垣と側の土塁 (20kB)
御平庭上段曲輪からの大門跡石垣
クリックで拡大図(95kB)にいきます。 大門跡の西側石垣と側の土塁への階段
クリックで拡大図(88kB)にいきます。 大門跡の右側(西側)石垣上部
御平庭上段曲輪からの
大門跡石垣
大門跡の西側石垣と
側の土塁への階段
大門跡の右側(西側)石垣上部

下千畳
 下千畳は、近世城郭の二の丸に相当する曲輪。
 本丸を守護するためこれを取り囲む形に設けられ数棟の建物があった。
 上下千畳間の腰曲輪には左右に明確な屏風折れがみられる。
 千畳とは広い場所の意で、大門石垣わきより登り上千畳への通路でもあった。
 
御平庭からの下千畳の土塁と大門跡の石垣(西面)
御平庭からの下千畳の土塁と大門跡の石垣(西面)(30kB)
上千畳からの下千畳との間の腰曲輪
クリックで拡大図(102kB)にいきます。 大門石垣跡側から上がった土塁上からの下千畳と御平庭 下千畳奥側の空堀の続きと土塁
上千畳からの
下千畳との間の腰曲輪
大門石垣跡側から上がった
土塁上からの下千畳と御平庭
下千畳奥側の
空堀の続きと土塁

上千畳
 近世城郭の本丸に相当し、政庁がありここに城主(城代)の居館の営まれ、家臣が詰めて政務にあたったところです。
 発掘調査により六尺五寸間の書院建築三棟の礎石、城門跡、枯山水庭園敷石等が発見された。
 上千畳東端に湧水(嗽清水)があり、鴫山城の生命線として「水の手曲輪」を形成していた。
 
上千畳東側入り口からの全景(西方面)
上千畳東側入り口からの全景(西方面)(34kB)
上千畳中間の南側土塁 上千畳東端湧水(嗽清水)の「水の手曲輪」
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上千畳中間の北側土塁 (24kB)
 
上千畳東端湧水(嗽清水)の
「水の手曲輪」
土門跡側からの上千畳(東方面)
土門跡側からの上千畳(東方面)(27kB)

御平庭
 中世「庭」は屋形の軒先の空間を指し、御庭とは領内からの目安、注進の取次を受ける所の意で城内の役所のあった所。
 内城大手虎口が開かれ、北側に土塁、空堀を設け南斜面に腰曲輪が巡らされて政治、軍事上最も重要な曲輪(施設)であった。
 
上千畳東端嗽清水下からの御平庭全景(北方面)
上千畳東端嗽清水下からの御平庭全景(北方面)(29kB)
御平庭の中心にある石垣井戸跡 御平庭の西側の詰めの山城山頂への道
御平庭の中心にある石垣井戸跡 御平庭の西側の詰めの山城山頂への道(20kB)

お花畑跡
 お花畑は、中世城址に一般的に存在する曲輪です。
 地名が示すように草花を植栽した所で、薬草域は籠城時の食用野菜等の栽培が考えられている。
 近世城郭においては、居城に接し、御薬園(鶴ヶ城)や庭園(水戸偕楽園等)として発展した姿のものがみられる。
 
御平庭の真上のお花畑下を通る道 お花畑の曲輪跡
御平庭の真上のお花畑下を通る道お花畑の曲輪跡(21kB)

東外壁塁
 愛宕山山頂を起点として城域を包込む馬蹄形土塁の東側を構成するもので、東尾根稜線上に土塁を型成し、麓の八幡神社に至る。
 北側緩傾斜面より、外低内高中開に空堀を伴った所謂後北条流「比高二重土塁」の構造をもつのが特色となっている。
 
東尾根稜線上の土塁 東尾根稜線上の土塁 東尾根稜線上の土塁
東尾根稜線上の土塁

御茶屋場
 鴫山城創築時山城の最前線基地で、詰の城の大手口に相当する機能を持つ見晴しのよい削平地。
 東南を守備する東尾根の曲輪と北尾根の曲輪の直接連絡する為に位置し北主水曲輪と対を成して敵の侵入をここで食い止める重要な曲輪であった。
 
詰の城の大手口に相当する機能を持つ見晴しのよい削平地の御茶屋場
詰の城の大手口に相当する機能を持つ見晴しのよい削平地の御茶屋場 (38kB)
削平地の御茶屋場の上部
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削平地の御茶屋場の上部

主水曲輪
 「詰の城」を構成する重要な曲輪で創建時の鴫山城はここより上部と考えられる。
 南北朝期山城特有の小削平地が階段状に続く。
 北側に中世の野面石積がみられ、前面に虎口を設ける。
 左下北主水曲輪右下に御茶屋場曲輪を配し敵の侵入を防いだ。
 
野面積の石垣 野面積の石垣 野面積の石垣
主水曲輪の北側に広がる野面積の石垣
主水曲輪全景(南方面) 上部馬返し岩から見る主水曲輪
主水曲輪全景(南方面)(27kB) 上部馬返し岩から見る主水曲輪
下部から見上げる主水曲輪と馬返し岩(南方面) 主水曲輪上部から見る馬返し岩
下部から見上げる主水曲輪と馬返し岩(南方面)(26kB) 主水曲輪上部から見る馬返し岩

愛宕神社(詰の城本丸)
 鴫山城山城の本丸にあたり軍神を祀った所で標高749m。
 岩盤を削って小曲輪の平場を作り、階段状連郭式に連なる南北朝期山城の特色をよく残している。
 背後南自然の岩山が険しい屏風岩状をなし、籠城時の逃げ道搦め手の役割を持った。
 
岩盤を削った小曲輪の平場にある愛宕神社
クリックで拡大図(128kB)にいきます。 石階段から見上げる山門
岩盤を削った小曲輪の
平場にある愛宕神社
石階段から見上げる山門(18kB)
神社拝殿からの山門内側 山頂部本丸最高所に建つ愛宕神社
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神社拝殿からの山門内側山頂部本丸最高所に建つ
愛宕神社

矢倉台跡と土門跡
 鴫山城の最も弱点とされる土門を守備し兵内(新町)丸山出城を監視するために設けられた矢倉台跡。
 沢を隔てた西側中沢台山出城と連携して土門よりの敵の侵入を阻止する。
 矢倉台直下に支峰稜線上に利用した土塁及び堀切が見られる。

 土門跡は、西外壁塁鞍部に設けられた枡形門。
 近世城郭の枡形は五八の内枡形(五X八間)が標準であるが、土門はそれより小さく土塁の外に作られた出枡形 で中世の一文字土居に近い原初的枡形である。
 
土門への矢倉台下の堀切
クリックで拡大図(95kB)にいきます。 堀切からの矢倉台の稜線 土門跡の土塁
土門への矢倉台下の堀切堀切からの矢倉台の稜線土門跡の土塁
土門跡からの矢倉台下の堀切と上千畳の土塁(東方面)
土門跡からの矢倉台下の堀切と上千畳の土塁(東方面)(42kB)

外郭遺構
 愛宕山山頂より麓へ延びる東西両翼の土塁と、北側正面の土塁と空堀は、接続し、城郭全体をすっぽりと包み込み、鴫山城跡の最大の特徴である「惣構え」といわれる外郭を形づくっていた。
 この惣構えの正面の様子を伝える一部約70mが唯一合同庁舎横に残存しており、大変重要な遺構である。
 中央小径の南側畑地が空堀跡で、北側の土塁を崩して埋め、畑地としている。東側の部分が、外周土塁より0.5m〜1m低く空堀跡であることが判る。
 塁壁を形成する傾斜面は複雑に屈折し横矢掛りがみられ、鉄砲を意識したブランデであると考えられる。
 
合同庁舎横に残存する外郭遺構の西外壁塁
クリックで拡大図(85kB)にいきます。 北側の土塁を崩して埋めたと思われる空堀跡の畑地
クリックで拡大図(108kB)にいきます。 西外壁塁上から見た田島合同庁舎と旧南会津郡役所
合同庁舎横に残存する
外郭遺構の西外壁塁
北側の土塁を崩して埋めたと
思われる空堀跡の畑地
西外壁塁上から見た
田島合同庁舎と旧南会津郡役所


 鴫山城跡                                          平成20年4月29日時点  
◇所在地 ・福島県南会津郡南会津町田島字根古屋甲
◇交通 ・会津鉄道会津田島駅から、国道12号線を横断し、
  田島カトリック暁の星幼稚園に向って、徒歩約10分(約1km)で大手道へ
・東北自動車道・白河IC〜国道4号線〜国道289号線〜
  (甲子トンネル未開通のため、途中から甲子峠までは林道を走る)
   〜国道289号線〜国道121号線
・東北自動車道・宇都宮IC〜日光宇都宮道路・今市IC〜国道121号線を約50km北上
◇駐車場 ・田島合同庁舎(旧南会津郡役所)の駐車場を利用
◇問い合わせ南会津町役場本庁舎  TEL:0241-62-6100(代)
  福島県南会津郡南会津町田島字後原甲3531番地1

参考文献現地解説板、現地入手のパンフレット

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