神指(こうざし)城跡

―― 徳川家康を迎え撃つべく築城を急ぎ、未完のまま廃城となった城 ――

本丸土塁と高瀬の大木(ケヤキ)の遠望(東面)
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本丸土塁と高瀬の大木(ケヤキ)の
遠望(東面)
東北隅の土塁上にある高瀬の大木(ケヤキ)(北面)
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東北隅の土塁上にある
高瀬の大木(ケヤキ)(北面)

 慶長5年(1600)120万石を領する時の会津藩主上杉景勝は、石田光成等と力を合せて徳川家康を討とうとしたが、鶴ヶ城は山に近く守備に不利と見て、神指ヶ原に大規模な城郭を築くことを計画、家老直江兼続の指揮のもと12万人の人夫を動員し、昼夜休みなく工事を急がせた。
 しかし、関ヶ原の戦は家康の勝利に終わったため、工事を途中で中止した。
 それ以後、この城は廃城となり現在に至っている。

 高瀬の大木(ケヤキ)は、慶長年間に上杉景勝が築城した神指城跡の東北隅の土塁上にある。
 築城前から既に大木であったことが知られ、根元の周囲12.55m、目通りの幹囲10.45m、樹高24.64mある。
 大枝の折損が相次ぎ、幹部に亀裂が生じてきたが、樹姿はなお堂々としてすぐれ、ケヤキの巨樹として有数のもである。
東北隅の土塁上にある高瀬の大木(ケヤキ)(南面)
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東北隅の土塁上にある
高瀬の大木(ケヤキ)(南面)
本丸の土塁と高瀬の大木の遠望(北西面)
本丸の土塁と高瀬の大木の
遠望(北西面)

 越後から会津に転封となった上杉景勝が、徳川家康を討つため、12万人の人夫を動員し築城に着手した平城でしたが、関ヶ原の戦いが家康の勝利に終わったため、工事を途中で中止し、廃城となった城です。

 本丸の土塁と築城前からあったといわれる高瀬の大木が確認できましたが、他はあまり分かりませんでした。
本丸の土塁と高瀬の大木(北西面) 本丸土塁(南西隅)
本丸の土塁と高瀬の大木(北西面) (25kB) 本丸土塁(南西隅)

 神指城跡                                           平成20年4月29日時点  
◇所在地 ・福島県会津若松市神指町大字高瀬五百番地
◇交通 ・JR磐越西線・会津若松駅からバスで高瀬下車(約4km)、徒歩約15分(約1km)
・磐越自動車道・会津若松IC〜国道121号線〜国道49号線〜
   〜国道252号線との交差点・中沢信号の細い道を直進
◇駐車場 ・なし(高瀬の大木:ケヤキ前の道路に1〜2台の駐車スペースあり)
◇問い合わせ会津若松観光物産協会  TEL:0242-24-3000
  福島県会津若松市大町一丁目7番地3

参考文献現地解説板、現地入手のパンフレット

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