会津若松城(別名・鶴ヶ城) 【 昭和60年(1985)版 】

―― 蒲生氏郷が仕上げた堅城 ――
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会津若松城の歴代城主の家紋
会津若松城の歴代城主の家紋
鉄御門方面からの走長屋と天守
鉄御門方面からの
走長屋と天守
本丸御殿跡からの会津若松城天守
本丸御殿跡からの天守

 会津若松城は、至徳元年(1384)芦名直盛によって築かれたく黒川館がその全身であり、その後、伊達政宗、続いて天正18年(1590)蒲生氏郷が入り、天守閣を建て、城全体の大改築が行われて、名も「鶴ヶ城」と改められた。
 慶長3年(1598)上杉景勝がこれに変わり、寛永4年(1627)から加藤嘉明と戦国の勇将、武将が相次いで居城にした。

 寛永20年(1643)に及び徳川家の親藩である保科正之(徳川三代将軍家光の弟)が封ぜられた後は、子孫の松平氏が代々居城し、明治維新に至った。
桜の中の天守
桜の中の天守
取り壊し前の天守
取り壊し前の天守

 明治元年戊辰戦役に薩摩・長州などの官軍の攻撃にあい、籠城戦を展開し、その名城ぶりを発揮したが、九月に遂に開城した。
 開城の1ヶ月前、城外に出撃していた白虎隊の少年達が、城付近の侍屋敷の火災を天守閣の炎上と見誤り、飯盛山にて自刃した悲劇はあまりにも有名です。

 鶴ヶ城の天守閣は、蒲生氏郷の時代に築かれ、七層であったが、加藤明成のときに五層に改築された。

 明治7年(1874)に時の政策により、天守閣をはじめ建物すべてが取り壊されました。
会津若松城天守(北西面)
天守(北西面)
会津若松城天守への道
天守への道
 

 現在の天守閣は、昭和40年(1965)に当時の姿をそのままに再現したものです。
 内部は、会津地方の文化財を展示している郷土資料館や、民俗資料を展示している走り長屋などになっている。
 附櫓としての走り長屋が他のお城にはない特徴か。

 お城見物の後は、歩いて会津若松市内の会津酒蔵歴史館や近くの土産物屋を覗くのも良いものです。
 市内巡りにはフリー乗車券が便利です。
 会津武家屋敷や滝沢本陣を見学するのも時代物の好きな人にはよいかも。



 会津若松城 (別名・鶴ヶ城)                     平成7年9月1日現在  
◇交通・JR磐越西線・会津若松駅より、徒歩約30分、
 会津若松駅より市内バスにて、鶴ヶ城北口下車、徒歩3分
◇開館時間・午前8時30分〜午後5時まで(入城は4時30分まで)
◇休館日・7月第1週(月)〜(木)、12月第1週(火)〜(木)
◇入場料・大人 400円、小人 150円

参考文献現地解説板、現地入手のパンフレット

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