会津若松城(別名・鶴ヶ城) 【 平成20年(2008)版 】
―― 蒲生氏郷が仕上げた七層天守閣の堅城 ――| 【 昭和60年(1985)の 会津若松城へ】 | ||||||||
その後、天正17年(1589)伊達政宗が会津に入るが、続いて天正18年(1590)蒲生氏郷が会津92万石の領主として黒川城に入り、文禄元年(1592)七層の天守閣を建て、外郭を築き、町割りを作り、黒川の地を「若松」と改め、城の名を「鶴ヶ城」と命名した。 慶長3年(1598)上杉景勝が会津入りし、出羽3郡、佐渡3郡を加えて120万石が与えられる。 慶長6年(1601)景勝が米沢に転じ、蒲生氏郷の子・秀行が会津60万石で入封する。 寛永4年(1627)には、伊予松山から加藤嘉明が会津40万石で入封、寛永16年(1639)嘉明の子・明成が天守閣を五層にし、北出丸、西出丸を増築し、現在の城域を改完成させている。
寛永20年(1643)加藤明成は、幕府に会津40万石を召し上げられ、代わりに徳川三代将軍家光の弟・保科正之が最上から会津23万石で封ぜられた後は、松平姓となった子孫が代々居城し、明治維新に至った。 明治元年戊辰戦役に薩摩・長州などの官軍の攻撃にあい、籠城戦を展開し、その名城ぶりを発揮したが、九月に遂に開城した。 開城の1ヶ月前、城外に出撃していた白虎隊の少年達が、城付近の侍屋敷の火災を天守閣の炎上と見誤り、飯盛山にて自刃した悲劇はあまりにも有名です。
現在の天守閣は、昭和40年(1965)に当時の姿をそのままに再現したものです。 さらに、平成12年(2000)には、干飯櫓・南走長屋を復元しています。 内部は、会津地方の文化財を展示している郷土資料館や、民俗資料を展示している走り長屋などになっている。 附櫓としての走り長屋が他のお城にはない特徴か。 江戸城、大坂城、名古屋城に次ぐ広さの城域を持つ会津若松城ですから、復元された本丸天守や南走り長屋や干飯櫓だけでなく、北・西出丸、二ノ丸の石垣、土塁を見て回るだけでも大変です。
また、ちょっと離れていますが、移築された阿弥陀寺の御三階は唯一の現存遺構ですから、必ず見にいってください。 お城見物の後は、歩いて会津若松市内の会津酒蔵歴史館や近くの土産物屋を覗くのも良いものです。 市内巡りにはフリー乗車券が便利です。 また、会津武家屋敷や滝沢本陣などを見学するなら”会津を代表する観光33施設の割引券&プレゼント券”のパンフをゲットすると全てが約1割引きでお得です。 |
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| 本丸・御殿跡 | ||
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| 天守閣最上階から見た本丸・御殿跡と小田山・奴田山方面を望む(東南東方面) (34kB) |
| 御三階 | ||
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御三階は、数奇屋風の楼閣状の建物で、城内の他の建物とは趣が異なっていました。 密議を行う場所として使われていたといわれています。 戊辰戦争後、鶴ヶ城の取り壊しが行われる前に、七日町の阿弥陀寺に移築され、現存しています。 | ||
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| 本丸広場からの 御三階跡の石垣(南西面) | 天守閣からの 御三階跡の石垣(西面) | 扇の勾配石垣上からの 御三階跡の石垣(東面) |
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| 本丸埋門(裏門) | ||
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天守閣の北東にあって本丸奥御殿の北側から本丸帯郭に通じる枡形の城門である。 城内の他の門や建築物に比較して低い門構えで埋門の形態をとっていた。 大手口が東であった築城当時は表門であったが、寛永16年(1639)の加藤明成による改築後は裏門となっている。 本丸奥御殿の勝手口としても重要な門である。 | ||
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| 帯郭からの埋門跡右側石垣 | 帯郭からの埋門跡左側石垣 | |
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| 北出丸とその水堀 | |||||
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寛永16年(1639)加藤明成のとき、北馬出を出丸に造りかえたもので、本丸を守る重要な出丸であった。 東は二ノ丸と伏兵郭に、南は本丸に、西は西出丸に濠をへだて相対し、攻防の際には最も重要な位置にあったため城の生命線であった。 北出丸に侵入した敵は三方からせん滅することができるので「みなごろし丸」ともいわれていた。 | |||||
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| 大手門跡横の土塁からの北出丸への土橋と枡形石垣(北面) (24kB) | |||||
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| 鶴ヶ城北口の 北出丸堀端に建つ上石碑 | 土橋側の石垣 (枡形内左側・北側) | 土橋側の石垣 (枡形内右側・南側) | |||
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| 北出丸大手門跡土橋からの枡形石垣(東面) (26kB) | |||||
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| 北出丸内からの大手門跡枡形石垣(北面) (25kB) | |||||
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| 北出丸内からの大手門跡枡形石垣(西面) (22kB) | |||||
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| 北出丸内からの 大手門跡枡形石垣(南側・西面) | 椿坂(土橋)からの 北出丸東側の大手門跡の石垣 | ||||
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| 椿坂(土橋)からの 北出丸西側の棟門跡の石垣 | 車が通る北出丸西側の棟門跡石垣(北東面) (16kB) | ||||
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| 北出丸西側の棟門枡形内部(北出丸方面・南面)(30kB) | |||||
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| 北出丸西側の棟門跡の石垣(西方面) (19kB) | 西側の棟門跡の石垣(東面) | ||||
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西側の棟門跡の石垣 | (北断面) 西側の棟門跡の石垣と | 土橋(西面) 西側の棟門跡の石垣と | 土橋(北西面) |
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| 北出丸西側の水堀と石垣 (15kB) | 鶴ヶ城北口からの北出丸北側の水堀と 若松女子高校校舎 (8kB) |
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| 鶴ヶ城北口からの北出丸北側の水堀(二ノ丸方面) (21kB) | |
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| 三ノ丸跡 | ||
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三ノ丸跡には、北辺埋門跡から中央部まで、県立博物館が建ち、南に空き地、市営プールなどがあります。 また南辺の南門跡近くには、土塁や水濠の一部が現存します。 | ||
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| 二ノ丸東門土橋前からの 三ノ丸跡に建つ県立博物館 | 三ノ丸跡にある標識と 小田山麓史跡案内板 | 三ノ丸中心部の空き地と 小田山・奴田山 |
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| 会津若松城 (別名・鶴ヶ城) 平成20年4月30日時点 | |
| ◇所在地 | ・福島県会津若松市追手町1番1号 |
| ◇交通 |
・JR磐越西線・会津若松駅より、徒歩約30分 ・JR会津若松駅より、ハイカラさんバスにて約20分、鶴ヶ城北口下車5分 ・磐越自動車道・会津若松IC〜国道121号線〜観音前交差点を左折し、国道49号線へ〜 〜JR磐越西線を渡りすぐの北柳原交差点を右折し、国道118号線へ〜 〜JR会津若松駅前を過ぎて、約2.7km先の左手側 ・城内他、市内観光スポット3ヶ所にレンタサイクルステーションあり、 3月下旬から11月末までの9:00am〜4:00pm、1日500円で利用可。 |
| ◇駐車場 | ・西出丸駐車場(200台)、三の丸駐車場(40台)、南口駐車場(35台)あり、いずれも有料 |
| ◇開館時間 | ・午前8時30分〜午後5時まで(入城は4時30分まで) |
| ◇休館日 | ・無休 |
| ◇入場料 | ・大人 400円、小人 150円 |
| ◇問い合わせ |
・(財)会津若松市観光公社 TEL:0242-27-4005 福島県会津若松市追手町1番1号 ・あいづ観光情報館のホームページへ |
| 参考文献 |
・現地解説板、現地入手のパンフレット ・よみがえる日本の名城17 仙台城・会津若松城(中井均・三浦正幸監修指導 学習研究社発行) |