会津若松城(別名・鶴ヶ城) 【 平成20年(2008)版 】

―― 蒲生氏郷が仕上げた七層天守閣の堅城 ――
昭和60年(1985)の 会津若松城へ
本丸内の茶室麟閣前からの天守(東南面)
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本丸内の茶室麟閣前からの
天守(東南面)
帯郭の管理事務所前からの本丸鉄門(くろがねもん)
ダブルクリックで拡大図(69kB)へ
帯郭の管理事務所前からの
本丸鉄門(くろがねもん)
 会津若松城は、南北朝の頃、至徳元年(1384)芦名直盛によって築かれた黒川館がその全身であるといわれている。
 その後、天正17年(1589)伊達政宗が会津に入るが、続いて天正18年(1590)蒲生氏郷が会津92万石の領主として黒川城に入り、文禄元年(1592)七層の天守閣を建て、外郭を築き、町割りを作り、黒川の地を「若松」と改め、城の名を「鶴ヶ城」と命名した。

 慶長3年(1598)上杉景勝が会津入りし、出羽3郡、佐渡3郡を加えて120万石が与えられる。
 慶長6年(1601)景勝が米沢に転じ、蒲生氏郷の子・秀行が会津60万石で入封する。
 寛永4年(1627)には、伊予松山から加藤嘉明が会津40万石で入封、寛永16年(1639)嘉明の子・明成が天守閣を五層にし、北出丸、西出丸を増築し、現在の城域を改完成させている。
千利休の子少庵が匿われていた茶室「麟閣」
千利休の子少庵が匿われていた
茶室「麟閣」
鉄門下からの南走り長屋と干飯櫓(本丸内側)
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鉄門下からの南走り長屋と
干飯櫓(本丸内側)

 寛永20年(1643)加藤明成は、幕府に会津40万石を召し上げられ、代わりに徳川三代将軍家光の弟・保科正之が最上から会津23万石で封ぜられた後は、松平姓となった子孫が代々居城し、明治維新に至った。

 明治元年戊辰戦役に薩摩・長州などの官軍の攻撃にあい、籠城戦を展開し、その名城ぶりを発揮したが、九月に遂に開城した。
 開城の1ヶ月前、城外に出撃していた白虎隊の少年達が、城付近の侍屋敷の火災を天守閣の炎上と見誤り、飯盛山にて自刃した悲劇はあまりにも有名です。

[ 戊辰戦争当時の若松城下 概要図 へ (111kB) ]



茶壷櫓跡からの扇の勾配の石垣と廊下橋(南面)
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茶壷櫓跡からの
扇の勾配の石垣と廊下橋
天守北側の武者走りの石垣
ダブルクリックで拡大図(97kB)へ
天守北側の武者走りの石垣
 
 明治7年(1874)に時の政策により、天守閣をはじめ建物すべてが取り壊されました。
 現在の天守閣は、昭和40年(1965)に当時の姿をそのままに再現したものです。
 さらに、平成12年(2000)には、干飯櫓・南走長屋を復元しています。
 内部は、会津地方の文化財を展示している郷土資料館や、民俗資料を展示している走り長屋などになっている。
 附櫓としての走り長屋が他のお城にはない特徴か。

[ 史跡若松城跡:鶴ヶ城 案内図 (280kB) ]


 江戸城、大坂城、名古屋城に次ぐ広さの城域を持つ会津若松城ですから、復元された本丸天守や南走り長屋や干飯櫓だけでなく、北・西出丸、二ノ丸の石垣、土塁を見て回るだけでも大変です。
移築された阿弥陀寺の御三階
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移築された阿弥陀寺の御三階
北出丸の武徳殿
ダブルクリックで拡大図(63kB)へ
北出丸の武徳殿

 また、ちょっと離れていますが、移築された阿弥陀寺の御三階は唯一の現存遺構ですから、必ず見にいってください。

 お城見物の後は、歩いて会津若松市内の会津酒蔵歴史館や近くの土産物屋を覗くのも良いものです。
 市内巡りにはフリー乗車券が便利です。

 また、会津武家屋敷や滝沢本陣などを見学するなら”会津を代表する観光33施設の割引券&プレゼント券”のパンフをゲットすると全てが約1割引きでお得です。

西出丸と水堀
 西出丸は、寛永16年(1639)加藤明成が本丸の防備を強化するために西馬出を改造し築いた郭で、総面積は5,100坪余(約16,860平方メートル)となっている。
 西出丸から北側に出る門が搦手門で、西追手門とも呼ばれ、南には内讃岐門が置かれていた。
 西北隅と西南隅の石垣角には二重の塗込櫓があり、内部には蝋蔵、漆蔵などがおかれ、南側には一棟の番所があった。
 
西出丸西側の水堀と西追手門前の土橋(北西面)
西出丸西側の水堀と西追手門前の土橋(北西面) (12kB)
西出丸北側西追手門前の土橋と水堀(北西面) 西出丸北側西追手門前の土橋と水堀(北面)
西出丸北側西追手門前の土橋と水堀(北西面) (20kB) 西出丸北側西追手門前の土橋と水堀(北面) (15kB)
西出丸西追手門跡石垣上からの帯郭への石垣と水濠(北面)
西出丸西追手門跡石垣上からの帯郭への石垣と水濠(北面) (34kB)
西出丸北側西追手門跡の石垣(北面) 西追手門跡の北側石垣(北東方面)
西出丸北側西追手門跡の石垣(北面) (17kB)
 
西追手門跡の北側石垣
(北東方面)
西出丸北側西追手門跡の石垣(南西面) 西追手門跡の石垣 
ダブルクリックで拡大図(75kB)へ
西出丸北側西追手門跡の石垣(南西面) (28kB)
西出丸内部の全景(西側中央から南側内讃岐門跡方面) 内讃岐門跡 
ダブルクリックで拡大図(70kB)へ
西出丸内部の全景(西側中央から南側内讃岐門跡方面) (31kB)
西出丸南側内讃岐門跡前の石塁(土橋方面) 西出丸南側内讃岐門跡の石垣
西出丸南側内讃岐門跡前の石塁(土橋方面) (22kB) 西出丸南側内讃岐門跡の石垣
西出丸南側石垣上からの内讃岐門跡と土橋(西面) 西出丸南側石垣上からの土橋と水濠
西出丸南側石垣上からの内讃岐門跡と土橋(西面)(21kB) 西出丸南側石垣上からの
土橋と水濠
西出丸南側土橋前からの西出丸石垣と水濠(南面) 西出丸南側土橋上からの内讃岐門跡の石塁(南面)
ダブルクリックで拡大図(120kB)にいきます。 帯曲輪の土塁上からの西出丸南側土橋(東面)
西出丸南側土橋前からの
西出丸石垣と水濠(南面)
西出丸南側土橋上からの
内讃岐門跡の石塁(南面)
帯曲輪の土塁上からの
西出丸南側土橋(東面)
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帯郭と弓門(西中門)跡と五軒丁堀
西出丸南側土橋前からの帯郭・本丸の石垣と五軒丁堀 本丸干飯櫓 
ダブルクリックで拡大図(75kB)へ
西出丸南側土橋前からの帯郭・本丸の石垣と五軒丁堀 (25kB)
帯郭への侵入路の石垣(南面) 帯郭への入口跡の石垣 
ダブルクリックで拡大図(93kB)へ 帯郭への石垣の上部(西方面)
帯郭への侵入路の石垣(南面) (17kB)
 
帯郭への石垣の上部
(西方面)
西出丸から帯郭への梅坂(知期理坂) 帯郭弓門(西中門)跡の石垣と梅坂(西面)
西出丸から帯郭への梅坂
(別名:知期理坂)
帯郭弓門(西中門)跡の石垣と梅坂(西面) (16kB)
帯郭弓門(西中門)跡の石垣と梅坂(西方面) 弓門(西中門)跡の石垣と梅坂 
ダブルクリックで拡大図(133kB)へ
帯郭弓門(西中門)跡の石垣と梅坂(西方面) (33kB)
帯郭弓門(西中門)跡近くにある鐘撞堂 弓櫓(鐘之櫓)跡の土塁と石垣 五軒丁堀沿い帯郭西側の土塁上部
帯郭弓門(西中門)跡近くにある
鐘撞堂
弓櫓(鐘之櫓)跡の
土塁と石垣
五軒丁堀沿い
帯郭西側の土塁上部
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表門(鉄門:くろがねもん)、南走り長屋、干飯櫓
 帯郭から本丸内の奥御殿に通じる表門で、北向きの多聞櫓城門である。
 扉や柱が鉄で包まれていたところから鉄門の名が付けられている。門の石垣の仕法は「切込ハギ」と呼ばれ代表的な遺構の一つとして知られている。
 南走り長屋、干飯櫓は、平成12年(2000)に復元されました。
 
本丸茶室麟閣前からの天守閣と走り長屋、表門、干飯櫓(西面) 南走り長屋(東面) 
ダブルクリックで拡大図(39kB)へ 天守閣(東南面) 
ダブルクリックで拡大図(59kB)へ
本丸茶室麟閣前からの天守閣と走り長屋、表門、干飯櫓(西面) (16kB)
天守からの表門と南走り長屋、干飯櫓(南方面)
クリックで拡大図(85kB)にいきます。 帯郭からの表門(正面)
クリックで拡大図(62kB)にいきます。 帯郭からの表門(西面)
クリックで拡大図(61kB)にいきます。
天守からの表門と
南走り長屋、干飯櫓(南方面)
帯郭からの表門
(正面)
帯郭からの表門
(西面)
帯郭からの南走り長屋(北方面) 帯郭からの南走り長屋と干飯櫓(南方面) 帯郭南走り長屋下からの干飯櫓(西面)
クリックで拡大図(67kB)にいきます。
帯郭からの南走り長屋
(北方面)
帯郭からの南走り長屋と
干飯櫓(南方面)
帯郭南走り長屋下からの
干飯櫓(西面)
帯郭南端で土塁とつながる干飯櫓(西面) 本丸土塁からの干飯櫓(東面) 表門下からの南走り長屋と干飯櫓(本丸側南方向)
クリックで拡大図(55kB)にいきます。
帯郭南端で土塁とつながる
干飯櫓(西面)
本丸土塁からの干飯櫓
(東面)
表門下からの南走り長屋と
干飯櫓(本丸側南方向)
本丸干飯櫓下の井戸跡 干飯櫓前からの表門と天守(本丸側北方面)
クリックで拡大図(77kB)にいきます。 本丸側からの表門(帯郭北西方面)
クリックで拡大図(55kB)にいきます。
本丸干飯櫓下の井戸跡
 
干飯櫓前からの表門と
天守(本丸側北方面)
本丸側からの表門
(帯郭北西方面)
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天守閣外観と走り長屋
 鶴ヶ城天守閣は、戊辰戦争後、明治7年(1874)に取り壊され、その後、昭和9年には国の史跡に指定され、昭和40年(1965)には、天守閣が再建されました。
 天守台石垣は蒲生時代の野面積石垣上に層塔式の五重五階の天守が建てられている。
 
本丸からの表門、走り長屋と天守閣(南面) 天守閣(南面) 
ダブルクリックで拡大図(46kB)へ 表門(本丸側) 
ダブルクリックで拡大図(43kB)へ 本丸御殿跡からの天守閣(東南面)
クリックで拡大図(63kB)にいきます。
本丸からの表門、走り長屋と天守閣(南面) (13kB)
 
本丸御殿跡からの
天守閣(東南面)
本丸御三階跡からの天守閣(東面)
クリックで拡大図(51kB)にいきます。 入城券売り場と天守閣(東面)
クリックで拡大図(54kB)にいきます。 帯郭太鼓門跡前からの天守閣(西北面)
クリックで拡大図(56kB)にいきます。
本丸御三階跡からの
天守閣(東面)
入城券売り場と
天守閣(東面)
帯郭太鼓門跡前からの
天守閣(西北面)
帯郭弓門(西中門)跡の石垣上からの天守閣(西面)
クリックで拡大図(85kB)にいきます。 帯郭南西部からの天守閣(西南面)
クリックで拡大図(78kB)にいきます。 表門前からの走り長屋と天守閣(帯郭側南面)
帯郭弓門(西中門)跡の
石垣上から天守閣(西面)
帯郭南西部からの
天守閣(西南面)
表門前からの走り長屋と
天守閣(帯郭側南面)
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天守閣・走り長屋・干飯櫓の内部
 若松城の天守台は、約400年前の蒲生氏郷が天守閣を建てたときに築かれたものです。
 ただし、内側の石積みは慶長16年(1611)の大地震の時の被害により、加藤明成が行った改修の時に積み直されたものです。
 天守台の内側は年間を通して外部より気温が低いため、昔は塩や保存食などの貯蔵庫として利用されていました。
 
天守閣の入口左側の石垣 天守閣入口の石垣と渡し石
クリックで拡大図(86kB)にいきます。 天守閣の入口と渡し石
クリックで拡大図(86kB)にいきます。
天守閣入口左側の石垣 天守閣入口の石垣と渡し石 天守閣の入口と渡し石
天守台内部の石垣 天守台内部の石垣 天守台内部の石垣
天守台内部の石垣(入口方面)
天守閣最上階内部 天守閣最上階内部
天守閣最上階内部
天守台内部への石階段 天守台から走り長屋への渡りの櫓 走り長屋から天守台への登り石階段
天守台内部への石階段
 
天守台から走り長屋への
渡りの櫓
走り長屋から天守台への
登り石階段
走り長屋への渡り廊下内部 走り長屋内部(天守閣方面) 走り長屋内部(鉄門方面)
走り長屋への渡り廊下内部 走り長屋内部(天守閣方面) 走り長屋内部(鉄門方面)
走り長屋から鉄門渡り櫓部への登り階段 鉄門櫓の最上階内部 干し飯櫓入口からの櫓1階内部
走り長屋から
鉄門渡り櫓部への登り階段
鉄門櫓の最上階内部
 
干し飯櫓入口からの
櫓1階内部
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本丸・御殿跡
天守閣最上階から見た本丸・御殿跡
天守閣最上階から見た本丸・御殿跡と小田山・奴田山方面を望む(東南東方面) (34kB)

御三階
 御三階は、数奇屋風の楼閣状の建物で、城内の他の建物とは趣が異なっていました。
 密議を行う場所として使われていたといわれています。
 戊辰戦争後、鶴ヶ城の取り壊しが行われる前に、七日町の阿弥陀寺に移築され、現存しています。
 
本丸広場からの御三階跡の石垣(南西面)
クリックで拡大図(84kB)にいきます。 天守閣からの御三階跡の石垣(西面) 扇の勾配石垣上からの御三階跡の石垣(東面)
本丸広場からの
御三階跡の石垣(南西面)
天守閣からの
御三階跡の石垣(西面)
扇の勾配石垣上からの
御三階跡の石垣(東面)
top へ

茶室『麟閣』
 天正19年(1591)千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられ、この時、千利休の茶道が途絶えることを惜しんだ会津の領主、蒲生氏郷は利休の子、少庵を会津に匿いました。
 この「麟閣」は少庵が会津に匿われていた時に、氏郷のために造ったと伝えられており、戊辰戦争後は茶人森川善兵衛宅で大切に保存されていました。
 会津若松市では、平成2年市制90周年を記念し、この麟閣を元の場所にへ移築し、復元し、後世へ伝えるものです。
 
干飯櫓下からの本丸広場と茶室「麟閣」正面の門と塀(東方面) 茶室「麟閣」の正面入口の門 へ
干飯櫓下からの本丸広場と茶室「麟閣」正面の門と塀(東方面) (26kB)
茶壷櫓跡からの茶室(裏側・東面) 天守閣最上階からの茶室「麟閣」全景(北西面)
クリックで拡大図(60kB)にいきます。 本丸御三階跡前からの茶室「麟閣」正面の門(北西面)
クリックで拡大図(72kB)にいきます。
茶壷櫓跡からの茶室
(裏側・東面)
天守閣最上階からの
茶室「麟閣」全景(北西面)
本丸御三階跡前からの
茶室「麟閣」正面の門(北西面)
廊下側からの茶室・鎖の間 茶会前に身支度等を整える「寄付」 茶席入り直前の路地待ちの「腰掛待合」
茶会前に身支度等を
整える建物「寄付」
茶席入り直前の
路地待ちの「腰掛待合」
茶室・鎖の間 茶室・三畳台目席
茶室・鎖の間(茶壷櫓跡側) 茶室・鎖の間(表門側) 茶室・三畳台目席
top へ

月見櫓跡(本丸南方)
 二重の塗込櫓で、常に武器が収められていた所であったが、城内からの月見の場所としては絶好の櫓でもあったことから、月見櫓と名が付けられていた。
 城下南方の湯川や天神橋方面の搦手側の物見櫓として、また内濠牛沼沿の本丸石垣の外部の横矢掛りとしても重要な櫓であった。
 
干飯櫓方面からの月見櫓跡石垣(西面) 茶壷櫓跡方面からの月見櫓跡石垣(北東面)
クリックで拡大図(100kB)にいきます。 月見櫓跡上部(茶壷櫓跡・北東方面)
干飯櫓方面からの
月見櫓跡石垣(西面)
茶壷櫓跡方面からの
月見櫓跡石垣(北東面)
月見櫓跡上部
(茶壷櫓跡・北東方面)
月見櫓跡上からの本丸土塁(干飯櫓・西北西方面) 月見櫓跡下の荒城の月碑 月見櫓跡下の井戸跡
月見櫓跡上からの本丸土塁
(干飯櫓・西北西方面)
月見櫓跡下の荒城の月碑
 
月見櫓跡下の井戸跡
 
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茶壷櫓跡
 櫓内には、常に貴重な茶器類がおさめられていたのでこの名がある。
 更に武器の収容をも目的とした二重の塗込櫓であった。
 茶壷櫓の西側の本丸奥御殿内には茶室が「麟閣」が建てられていた。
 この櫓は、御弓櫓と共に本丸の旧大手口に通じる廊下橋の横矢掛りとしても重要な櫓であった。
 北側の石垣は、高さ20m余で、城内では最も高く美しい扇勾配をなし、「忍者落し」ともいわれる。
 
廊下橋土橋から見上げる茶壷櫓跡(北東面) 扇の勾配の高石垣南部にある茶壷櫓跡(南西面)
クリックで拡大図(75kB)にいきます。 廊下橋近くの高石垣上からの茶壷櫓跡の石垣(北面)
廊下橋土橋から見上げる
茶壷櫓跡(北東面)
扇の勾配の高石垣南部にある
茶壷櫓跡(南西面)
廊下橋近くの高石垣上からの
茶壷櫓跡の石垣(北面)
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扇の勾配の高石垣、廊下橋と本丸水堀
 本丸東側の石垣で、城内でもっとも高く20mを超える。
 布積で、扇の勾配または宮勾配と呼ばれる曲線が美しい。
 
茶壷櫓跡からの廊下橋と本丸扇の勾配の高石垣
クリックで拡大図(116kB)にいきます。 茶壷櫓跡からの廊下橋と二ノ丸からの石垣
クリックで拡大図(117kB)にいきます。
茶壷櫓跡からの廊下橋と二ノ丸からの石垣(南面)
本丸からの廊下橋と二ノ丸 二ノ丸からの廊下橋と廊下橋門跡の石垣
茶壷櫓跡からの廊下橋と
本丸扇の勾配の高石垣
本丸からの廊下橋と
二ノ丸(東方面)
二ノ丸からの廊下橋と
廊下橋門跡の石垣(北面)
扇の勾配高石垣上からの本丸水堀と二ノ丸土塁(南東方面) 廊下橋土橋からの扇の勾配の高石垣(南西面)
クリックで拡大図(102kB)にいきます。 廊下橋土橋からの本丸水堀と二ノ丸(北方面)
扇の勾配高石垣上からの本丸水堀と
二ノ丸土塁(南東方面)
廊下橋土橋からの
扇の勾配の高石垣(南西面)
廊下橋土橋からの本丸水堀と
二ノ丸(北方面)
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廊下橋門跡と本丸北側の走り長屋跡の石垣
二ノ丸からの廊下橋門跡の枡形の石垣 廊下橋門跡の枡形の石垣 
ダブルクリックで拡大図(80kB)へ 廊下橋門跡の石垣上部(正面)
二ノ丸からの廊下橋門跡の枡形の石垣 (17kB) 廊下橋門跡の石垣上部(正面)
廊下橋門跡枡形内の石垣(帯郭・北方面) 廊下橋門跡の右側石垣
廊下橋門跡枡形内の石垣(帯郭・北方面) (22kB) 廊下橋門跡の右側石垣
帯郭からの廊下橋門跡枡形(北面)
帯郭からの廊下橋門跡枡形と本丸北側の走り長屋跡の石垣(北東面) (18kB)
本丸北側の走り長屋跡の石垣(帯郭側・西方面)
本丸北側の走り長屋跡の石垣(帯郭側・西方面) (25kB)
御三階跡からの廊下橋門跡の石垣(本丸側・南西面) 本丸裏門跡からの走り長屋跡石垣(帯郭側・東方面)
御三階跡からの廊下橋門跡の石垣(本丸側・南西面) (20kB)
 
本丸裏門跡からの走り長屋跡石垣
(帯郭側・東方面)
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本丸埋門(裏門)
 天守閣の北東にあって本丸奥御殿の北側から本丸帯郭に通じる枡形の城門である。
 城内の他の門や建築物に比較して低い門構えで埋門の形態をとっていた。
 大手口が東であった築城当時は表門であったが、寛永16年(1639)の加藤明成による改築後は裏門となっている。
 本丸奥御殿の勝手口としても重要な門である。
 
帯郭からの埋門跡右側石垣 帯郭からの埋門跡左側石垣
帯郭からの埋門跡右側石垣 帯郭からの埋門跡左側石垣
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太鼓門跡(大手門)と忍者走り、椿坂(土橋)と帯郭水堀
 北出丸から本丸に通じる大手門(追手門)のことで、そこには多聞櫓と呼ばれた櫓が建てられ、胴の径五尺八寸(約1.8m)の大太鼓を備え、藩主の登城や非常事態、その他の合図に使用されていたことから太鼓門と呼ばれていた。
 大手門の帯郭側の石垣には、大手門の渡り櫓などへ簡単に「昇り」「降り」ができるように、V字型の石階段が造られており、「武者走り」と呼ばれている。
 
北出丸からの椿坂と大手門跡枡形(北面)
北出丸からの椿坂と大手門跡枡形(北面)(20kB)
太鼓門跡枡形内からの右側石垣(東南面) 管理事務所前からの太鼓門跡の枡形(西面)
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太鼓門跡枡形内からの右側石垣(東南面) 管理事務所前からの太鼓門跡の枡形(西面)
管理事務所前からの太鼓門跡の枡形石垣(西面) 天守閣最上階からの忍者走り石階段上部
クリックで拡大図(108kB)にいきます。
管理事務所前からの太鼓門跡の枡形石垣(西面)(14kB) 天守閣最上階からの忍者走り石階段上部 (12kB)
天守台下からの忍者走り全景(南面) 大手門跡忍者走りの左側石垣
クリックで拡大図(125kB)にいきます。 大手門跡忍者走りの右側石階段
クリックで拡大図(69kB)にいきます。
天守台下からの忍者走り全景(南面) (25kB)
北出丸棟門跡からの帯郭北側の水堀と西出丸西追手門前の土橋(北西面) 北出丸棟門跡からの帯郭北側の水堀と大手門前の椿坂(土橋)(南東方面)
北出丸棟門跡からの帯郭北側の水堀と
西出丸西追手門前の土橋(北西面) (16kB)
北出丸棟門跡からの帯郭北側の水堀と
西出丸西追手門前の土橋(南東方面) (12kB)
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北出丸とその水堀
 寛永16年(1639)加藤明成のとき、北馬出を出丸に造りかえたもので、本丸を守る重要な出丸であった。
 東は二ノ丸と伏兵郭に、南は本丸に、西は西出丸に濠をへだて相対し、攻防の際には最も重要な位置にあったため城の生命線であった。
 北出丸に侵入した敵は三方からせん滅することができるので「みなごろし丸」ともいわれていた。
 
大手門跡横の土塁からの北出丸への土橋と水堀(北面) 大手門跡横の土塁からの北出丸への土橋と枡形石垣(北面)
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大手門跡横の土塁からの北出丸への土橋と枡形石垣(北面) (24kB)
鶴ヶ城北口の北出丸の堀端に建つ上石碑 土橋側の石垣(枡形内左側・北側)
クリックで拡大図(73kB)にいきます。 土橋側の石垣(枡形内右側・南側)
鶴ヶ城北口の
北出丸堀端に建つ上石碑
土橋側の石垣
(枡形内左側・北側)
土橋側の石垣
(枡形内右側・南側)
北出丸大手門跡土橋からの枡形石垣 北出丸大手門跡の枡形石垣(東面)
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北出丸大手門跡土橋からの枡形石垣(東面) (26kB)
北出丸内からの大手門跡枡形石垣(北面) 大手門跡横の登り階段
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北出丸内からの大手門跡枡形石垣(北面) (25kB)
北出丸内からの大手門跡枡形石垣(西面)
北出丸内からの大手門跡枡形石垣(西面) (22kB)
北出丸内からの大手門跡枡形石垣(南側・西面) 椿坂(土橋)からの北出丸東側の大手門跡の石垣
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北出丸内からの
大手門跡枡形石垣(南側・西面)
椿坂(土橋)からの
北出丸東側の大手門跡の石垣
椿坂(土橋)からの北出丸西側の棟門跡の石垣
クリックで拡大図(90kB)にいきます。 車が通る北出丸西側の棟門跡石垣(北東面)
椿坂(土橋)からの
北出丸西側の棟門跡の石垣
車が通る北出丸西側の棟門跡石垣(北東面) (16kB)
 
北出丸西側の棟門枡形内部(北出丸方面・南面)
北出丸西側の棟門枡形内部(北出丸方面・南面)(30kB)
西側の棟門跡の石垣
クリックで拡大図(52kB)にいきます。 西側の棟門跡の石垣(東面)
北出丸西側の棟門跡の石垣(西方面) (19kB) 西側の棟門跡の石垣(東面)
西側の棟門跡の石垣(北断面) 西側の棟門跡の石垣と土橋(西面) 西側の棟門跡の石垣と土橋(北西面)
クリックで拡大図(106kB)にいきます。
西側の棟門跡の石垣
(北断面)
西側の棟門跡の石垣と
土橋(西面)
西側の棟門跡の石垣と
土橋(北西面)
北出丸西側の水堀と石垣 鶴ヶ城北口からの北出丸北側の水堀と若松女子高校校舎
北出丸西側の水堀と石垣 (15kB)
 
鶴ヶ城北口からの北出丸北側の水堀と
若松女子高校校舎 (8kB)
鶴ヶ城北口からの北出丸北側の水堀(二ノ丸方面)
鶴ヶ城北口からの北出丸北側の水堀(二ノ丸方面) (21kB)
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二ノ丸と伏兵郭
三ノ丸からの二ノ丸東門跡の石垣と土橋 東門跡石垣上から見下ろす土橋
三ノ丸からの二ノ丸東門跡の石垣と土橋 (17kB) 東門跡石垣上から見下ろす土橋
二ノ丸東門跡の石垣(二ノ丸内から土橋方面) 伏兵郭に広がるテニスコート
二ノ丸東門跡の石垣(二ノ丸内から土橋方面) (17kB) 伏兵郭に広がるテニスコート
廊下橋土橋からの本丸水堀と伏兵郭(北西面) 本丸扇の勾配高石垣上からの二ノ丸とその土塁 廊下橋土橋からの本丸水堀と二ノ丸土塁(茶壷櫓跡下方面)
廊下橋土橋からの本丸水堀と
伏兵郭(北西面)
本丸扇の勾配高石垣上からの
二ノ丸とその土塁
廊下橋土橋からの本丸水堀と
二ノ丸土塁(茶壷櫓跡下方面)
伏兵郭東側の二ノ丸水堀(南西方面)
クリックで拡大図(119kB)にいきます。 東門跡前土橋からの二ノ丸空堀(北方面)
伏兵郭東側の二ノ丸水堀
(南西方面)
東門跡前土橋からの二ノ丸空堀(北方面) (15kB)
 
右二ノ丸、東三ノ丸の間の水堀(南方面) 東門跡前土橋からの二ノ丸水堀(南方面)
東門跡前土橋からの
二ノ丸水堀(南方面)
右二ノ丸、東三ノ丸の間の
水堀(南方面)
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三ノ丸跡
 三ノ丸跡には、北辺埋門跡から中央部まで、県立博物館が建ち、南に空き地、市営プールなどがあります。
 また南辺の南門跡近くには、土塁や水濠の一部が現存します。
 
二ノ丸東門土橋前からの三ノ丸跡に建つ県立博物館 三ノ丸跡にある標識と小田山麓史跡案内板 三ノ丸中心部の空き地と小田山・奴田山
二ノ丸東門土橋前からの
三ノ丸跡に建つ県立博物館
三ノ丸跡にある標識と
小田山麓史跡案内板
三ノ丸中心部の空き地と
小田山・奴田山
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甲賀町口門跡
 この石垣は、郊外より若松城の郭内に入る門の石垣で。ここを界として内側を侍の屋敷とし、外側を町民の住居としていた。
 郭内と郭外の間には土塁が築かれ、外濠がめぐらされていた様子が今もしのばれる。
 当時、城下にはこのような門が十六ヶ所あり、特にこの甲賀町口は大手門として他の郭門より厳重な構えをとったとされている。
 
甲賀町口門跡の石碑 甲賀町口門跡の石垣(南面) 甲賀町口門跡の石垣(東面)
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甲賀町口門跡の石碑 甲賀町口門跡の石垣(南面) 甲賀町口門跡の石垣(東面)
甲賀町口門跡の石垣(北面) 甲賀町口門跡の土類(西面)
甲賀町口門跡の石垣(北面) 甲賀町口門跡の土類(西面) (18kB)
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阿弥陀寺に移築された唯一現存遺構の御三階(ごさんかい)
 江戸時代の建築で、明治初年まで鶴ヶ城本丸にありましたが、明治3年にこの地に移されました。
 外観は3階ですが、内部は4層になっており、2階と3階の間に天井の低い部屋があります。
 3階に上る梯子は用のない者が上がれないように、上から引き上げる仕組みになっており、当時は密議所に使用されていたと思われます。
 また、本丸の北東の正方形の石垣の上に建っていたところから、物見や展望台の役目を果たしていました。

 戊辰戦争の戦火で阿弥陀寺が焼失したために、長く本堂として使用されてきました。
 玄関の唐破風は城内本丸御殿の玄関の一部を配したものです。
 鶴ヶ城の遺構として唯一残る貴重な建物です。
 
阿弥陀寺本堂と御三階 御三階の正面玄関(北面)
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阿弥陀寺本堂と御三階 御三階の正面玄関(北面)
御三階(南面)
クリックで拡大図(76kB)にいきます。 御三階(東面)
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御三階(南面) 御三階(東面)
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 会津若松城 (別名・鶴ヶ城)                           平成20年4月30日時点  
◇所在地 ・福島県会津若松市追手町1番1号
◇交通 ・JR磐越西線・会津若松駅より、徒歩約30分
・JR会津若松駅より、ハイカラさんバスにて約20分、鶴ヶ城北口下車5分
・磐越自動車道・会津若松IC〜国道121号線〜観音前交差点を左折し、国道49号線へ〜
   〜JR磐越西線を渡りすぐの北柳原交差点を右折し、国道118号線へ〜
   〜JR会津若松駅前を過ぎて、約2.7km先の左手側
・城内他、市内観光スポット3ヶ所にレンタサイクルステーションあり、
   3月下旬から11月末までの9:00am〜4:00pm、1日500円で利用可。
◇駐車場 ・西出丸駐車場(200台)、三の丸駐車場(40台)、南口駐車場(35台)あり、いずれも有料
◇開館時間・午前8時30分〜午後5時まで(入城は4時30分まで)
◇休館日・無休
◇入場料・大人 400円、小人 150円
◇問い合わせ(財)会津若松市観光公社  TEL:0242-27-4005
  福島県会津若松市追手町1番1号
あいづ観光情報館のホームページへ

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット
・よみがえる日本の名城17 仙台城・会津若松城(中井均・三浦正幸監修指導 学習研究社発行)

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