大洲城(別名・比志、地蔵ヶ嶽、大津城)

―― 四重天守がそびえた壮観な平山城 ――

大洲城:再建中の天守閣と高覧櫓
ダブルクリックで拡大図(52kB)へ 大洲城:肱川橋から見た大洲城  大洲城跡はJR予讃線伊予大洲駅から南に2kmほどのところ、肱川に面する城山本丸の郭と台所櫓、高覧櫓の二基が山上に残り、山麓川岸に薄ネ櫓、三の丸、旧藩主加藤邸に三の丸南隅櫓がある。また、大洲市内には町並みに藩政時代の面影を残すところもある。

 大洲城のはじまりは、鎌倉時代末期の元徳2年(1330)伊予国守護に任ぜられた宇都宮豊房が下野国から伊予喜多郡に移り、翌元徳3年(元弘元年(1331))地蔵ヶ嶽に築城したことによるといわれる。またこの地蔵ヶ嶽城は文治元年(1185)河野通信が居城していた比志城が前身ともいわれる。

 宇都宮氏は八代約230年居城したが豊綱のとき大野直之に城を奪われた。
大洲城:山麓肱川川岸の薄ネ櫓
ダブルクリックで拡大図(44kB)へ 大洲城:旧藩主加藤邸にある三の丸南隅櫓
ダブルクリックで拡大図(62kB)へ  そののち城主は小早川隆景、河野通直、戸田勝隆と替った。
 文禄4年(1595)藤堂高虎が宇和島城主となると支城として大改築を行い近世的な城になった。
 慶長14年(1609)脇坂安治が入封し、それまで大津と呼ばれていた町を大洲と改名した。
 元和3年(1617)になって先の大坂の陣の戦功によって加藤貞泰が六万石で大洲に入封すると以降世襲して明治維新に至った。

 城は、肱川に面した標高23mの小山地蔵ヶ嶽山頂に本丸を置き、中腹に腰郭、西南山麓に二の丸、その外側に内堀があり、南に三の丸、その外側に侍屋敷、町屋があった。
 本丸中央川岸寄りに江戸時代末期再建された四層の天守と連結された台所櫓、高欄櫓がある。

大洲城:本丸石垣 大洲城:本丸台所櫓  訪問時は台所櫓、高欄櫓に連結する四層の天守を平成16年秋までの予定で復元工事中で本丸には入れませんでした。ただ、登城禁止の立て看板を見ないようにして裏手からのぼって、櫓近くまでは行きました。

 でも、ゲートを出るときガードマンのおじさんに見咎められ、『入らないで下さい。明日なら一般見学会があり、見れますよ』と言われましたが、『そんな一泊する余裕などないですよ。ところで、三の丸南隅櫓の場所は何処ですかねー。』と言ってを教えてもらう、あつかましい人でした。

 大洲城                         平成15年8月11日時点  
◇交通 JR予讃線伊予大洲駅より徒歩約20分
◇問い合わせ ・大洲市役所商工観光課      TEL 0893-24-1111
・大洲市観光協会         TEL 0893-24-2664

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