伊予街道(国道192号線)の北、吉野川を眼前に望む岩の鼻」の山上にある中世の山城跡で、川島北城ともいう。
戦国時代の元亀3年(1572)の川島合戦後、細川家家臣でこの地の豪族で二百貫(約千石)を領する川島兵衛之進が築城して川島城と称した。
この川島兵衛之進は、天正7年(1579)12月長宗我部軍の謀計により阿波の矢野駿河守・森飛騨守らの諸将、一族とともに美馬郡脇城外の岩倉の合戦において戦死した。
その後天正13年(1585)阿波に入国した蜂須賀家政は、徳島城防衛前進基地として阿波国内の要地9ヶ所に城塁構築を命じた。いわゆる阿波九城である。
この川島城の城番には、家老職林図書亮能勝(後、道感と号し禄高五千五百石)に兵300をつけて入れて守らせ、上郡や剣山周辺の土豪に対する抑えとした。
川島城は林氏三代に渡り居城し、小さな城下町も形成され、阿波九城のうちでも、特に重要な位置を占めていたが、江戸時代に入って幕府の一国一城令により、寛永15年(1638)他の八城とともに廃城となった。
廃城後は、藩の役所がおかれ、幕末の慶応元年(1865)には、藩の洋式訓練所がおかれていた。
吉野川に臨む岩の鼻の断崖上に本丸跡・二の丸跡があり、現在は川島公園として整備されている。園地はサクラ・ツツジの名所として知られ、林道感碑・朝鮮女の墓・銅鉾出土の碑などがある。
なお、川島城跡の南に、戦国大名三好氏の家老篠原長房の居城した上桜城(川島南城)跡がある。
城郭の曲輪は、比較よく残っていて、吉野川に面した「岩の鼻」の城山の一番高所が本丸、川島神社が建つ所が二の丸、そして三の丸跡?には観光用の三層模擬天守が建っていて、入場は無料です。
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