熊本城(別名・銀杏城) 【 平成19年(2007)版 】

―― 豪壮華麗、堅牢無比、威容を誇る清正築城の名城 ――
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本丸広場からの外観復元の大・小天守(東面) 
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本丸広場からの
外観復元の大・小天守(東面)
飯田丸からの建築中の本丸御殿(北東方面) 
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飯田丸からの建築中の
本丸御殿(北東方面)
 近世熊本城の母体となった熊本城の名は、南北朝期の古文書にあらわれるが、城主と位置が明らかになるのは、文明年間(1469〜1487)に菊地氏の代官・井田秀信が茶臼山東端の千葉城に在城したという記録からである。
 現在の熊本城本丸のすぐ東の台地である。

 次いで明応5年(1496)、鹿子木親員が茶臼山南麓に新城を築城し、隈本城と称した。親員は豊後の大友氏に属したが、その死後鹿子木氏は菊地氏と結んだので天文19年(1550)大友宗麟の攻撃を受け、隈本城には城親冬が入った。

 その後豊臣秀吉の九州討伐ののち、天正15年(1587)佐々成政が肥後四十九万石の新領主として隈本城に入ったが、成政は治世の失敗により、一揆勃発で自刃する。 肥後は二分され、北半分は加藤清正に、南半分は小西行長に与えられた。

西出丸から空堀越しの宇土櫓(西面) 
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西出丸から空堀越しの
宇土櫓(西面)
竹の丸櫨方門内からの飯田丸五階櫓 
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竹の丸櫨方門内からの
飯田丸五階櫓
 天正16年(1588)、佐々成政に替わり肥後半国の領主として入封してきた清正は、成政時代の戦国の城を二十五万石の太守の居城として茶臼山男山に大規模な新城築城を計画し、文禄元年(1592)には城普請とともに侍町の整備も開始した。
 新城では北からの見晴らしを重視し、北から見て建物が重なりすぎないように検討を加えつつ工事が進められている。
 途中、工事の一時中断もあったが、慶長12年(1607)に完成をみた。

 城域は白川を外堀に見立て、坪井川を改修して井芹川と合流させて内堀とし、坪井川の北の丘陵地に位置し、東高西低の地形を利用し、本丸を最も高い東側に設け、順次西に下りながら、二の丸、藤崎八幡宮、新町へと続く。
 熊本城は平城だが、東側はアズキ谷と呼ばれる急峻な崖が防備を固めている。
 一方の西側は緩やかな坂が続き、家臣団の生活には便利だが、防備には不利であった。
竹の丸から見た大天守と竹の丸五階櫓跡(南面) 
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竹の丸から見た大天守と
竹の丸五階櫓跡(南面)

 
本丸の二様の石垣と大天守(南面) 
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本丸の二様の石垣と
大天守(南面)
 そこで本丸と出丸の間に水堀、さらに出丸と二の丸、二の丸と藤崎八幡宮の間には空堀をもうけるなど防衛策を凝らしている。

 城郭の広さは、約98万平方メートル、周囲5.3km、本丸には大小二つの天守閣、武者返しと呼ばれる独特な曲線の石垣、宇土櫓をはじめとする四十九基の櫓、十八の櫓門、二十九の城門を持つ五十二万石の太守にふさわしい巨城、名城であった。
 特に石垣は清正の家中に石積みの巧者がいて、頑強な構造のうえに流麗な曲線を見せる特有な石塁を出現した。

 大天守は、外観三層、内部は六階地下一階となっており、対面所としての機能も備えていた。  小天守は、大天守の西に二間ほどずれて建てられ、外観二層内部地下一階の建物であった。
 五基あった五階櫓のなかでも最大規模を誇った宇土櫓は、熊本城第三の天守といわれ、小西行長の居城であった宇土城の天守を解体して熊本城に運び建てたと伝えられる。
平成11年の台風19号で大きな損傷を受けた西大手櫓門 
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平成11年の台風19号で
大きな損傷を受けた西大手櫓門
本丸東北隅の高さ約20mの石垣上の北十八間櫓(北面) 
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本丸東北隅の高さ約20mの石垣上の
北十八間櫓(北面)

平成19年(2007)の 熊本城内 案内図(51kB)へ

 清正の死後、忠広が跡を継ぐが改易となり、寛永9年(1632)豊前小倉城主細川忠利が肥後五十四万石に移封された。
 以後細川氏が十二代二百四十年間にわたって世襲して明治に至った。
 その間、天守・櫓の修理はあったが加藤氏時代の城を堅持した。

 明治4年(1871)鎮西鎮台がおかれ、城地構築物、建物は保たれたが、明治10年(1877)の西南戦争では、西郷隆盛率いる薩摩軍を相手に谷干城以下の官軍が50日余りの籠城戦を行い、その猛攻に耐え、その堅城ぶりを遺憾なく発揮したが、残念ながら開戦直前の失火で大天守・小天守・御殿大広間などの建物の大半を焼失し、宇土櫓など一部の櫓・門を残して偉容は失われた。

行幸橋手前加藤清正像前からの馬具櫓 
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行幸橋手前
加藤清正像前からの馬具櫓

 
キャッスルホテルから見た東竹之丸の重要文化財櫓群 
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キャッスルホテルから見た
東竹之丸の重要文化財櫓群
 昭和35年(1960)市民の浄財を集めて、大・小天守を復元しました。
 また、築城400年にあたる平成19年(2007)を目指して、「復元募金」などの浄財により、本丸御殿や飯田丸五階櫓など熊本城への登城ルートの主要建造物の復元に取り組みました。

 第一段として平成12年より西出丸一帯の復元工事に着手、平成15年には、南大手門、戌亥櫓、未申櫓、元太鼓門、そして奉行丸の塀が完成しました。
 さらに平成17年には、城南側の高石垣に存在した飯田丸五階櫓と、平成11年の台風19号で大きな損傷を受けた西大手門の復元工事が完了しました。
 また、平成20年春には、本丸御殿大広間の復元も完成し、第T期復元整備事業が終了しました。
 なお、平成20年度からは、第U期復元整備事業として、馬具櫓や百間櫓などの建て替えや復元を行うそうです。
 また、残りの一つの西出丸の北大手門も将来復元予定にあるそうです。

三の丸跡からの二の丸御門枡形跡石垣 
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三の丸跡からの
二の丸御門枡形跡石垣
新堀橋からの監物櫓(北面) 
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新堀橋からの監物櫓
(北面)
 約6年ぶりに2泊3日で九州・湯布院、阿蘇、そして熊本へかみさんと行ってきました。
 平成19年(2007)は熊本城築城400年でもあり、一口城主への入城招待券を手に、再建なった飯田丸五階櫓を堪能して来ました。
 でも飯田丸五階櫓は木々に隠れて登城口から見えにくいので、訪問する人も少なかったです。
 また、本丸御殿大広間は、まだ再建中で被いなどで、外観を飯田丸や東竹の丸から少し見える程度でした。平成20年4月の竣工が楽しみです。

 前回(平成13年)熊本城復元募金をして登録された「城主証」の「名板」を確認しようとしましたが、名前が間違っていて残念。
 早速E-mailで、訂正を熊本市役所にお願いしましたが、次回の再訪(御殿復興の平成20年に確認予定)時に再確認をしたいものです。
行幸橋からの坪井川と長塀(うまや橋方面) 
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行幸橋からの坪井川と
長塀(うまや橋方面)
雨の中の水前寺公園・富士山 
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雨の中の水前寺公園・富士山

 今回は、復元竣工した飯田丸五階櫓や前回周らなかった旧細川刑部邸などを中心に見たのですが、あいにくの雨で、写真撮影などは、あまりできませんでした。

 近くの水前寺成趣園(通称水前寺公園)も良かったですよ。(唄うチータがいるかもね・・・)
 公園内の富士山は必見・・・!
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 熊本城 (銀杏城)                                  平成19年11月6日時点  
◇交通・JR熊本駅または上熊本駅より市電で10分(150円)、熊本城前又は市役所前下車、徒歩5分
・JR熊本駅よりバスにて、交通センター下車、徒歩約10分
◇駐車場・熊本城二の丸駐車場、熊本城三の丸駐車場を利用
  <料金:2時間以内/普通車200円・バス500円>
◇開園時間  ・11月〜3月:8:30〜16:30(閉園17:00)
・4月〜10月:8:30〜17:30(閉園18:00)
   ただし、毎年7月28日より8月20日ごろまで熊本城夜間開園があります。
   時間は5時終了予定を2時間半延長!(延長料金はつきません)
   7時半まで城内にとどまることができます。
   しかし、延長時間の開園部分は天守周辺のみとなり、
   また、入退場は頬当御門のみとなりますのでご注意を・・・。
◇休園日・12月29日〜12月31日
◇入園料・大人(高校生以上):500円、小人(小・中学生): 200円 
◇問い合わせ ・熊本城総合事務所      TEL 096-352-5900
・熊本市観光情報センター  TEL 096-322-5060

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット
・《図説》日本の名城 (平井聖・小室榮一 編、河出書房新社 発行)
・《旅の本》日本名城の旅 上巻 (日本旅行作家協会 編、日地出版 発行)

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