唐津城(別名・舞鶴城)

―― 海と河口を改良した堅固な縄張の城 ――

二の曲輪中段入口そばからの天守
クリックで拡大図へ(65kb) 市内循環バス停「唐津城入口」前からの天守閣と城門の遠望 
クリックで拡大図へ(31kB)  唐津は古くから集落があり、港として発達し、伝説では神功皇后の船出の地とされている。早くから朝鮮半島や大陸と交通があった。
 唐代以降、朝鮮や大陸に船出する港として唐への出船港の港、「唐津」と呼ばれた。

 その後、唐津は玄界灘にのぞむ要衝としてこの辺りに勢力を張った松浦氏の水軍の基地であり、一族の波多氏の城があった。
 文禄2年(1593)岸岳城を本拠としていた波多守親は、朝鮮に出兵していたが不都合があり豊臣秀吉から改易された。

 替わって波多氏の旧領松浦に八万三千石で入封した豊臣秀吉の臣寺沢志摩守広高は、岸岳城が峻険でもあり、また秀吉の朝鮮出兵の本営である肥前の名護屋城後詰めの意味もあって、浦島山に築城工事を起こした。
 朝鮮戦争中であり築城は九州諸大名の加勢を受け、急遽完成した。今でも城内の肥後堀、佐賀堀、長州堀、薩摩堀、柳河堀などにその名残りがある。

西門口石段からの西門と収蔵庫 
クリックで拡大図へ(61kB) 二の曲輪中段広場からの城門
クリックで拡大図へ(68kb)  関ヶ原の戦いでは寺沢広高は東軍に加勢し、戦後、天草四万石が加増され十二万三千石となったので、慶長7年(1602)改築工事を起こし、7年の歳月を費やして同13年に完成した。
 築城には、名護屋城の解体資材を転用したといわれ、この時に領内であった天草島の富岡城も支城として構築した。
 城は、本丸、二の丸、三の丸、外曲輪に分かれ、本丸は当時満島と陸続きであった松浦川河口の満島山を中心に松浦川と波多川を合流させたり、虹の松原を陸から断ち切るなどの地形の改造も行い、城の全域は約45ヘクタールの海と川に挟まれた美しい城下町を建設した。十三間×十一間半の天守台も造られたが、天守は建てられることはなかった。

 その後広高の子堅高のとき寛永14年(1637)天草の乱が起こり、その不手際で天草領を没収され、そののち正保4年(1647)堅高は自刃したので寺沢氏は断絶した。
 その後、大久保氏・大給松平氏・土井氏・水野氏と藩主は交替し、文化14年(1817)以降、小笠原長昌が六万石で入封すると以降五代五十三年世襲して明治維新を迎えた。

柳堀越し三の丸辰巳櫓 
クリックで拡大図へ(57kB) 市役所入口からの肥後堀と石垣
クリックで拡大図へ(53kb)  廃城後、建物は払い下げられて取り壊され、明治10年から本丸跡は現在の舞鶴公園となりました。
 周囲約1km、面積4.3ヘクタール、海抜43mにそびえる現在の唐津城は、天守台跡に慶長様式を取り入れ、文化観光施設として昭和41年(1966)10月に完成したものです。

 JR唐津駅内の観光案内所で『旅カラツ』のパンフをゲットした喜びで、唐津城前行きの市内循環バス(東コース)を探して、土砂降り雨の中、JR唐津駅前でうろうろ。
 唐津城からの唐津湾や城下町の眺めは最高です。
 帰りは雨も止み、城下町の中を三の丸辰巳櫓を見ながら、市役所になっている大手口を通り、JR唐津駅までの散歩もよいですよ。


 唐津城(郷土資料館)                                  平成13年8月8日時点  
◇交通・JR唐津駅より三の丸辰巳櫓経由で徒歩約25分
・JR唐津駅より市内循環バス(東コース)で約15分「唐津城入口」下車、徒歩5分
◇開館時間 ・午前9時〜午後5時(入館は午後4時40分まで)
    ※ 季節によっては、開館時間の変更があります。
◇休館日12月29日〜31日まで
◇入場料 ・大人(15歳以上)    310円      ※ 舞鶴公園エレベータは、
・小人(4〜15歳未満) 150円         片道大人100円、小人50円
◇お問い合わせ ・財団法人 唐津市文化振興財団
     唐津城管理事務所        TEL:0955-72-5697
・社団法人 唐津観光協会          TEL:0955-74-3355
・JR唐津駅構内 観光案内所        TEL:0955-72-4963

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