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三の丸屋敷跡の説明板と石碑 (90kB)
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三の丸屋敷跡の説明板と石碑 (90kB)

三の丸屋敷跡
 謙信公が自らの名を与えて住まわせた養子「三郎景虎屋敷跡」などを総称して、「三の丸屋敷跡」と呼ぶ。それぞれの屋敷は段違いに造られて区分され、「景虎屋敷跡」の東端に入口が設けられ、今も道が残っている。
 三郎景虎公は、謙信公の死後に起った「御館の乱」で敗れ、悲運の死を遂げた。公を慕って屋敷跡を訪れる人も多い。
 
三の丸屋敷跡入口方面 三郎景虎屋敷跡の石碑 米蔵跡からの三郎景虎屋敷跡
三の丸屋敷跡入口方面三郎景虎屋敷跡の石碑米蔵跡からの三郎景虎屋敷跡
三郎景虎屋敷跡からの三の丸への登り口 米蔵跡からの三の丸への登り口
ダブルクリックで拡大図(101kB)へ 銅像前方面からの三の丸への登り口と甘粕近江守屋敷跡
三郎景虎屋敷跡からの
三の丸への登り口
米蔵跡からの
三の丸への登り口
銅像前方面からの三の丸への登り口と
甘粕近江守屋敷跡

米蔵跡と土塁
 「米蔵跡」の名が示すように、城機能の中核施設が置かれた場所と考えられている。
 ここには、春日山では最も良好な状態で土塁跡が残っており、郭を普請する際、削平したときに出た土を盛り堅め、この上に城壁があり鉄砲を射つときの銃眼や弓を射る場所に使われました。
 
米蔵跡と二の丸への登り道 二の丸からの下り道からの米蔵跡 米倉跡の土塁(縦堀側)
米蔵跡と二の丸への登り道二の丸からの下り道からの米蔵跡米倉跡の土塁(縦堀側)

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